恋唄番外編 〜運命の出会いはどこに転がってるかわからない?!〜 |
幕末のプリンセス
皇女和宮
の見知らぬ男に嫁ぐ事を
余儀なくされた皇女「和宮」。
公武合体の生贄として徳川家に差し出された彼女は、
しかしそこで、運命の人とめぐり逢うのだった。
| 和宮には、結婚間近の婚約者が居た。にも関わらず、何故ムリヤリ江戸の徳川家に降嫁する羽目になったのか? | 和宮を妻に迎えた将軍徳川家茂は |
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| 朝廷は、天皇の意向を無視して開国に踏み切った幕府をひどく不満に思っていた。和宮の降嫁を機に、幕府に対して、強く攘夷を迫りたかったのだ。攘夷決行、それが和宮降嫁の条件だった。一方幕府も、和宮の降嫁で公武合体を世に広くアピールする事ができる。それは地に落ちた幕威を取り戻すのに、この上ない手段だった。 「弱腰の幕府を倒してもう一度朝廷に政権を執ってもらい、攘夷を決行しよう!」と息巻いていた尊皇攘夷派の志士達は、倒幕の名目として担ぎ出そうとしていた朝廷が、幕府と手を結んだ事に大ショックを受ける。それが幕府の狙いだった。 和宮の降嫁は、ある意味人質、もしくは生贄ともいえる、完全な政略結婚だったのだ。 |
歴代の徳川将軍の中で、唯一側室を持たなかった将軍・家茂。あくまで個人的な見解ではあるが、かなりイイ男だったのではないか思われる(笑)。と言うのも、ムリヤリ家茂に嫁がされた和宮が、最終的には彼を真剣に愛するようになっていたからだ。完全な政略結婚だったのだから、始めから愛していたということは、まず、ない。どちらかといえば、最初は彼を嫌って、心を閉ざしていたのではないだろうか?その和宮の心を動かし、愛情さえ抱かせたのだから、くだらないオトコではなかったはずだ。 ちなみに、年齢は和宮と同じで、結婚当初17歳。 残念ながら、結婚からたったの4年後に、21歳の若さでありながら遠征先の大阪城で急逝してしまう。 |
| ■ 江戸で和宮を待ち構えていた試練は、孤独と戸惑い、そして「嫁姑問題」だった! |
その当時、江戸と京は、文化や風習に大きな違いがあった。
言葉(方言)はもちろんのこと、トイレの形までが違ったと言うのだから、江戸に来た当初の和宮の戸惑いは計り知れない物があったに違いない。「違う…」そう感じることがある度、彼女は慣れ親しんだ京の都を懐かしみ、孤独に打ちひしがれたのではないだろうか。
それに加えて、最大の問題とも言える「嫁姑問題」。
姑というのはもちろん、将軍・家茂の母君である天章院のこと。
この天章院と和宮は、出会った瞬間から互いに反目していた。こんなエピソードがある。和宮がはじめて天章院と対面したその時、天章院は上座に座布団付きで座っており、和宮の席はその下座に、しかも座布団なしでしつらえられていた。下座に座布団なし!内親王としてこの上ない高い身分に生まれつき、蝶よ花よと育てられてきた和宮にとって、それは大変なショックであり、屈辱だったに違いない。天章院は天章院で、和宮が京より持ってきたみやげ物の目録の宛名が「天章院様へ」ではなく、「天章院へ」と、呼び捨てられていた事に、いたく立腹したという。実際身分で言えば姑である天章院より、嫁の和宮のほうがずっと高かったわけだから、むりからぬことではある。あるけれども、天章院が怒る気持ちも分からないでもない。そこまで気持ちが回らない和宮は、やっぱりまだ17歳だったのだ(笑)。
| ■人生何があるかわからない!一寸先は光かも?! |
そんなこんなで始まった、まるでお先真っ暗な和宮の江戸暮らし。
しかし、和宮はここで、運命の人に出会う。夫である将軍・家茂公だ。家茂公は、とにかく根気強く、和宮の心を開く努力をした。誠心誠意彼女に接する事で、自分達二人のわだかまりは消え、ひいては 朝廷と幕府の結びつきも揺るぎ無いものになると信じて。とはいえ、彼も17歳の男の子(笑)だったのだから、いくら役目でも、嫌いな女のご機嫌取りをそう根気強くできるものではないだろう。どこかしら和宮に惹かれていた部分があったのかもしれない。とにかく、そんな彼の誠実さと優しさに、和宮もいつしか心を開き、愛情を覚えるようになっていったのだった。
| ■突然の別離・・・2度と帰らぬ最愛の人 |
和宮と家茂の幸せな結婚生活は、たったの4年で幕を閉じた。
家茂が、遠征先の大阪城で病死したからだ。和宮の元には、出発前に彼女が家茂にねだった、みやげ物の反物だけが届けられた。嬉しいはずの家茂からの贈り物。美しい唐織衣は、最愛の人の形見の品になってしまった。
| 和宮が家茂を偲んで詠んだ歌 空蝉の 唐織衣何かせむ 綾も錦も 君ありてこそ ※どんな美しい織物も見せたい貴方が居なければ何の意味も甲斐もないのに・・・と言ったような意味 |
| ■「まだ帰れない!」 和宮の決意 |
家茂を失い、失意の底に沈む和宮の元へ、朝廷から「帰郷せよ」との使いが来た。帰りたくて帰りたくて仕方なかった美しい故郷。しかし彼女は、せっかくの帰郷の許しを蹴って、江戸に、徳川家に残ることを決意する。4年前、歴史の波に流されてイヤイヤ江戸に来た和宮。しかし家茂と過ごした日々が彼女に、「自分は自分の意思でここに居るのだ」と思わしめたのだ。時は慶応2年。徳川幕府の終焉は、もうすぐそこまで迫っていた。
| ■落城寸前! 我が身を盾に国を救ったプリンセス |
和宮が徳川家に降嫁する事になった背景には、攘夷という大目標が掲げられていたのは前述の通りだが、この4〜5年の間に、そんな思想は消えてなくなってしまっていた。
官軍となった薩長軍も旧幕府軍も、この内戦で勝利を収める為に、こぞって諸外国の武器を取り入れようとしていた。
官軍のバックにはイギリス、幕府軍のバックにはフランスがつき、これ以上国内で内乱が続けば、日本の国土は、イギリス・フランス両国の戦争になって日本は壊滅してしまう。そんな危惧を抱いた和宮は、江戸城の無血開城、つまり、内戦の終結に向けて、命を懸けて動き出した。
和宮は、官軍が迫り来る中、再三に渡る朝廷の帰郷勧告を無視し、落城寸前の江戸城に留まりつづけた。そして、元内親王である我が身を盾に、官軍の進行を食い止めようとしたのだ。これ以上日本人同士が戦い、血を流す事をとめるために。
失敗すればもちろん命はない。しかも、官軍とはいえ、その実態は薩長なのだ。和宮という名が、果たしてどれほど効力のある物なのかも、定かではなかった。
それでも、和宮は江戸城に留まり、懸命に無血開城を官軍に働きかけ続けた。
| ■そして無血開城へ! |
和宮の願いは叶えられ、江戸城は無血開城となった。
この結果はもちろん和宮ひとりの功績ではない、色々な人が裏で苦心して成し得た結果である。が、和宮も頑張ったのだ!!
かつては、自分しか見えていなかった幼い少女の視界に、家茂という運命の人が映った。
そして、いつしかその家茂の視界に映るもの、民や国の未来というものが少女の視界にも映るようになったのではないだろうか?まさに世紀のウエディング!と呼ぶにふさわしい恋物語ではないか。
| ここでもう一首、和宮の歌を御紹介、これが学者さんや、和宮ファンの間で大論争を巻き起こしてるらしい…(笑) 惜しまじな 君と民との為ならば ここで詠まれている{君」って言うのは誰のことなのか?それが論争のまとになっているらしい |
徹底検証!!
「君」って誰の事?
| 詠まれた時期によって変わる、「君」の正体! これが、例の落城寸前、城に留まっていた頃に詠まれた歌であれば、「君」とは家茂公の事だろうと容易に想像がつく。 結局、読まれた時期が判明しないことには判断できない。判明したところで、それも100%正しいと証明できる判断材料にはならない。う〜ん、全く徹底検証になってないですね、すみません(泣) |
そのほかにも、和宮が亡くなった際、棺に一緒に入れられたという写真は誰の写真なのか?(もう写真が古くなっちゃって、誰か判別できないらしい)とか、これまた棺に一緒に入ってた遺髪は誰のものなのか?とか、今でも色んな人が研究してるらしい・・・。