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a b c d 沼レ コード 2005ぉぉぉぉぉおおおお |
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(1)ミコトノセカイトシテナリタツモノ 夢は叶う。 いつか叶う。 そんな事言われても無理でした。 いつか悲しみは溜まり続け この世界の中 溢れるのです それは、世界の真実。命として世界を覆おう。いつしか人々は知る。この世界は闇だ。 ・・・と。だがそれも悪ではない。この世界は、それが肯定される世界だ。 「悲しみを具現化できる世界」 人々が悲しみを持った時、その悲しみは具現化され、一つの人格として歩き始める世界。 一言でこの世界言い表せるとしたのならば、それは「完全に二極化された世界」だ。 具現化し一つの人格として歩き出した悲しみ。悲しみを具現化させることで自らの存在を変えた 人間。それぞれは合い交えることなく、この世界を各々の価値観で闊歩していた。 人々が悲しみを覚える時。それは絶望した時だ。それは、同時に夢・希望が成せなくなった 瞬間の場合がひどく多い。それはつまり、悲しみとは夢・希望であると換言できる事を意味する。 「夢は叶う。」「いつか叶う。」しかし果たせなかった。それが、悲しみとして一つの人格を 形成しているのだ。 今、この世界は一つの重大な問題を抱えていた。圧倒的な悲しみの増加。人間はいつか死ぬ。 絶対に死ぬ。悲しみにももちろん死はある。それは、悲しみの原因・・・分かり易くいえば、悲しみを持った人間の悲しみが癒えた瞬間。それが悲しみの死である。つまり悲しみにとっての死は、人間におけるそれとは違い、感情的に考えれば喜びと言うことになる。唯一問題なのは、悲しみを癒す前に、人間側が死んでしまった場合、その悲しみは永遠に癒える術を知らず生きながらえなければいけないと言うことだ。つまり、悲しみの絶対量は確実に増え続ける。それは仕方のないことだった。 世界におけるヒエラルキーは、権力と数によって変動する。人間と比べ、圧倒的に多い悲しみ達は 、いつしか人間よりもこの世界におけるヒエラルキーで優位に立つこととなった。悲しみに支配された世界の誕生である。今や、この世界を成り立たせているものは悲しみである。悲しみが全てだった 。しかし、人間はそれに疑問を持つことはなかった。この世界の人間が、夢・希望を持ち悲しみに明け暮れ、新しい悲しみを生み出すことよりも、夢・希望も持たずにただただ笑う事を選んだからだ。 ただ、笑ってさえいればいい。それで、この世界から悲しみが無くなっていく。それはとてもらくな事だ。何も考えなくていい。ただただ、笑ってさえいればいいのだ。 ・・・例え、この世界が悲しみに支配されようとも・・・ 9月18日 完成 |
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(2)イミナキハンコウヲカリタテルモノ 一人の男が書いたレポートが残されている。タイトルは「悲しみを具現化できる世界 における夢・希望の到達点」いつ書かれたものなのか。それを知る物は誰も居ない。 唯一分かっている事は、そのレポートがこの世界に現存していると言う事実だけだ。 概要は以下の通りである。 「悲しみを具現化できる世界があるそうです。そこでは、みんな笑い転げて とても楽しい世界です。そこでは、歩き始めた悲しみたちが寄り添いとてもつらそうです。 その悲しみは『夢・希望』で、叶わないから悲しいのです。特に目的も持たずに ただ笑っていきたいのです。そこでは、『夢・希望』は無く。ただただ人は笑っています。 悲しみを具現化できる世界があるそうです。『夢・希望』は捨てられるけど、ただ笑っていれば 満足なんです。夢は叶う。いつか叶う。そんな事を言われても結局の所は無理で、 そうやって生まれていった悲しみたちは、ただただ溜まり続け、この世界の中溢れるのです。」 現実はその通りに推移した。溢れ始めた悲しみは、世界を覆い、いつしか ヒエラルキーの逆転は、世界を支配するべくモノさえも変化させていった。 ・・・悲しみによる世界。 人々は、ただ笑うしかなかった。もし、この現状に対し絶望し、悲しみに包まれた場合、 それは悲しみを生み出す事になるからだ。笑った。笑った。笑った。そこに何も無くとも、 正に少女が箸が転がる事に笑うかのごとく笑った。しかし、それが根本的な解決にならない と言う事も分かっていた。だからと言って、笑う事を止める事は出来なかった。 いつしか笑う事に必死になった彼らは、感情の欠落を余儀なくされていった。 何の意味も無い。しかし、そうするしかなかった。人間としての「何か」を捨てながらも、 それでも、ただただ・・・終わりなく笑うと言う反抗を続けた。そこに、憂いを持つ事すら 許されなかった。 そしてまた・・・気が遠くなるほどに長い時間が流れようとしていた。 10月27日 完成 |
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(3)アルヒオソワレルアキラカナルヘンイ それは突然に起こった。急激な悲しみ達の大量虐殺。 世界における悲しみ達の絶対数は激減していった。 人々はその事態をまったく理解する事ができない。 それでもただただ笑い続ける事しか出来なかった。それはもはや 何故であるのかを考えるにすら値しない、当然の事として行われ続けた。 何世代にも渡ってただ人々は笑い続け、その本質、つまり、何故笑うのか すらその実は知る者がいないのが現状であった。 だから悲しみたちが激減して行き、本来の笑う意味を失ってもなお、 人々は笑い続けた。 いつしか、この世界から悲しみはひとつ残らず消えていった。 残されたものは、ただただ笑うだけの人々。 我々は知っている。かつて、同じようにしてただただ笑うだけの人々が いた事を。 その人々は、夢を消し去られる事で絶望をなくし、生きる過程においての 不安や恐怖をただただ笑うことに置き換えた者達だ。 この偶然にも似た両者は、ひとつの共通点で結ばれていた。 それは自らの意思で悲しみ、夢・希望を消し去ったわけではないと言う一点。 ある者は、「夢喰いバクヲ」と呼ばれる薄汚い正義の味方の「実食」によって。 またある者は、自然偶発的に具現化した悲しみとの決別によって。 いずれにおいても最後にはただただ笑うだけの人々が溢れ返る世界と なっていった。 世界は二つあったのだ。 そして「夢」はその二つの世界に共通して一定量しか存在していない。 どちらかに「夢・希望」が無くなれば、どちらかに「夢・希望」は溢れていく。 それがたとえ「悲しみ」と言う名で呼ばれる事となっても・・・ 窓口はあった。 それは偶然の産物。片方の世界の人間が偶然にも人間の領域を超え、 神の世界を侵して作り上げた死なない人間がそれだ。 「マイク」・「バクヲ」と呼ばれたその二つの窓口は、 「実食」と言う形である世界に「夢・希望」を送り込み、 「夢定限界値の突破」をもってして送り込まれた「夢・希望」を また別の世界にのみ送り返した。本来均等にあったはずの 、両世界における「夢・希望」の量は変化してしまい、結果、 どちらの世界にも感情の欠落した不完全な人間を生み出し、 そして、どちらの世界をも衰退させる事になった。 人間の領域を踏み越えた人間への神からの警告なのか、ただ神の気まぐれ なのか、それは誰にも分からない。 その窓口はまた、実際に目で見る事もできた。「マイクの部屋」 「バクヲの部屋」である。人々は「マイクの部屋」を通り悲しみを 具現化できる世界に行き、「夢・希望」を持ってもとの世界に返ってくる。 そして、両世界における夢のバランスをとっていたのだ。 悲しみを具現化できる世界で、「悲しみ」が溢れかえる時、 もうひとつの世界では窓口である「バクヲ」の「実食」によって 「夢・希望」の無い世界となっていく。 なぜなら、世界における「夢・希望」の絶対量は変わらないからである。 本来あってならないこの偏りは人々に多くの異変をもたらした。 笑うことしか出来ない感情の欠落した人間。 夢を持つ事を忘れた人間。そして、妄想へ逃げる人間。 世界はかつての隆盛が嘘であるかの如く衰退して行ったのだ。 人が自らを神と勘違いし、神の如く振舞ったための無残な結果だった。 11月10日 完成 |