指切り

昔懐かしい横顔を見つけたのは、本土から蝦夷へと渡る船の中。

人が沢山居てゴミごみしている中を掻き分けて近寄って行くと、確かに「彼」である。

江戸に居た頃、よくつるんではともに遊びまわっていた彼が。

「八郎?」

後ろからそう声をかけると、何事かと振り向く。

「―――歳さん!?」

どうやら予想もしていなかったらしく、ひどく驚いたような顔をした。

その顔は昔より少しやつれていたけれど、生きていたのだという事に歳三は安堵する。

しかし、その次の瞬間には八郎の左袖が風でゆらゆらと揺れているのが目に入る。

一体それがどういう事なのかすぐには理解できず、歳三は思わず凝視してしまった。

その視線を追った八郎は、カラカラと笑いながら、まるで他人事かのように言った。

「箱根での戦の時さ、色々あって切り落としちまったんだよ。医者がくっつけたままにしておくと腐るって脅すモンだからさ」

八郎は何でも無いように言うが、歳三にしてみれば軽い問題ではなかった。

「・・・寒いと痛むだろう?」

「ん。まぁそりゃぁね」

淡々としている八郎を見て、胸が痛む。

彼の剣の才が素晴らしいだけに、それは一層惜しまれた。

悲痛そうな表情を浮かべた歳三を、逆に励ますように八郎は言う。

「そんな顔しないでおくれよ、な?生きて逢えたんだから、それで良しとしようじゃないか」

完全に納得なんて出来なかったが、歳三には頷く事しか出来ない。

渋々と頷くのをみて、八郎は嬉しそうにまた笑った。

「今はごちゃごちゃしてるけど、蝦夷に着いて落ちついたら一緒に酒でも飲もうな」

この先はどうなるか判らないけれど、と付け加える。

「ああ、そりゃぁ良い・・・」

と、この時歳三が承諾したのをしっかりと記憶していたらしく、八郎は五稜郭へ入城してから少し間をおいた頃、歳三の元へと訪れた。

まだ在る右手に葡萄酒を掲げながら。

「さァて、ちょいと遅れたが再会を祝って」

呆れた顔をして、開いたドアの前で突っ立っている歳三の横を八郎はするりと通り抜けると、部屋にあったテーブルの上に葡萄酒を真中に置いた。

「湯呑はあるかい?」

湯呑でなくても注げるものなら何でも良いけど、と呟きながら部屋をぐるりと見回す彼の目に止まったモノは、西洋製と思しき棚だ。

湯呑が在りそうな気がして八郎がそこを開けると、やはりそこにある。

「お前なァ・・・ここは俺の部屋だ」

ドアを閉めながらそう言ったが、八郎にはまるで悪びれた様子はない。

「良いじゃないか。どうせ歳さんの部屋なんだから」

「どうせ、とは何だ・・・」

「いーから、いーから。早く椅子にお座りよ」

まるでこの部屋の主であるかのように言う八郎に対して、歳三はブツブツ文句を言いながらも椅子に腰を下ろした。

椅子は部屋に一つしかない。

歳三が椅子に座ったのを見た後、八郎は歳三の傍に立って、葡萄酒を湯呑に注ぎ始める。

葡萄酒、というところだけは随分西洋かぶれしたものだが、器が湯呑とあっては笑えてしまう。

タプタプと音を立てて注がれていく真っ赤な葡萄酒。

「最初にこの色を見た時は驚いたものだがな・・・」

「もう飲んだ事あるんだ?」

「ああ、五稜郭に入城した時にな。榎本さんに勧められて飲んだ」

その時は物珍しさが勝って味などはあまり気にしていなかったが、どうだっただろうか。

基本的に酒はあまり好きではないが、葡萄酒は飲めたような気もする。

味を思い出そうとしていると、八郎が右手でなみなみと葡萄酒の注がれた湯呑を渡してくれた。

「じゃぁ・・・榎本さんみたいに、乾杯!」

「おう」

カツン、と音が小さく部屋に響いた。

歳三は一口だけ口に含んで飲み干す。

コレが美味いと思ったのは、めでたい酒だからであろうか。

「はぁ・・・箱館に来て変わったなァ、街の様子も、酒も。そう言えば、歳さん。この間は軍服着てたよな?」

「え、ああ・・・」

歳三は自室に居る時は着流しで居た。

西洋式の軍服も良いが、やはり落ちつくのは長年着なれたモノだ。

「ね、着て見せてよ」

「はあ?そんなに物珍しいものじゃないだろう。お前だっていつも着ているわけだし」

「そうじゃなくてさー・・・歳さんの軍服姿が見たいんだよ」

「何言ってやがる」

最初は着るつもりなんてさっぱりなくて、ただ流してしまおうと歳三は思っていたが、案外八郎がしつこかった。

「歳さ〜〜〜ん。良いじゃんよぅ」

「・・・そういう声を出すな!しつこい奴だな」

あまりのしつこさに根負けした歳三は仕方なく椅子を立った。

そしてベッドの上に畳んでおいてあった軍服を手にする。

「おら、着替えるから出て行けよ」

「なんで?どうせ男同士だろ」

「・・・そりゃぁそうだが」

確かに八郎の言う事はもっともだし、歳三もそんな事を一々気にするようなタチではない。

しかし、

「着替えてくれ」

と言われてから目の前で着替えるのは気が引けた。

「どうでも良いから、さっさと出て行け」

そうキッパリと言うなり、八郎の腕を引っ張って部屋の外に強制的に追い出した。

「そんなに強く引っ張らないで・・・右腕までもげちまうよー」

「馬鹿ッ!」

歳三の最後の科白とともに、ドアがバタンと音を立てて閉まった。

「ちょっと・・・本気ですかい!?歳さ〜ん・・・寒い・・・!!」

部屋の中ならばまだ火鉢だとか最近目にした西洋文明の利器だとかで暖かいが、廊下は外と同じように寒い。

軽装のまま、この寒い中歳三の着替えが終わるまで待つのは厳しいものがあった。

しかも一人で部屋の前にぼぅっと突っ立っている姿は誰であろうと、なかなか間抜けだ。

それでも、こうやって追い出されてしまったのでは待つしかない。

 

「・・・寒くて左腕が痛むってばー。早く入れて下さい・・・」

待ってる間、何回かそうドア越しに言ってはみたが、いつも答えは同じ。

まだ、の一言である。

いい加減終わったのではないか、と思って声を掛けてみてもなかなか入室の許可が下りない。

八郎が一人虚しく待ち惚けしていると、廊下の向こうから誰かが足早にやって来るのが見えた。

手に何かを抱えている。

青年、というよりは少年と言った方が正しいかもしれない。

そのまま八郎の後ろを通りすぎるかと思いきや、彼もまた歳三に用事があるようだった。

「アンタも歳さんに用なのかい?」

「歳さん・・・?え、ええ・・・はい、土方先生に洗濯物を届けに・・・」

見れば、彼が抱えているのは綺麗になった歳三のお召し物達だ。

「ああ、でも今は歳さん着替え中だから中に入れてくれないよ」

「え、そうなんですか?」

「ためしに声でも掛けてみなよ」

「はあ・・・では」

八郎は待ち惚けの仲間が増えるな、と思ってそう言ったわけだが。

少年が一歩前へ進んでドアを軽く叩いた後、八郎が予想だにしなかった事態が起こった。

「土方先生、洗濯物を・・・」

「おう、入れ」

彼が全てを言い切るより早く、歳三が返事をする。

歳三の返事を聞いて少年は普通に入って行くが、納得出来ない男がここに一人。

「なんで!?今さっき俺声かけたばかりなのに!?ていうか終わったのなら開けてくれよ!」

少年の入室許可に便乗して八郎も部屋に入った。

八郎の声は歳三にも届いている筈だが、一向に構わず歳三は少年とのやり取りを続ける。

「御苦労だったな、市村」

「いえ・・・」

「歳さん!!なんで俺は駄目なんだよぅ!」

そう文句を言ってはみるものの、気にしてくれているのは肝心の歳三ではなくて市村少年だけだった。

彼は困ったような視線を向けては来るものの、直接の上司と思しき歳三が何も反応しないので、どうすべきか困っているようだ。

「歳さ〜ん・・・」

「・・・うるさい」

ようやく言葉を返してはくれたものの、素っ気無い。

「市村はもう下がってくれて構わないぞ」

「はい」

遠慮がちな声で返事をし、彼は部屋を出た。

出る前に、彼が八郎の横を通った時軽く会釈をしていったが、あいにく八郎の視線は完全に歳三に定められていた。

パタン、と控えめに閉められたドアの音も当然耳には入らない。

部屋に二人きりになったところで、歳三が口を開く。

「いやな、ヒトはどの程度寒さに耐えられるのかと思ってな」

「・・・ヒデェ。俺はてっきり歳さんが恥ずがってんのかと思っていたんだけど」

「おめでたい奴だな」

ふい、と八郎から視線を外す歳三の首筋はほんのりと赤い。

そしてそれを八郎が見逃すわけがなかった。

「とか言いつつ・・・図星なんだ!?」

「馬鹿・・・違う!なんでオメェ相手に照れなきゃならねぇんだよ!」

そう否定すればする程、肯定しているようにも見える。

「歳さん、顔赤いよ?やっぱりなぁ・・・そうだろうなぁ、うん。俺ってば昔から両方にモテ―――――」

八郎は最後まで言い切る事は出来なかった。

無防備な八郎の鳩尾を、歳三の愛刀(辛うじて鞘付き)が勢い良く突いたのだ。

鈍い音と共に八郎の膝から力が抜け、ガクッとその場に崩れた。

しかも急所を疲れた所為で上手く息すら出来ない。

「げふごふ・・・ッ、用途がイマイチ違うような・・・ッ!?」

悶え苦しむ八郎の頭すれすれのところに歳三は刀の先を突きつける。

「お前の口も切り落としてやろうか!?」

「結構です・・・ッ」

弱々しい声で答えつつも、なんとなく嬉しいのは隠し切れない。

「2度と馬鹿な事言うなよな!?」

「ハイ」

八郎が素直に返事をして、首をガクガクと何度も縦に振るのを見て、ようやく歳三も刀を下ろす。

そして下ろした刀をまた元の位置―――壁に立てかけたところを見計らって八郎もなんとか立ち上がった。

「全く・・・オラ、飲みなおしだ」

歳三は椅子に座ろうと、刀から離れる。

迂闊にもこの時、歳三は八郎に背を向ける形となった。

七転び八起きの精神が働いた八郎は、すかさず後ろからガバッと―――と言っても右腕しかないが、抱きついてみる。

「・・・ッの馬鹿!」

「『馬鹿な事をいうな』とは言ったけど『馬鹿な事をするな』とは言ってねーよ?」

「するな!」

「今更」

体格的には八郎の方が大きかったが、何と言っても今は片腕しかない状態である。

ここで初めて八郎は腕を切り落とした事を後悔した。

必死に抵抗を試みる歳三を、これまた必死で逃がすまいと力全開だ。

「俺にこんな事して楽しいか!?あ゛ン!?よく考えてみろ!」

「楽しい。歳さんて、安い女よか綺麗だもの」

「ふ・ざ・け・る・な!」

「それに俺、ヒミツだったけど、歳さんの事好きだしさ。本当は今日酒を持って来たのも・・・」

「何だって言うんだよ!?」

「良い潰してそのまま遊んじゃおう、と思って。正直、さっきの着替えとか狙って・・・」

また鳩尾に歳三が肘鉄をくらわせようとしたが、今度は八郎もその気配を事前に察知してなんなく交わした。

「・・・っち!そう言うのが馬鹿だっつってんだよ!」

ギャァギャァとわめく歳三を、右腕のみでなんとか壁と自分の間に追い詰める。

これで今のところ八郎の優勢だ。勢いあるのみ、である。

「だってこの先お互いどうなるか分からないだろう!?」

「・・・・・・ッ」

「それに、さっき歳さんに閉め出された所為で寒い」

顔を寄せると、それを避けるように歳三は顔を背けた。

右手で顔をこちらに向けさせたかったが、あいにくと右手は使用済み。歳三の肩を右手で押えていたからだ。

「俺の事、嫌かい?」

「嫌じゃない・・・けど、こういうのは嫌だ」

さんざん手慣れているだろう行為も逆の場合だと全く違うものになる。

色白ですらっとしている歳三も、同性から言い寄られる事はあっただろう。

いつだったか覚えてはいないが、近所の野郎につけ文握らされてよ、という歳三の科白を聞いた事があった。

だから、歳三がこういう態度に出るとは―――いくら力で押え付けたと言っても、もっと手慣れた風に逃れるのかと思っていた。

「なんで嫌なのさ・・・?俺は歳さんが好きだから、怖くしないよ?」

「そんな事はどうでも良い」

そんな事、となかなか軽んじられたものだ。

「お前も・・・」

「俺?」

「俺より先に逝くのか?」

「はぁ?」

何を言われるのかと思いきや、まるで予想もしていなかった事を言われたので思わず声が裏返ってしまった。

「俺をおいていくような奴に・・・許さねぇよ」

「情を交わした相手が先に死ぬを見るのは辛いって事かい?・・・俺は歳さんおいていかない、ずっと一緒に居るからさ」

「皆そう言う・・・」

その言葉で歳三がどれだけ親しい人間を失ったか八郎は思い出した。

近藤をはじめ、沖田も井上も、試衛館から旅立った者のほとんどは死んだと聞いた。

「・・・って事は、アンタやっぱり京でも遊びまくってやがったんだね・・・ッ!?」

「勝手だろ」

そんな事実に気付いてしまって、八郎も苦笑するしかない。

しかし、呆れた事実が見え隠れしていたとしても歳三がそれを悲しんでいる事は本当だろう。

ここで自分にまで死なれたら、確かに精神的にこたえそうだ。

「俺は歳さんより先には絶対死なない。腕がかたっぽ無い俺が言うんだから、他の奴よりは説得力あると思わないかい?」

「・・・まァ、そうだな」

「約束しようか」

それまで歳三の肩を押えていた右手を一旦離す。

そしてその右手小指で歳三の右手小指を引っかけた。

「指切り」

「は!?」

驚く歳三をよそに八郎は歌いながら、歌に合わせて手を小さく上下させる。

「はりせんぼんの〜〜ますっ、ゆ〜〜びきった・・・ハイ、これで良いでしょ?」

「ガキかよ・・・」

ちょっと照れながら歳三はいうが、どことなく嬉しそうだ。

八郎の方が年下と言う事もあって、昔からガキだガキだと言われ続けてきたけれど、本当は歳三の方が子供っぽいという事実を

本人は気付いていないし、この先認める事もきっとないだろう。

「約束したから、していい?」

「・・・・・勝手にしろッ」

あくまでもぶっきらぼうな返事。

それでも返事の内容が良いモノだと言う事に変わり無いので、今度こそ八郎は歳三の唇に接吻をした。

 

「おい」

「何?」

今は、部屋の中にある西洋式寝具、ベッドの上で二人並んで転がっている。

あまり広くは無いが、今は肌が触れ合っているのも良い。

「ここまでしておいて約束破ったらただじゃおかないぞ・・・」

「ああ、判ってる判ってる」

未だに疑わしげな目を向けてくる歳三の肩を抱いて囁いた。

「多分、殺されるより、針千本飲む方がきっと痛いから。絶対死なない」

八郎が針千本飲む時は、きっと歳三も痛い。

「寂しい思いはさせないサ」

肩を抱く手に力が篭る。

本当はどうなるかなんてわからないけれど。

自分のために死なない、生きると言ってくれる人が居るだけで今は幸せ。