julaさんのメール
jula です。
最近トッチさんの意訳、解説が無理なくいい感じにまとまってきていると思う今日こ
の頃。
「分からない、難解、意味不明、解釈に今一合点行かない!」
と言ったところを無理に解釈せず
「流す時は流す、問うときは問」
そんな時はみんなで揉む〜で、どう解釈すればいいのかが見えてきつつある、
また解釈の方向性が溜まってきた結果みたいですね。
これもトッチさんの他者の話、意見を柔軟に取り入れつつ自分のものとして融和、昇
華してしまう能力故と思います。
私だとトッチさんみたいに上手く取り込みきれないです。
ついでにAB型のためか、突発的な思いつきが多いですし・・・。
ミカエルのエルねた。
ジュラエルなんて無いな〜と、しかし、やはりトッチさんの場合はトッチ○ルになっ
ちゃうってやつですね(ミカさんが喜びそうだ?!)
そんでもって、ついでに、ディフェンスで8を寝かせてきましたか。
8を寝かせると無限。ムは無限の無。
そういえば
“ウはムであるぞ”
なんてのがありますね。
ウ、ムがある帖は以下です。(別展開の新たな攻撃!?!?)
玉串として自分の肉体の清い所 供へ奉れよ、
髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ、
玉串は自分捧げるのざと申してあろがな。
お供への始めはムとせよ、
ムはウざぞ、
誠のキ供へるのざぞ、
餅は三つ重ねよ、
天地人一体ざと申してあろがな。
御神前ばかり清めても誠成就せんぞ、
家の中 皆 御神前ぞ、
九二中 皆 御神前ざぞ、
判りたか。
夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、
いたらざる自分悔いよ、
修業出来た信者の守りの神 道場に祀れよ、
万霊道場に祀れよ、
役員の守りの神は本部に祀れよ、
神々様 本部に祀れよ。
外国とは幽界の事ぞ、
外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。
五月十二日、
ひつ九のかミ。
青葉の巻 第02帖 (471)
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◆“お供への始めはムとせよ、ムはウざぞ”
無心でおつとめ(務)してください。
その無心の務めが無限となりウ、有、産むとなっていきます。
そうやって誠の気、喜を供えてください。
そのような様子を神はお見通し。
ご神前ばかり清めたのではダメ。
御魂磨きなさい。
そして
「神示をよく読み解いて、誰にでも分かるように開示していきなさいよ」
といったところなのでしょうか。
(幽界 については解釈できるようには、まだちょっと噛み砕けていません。)
ナルとは成る言(コト)ぞ。
成るは表、
主(曰(シ)ゆ)ぞ。
ウムとは (ウム)のこと。
生むは裏、従(二ゆ)ぞ。
ナルは内、ウムはソト。
ナルには内の陰陽合せ、
ウムにはソトの陰陽合せよ。
成ると生むは同じであるぞ。
違ふのぢゃぞ。
成ることを生むと申すことあるぞ。
生むこと成ると見ることあるぞ。
ナルとは (ナル)こと、
自分が大きく成ることぞ。
自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。
ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。
このこと判れば石屋の仕組判る。
(十一月裏四日)
一二十
黄金の巻 第047帖 (558)
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なりなると申してあろうが。
なると申すのは内分は同じであるが、形の変ることであるぞ。
ウムとナルとは同じであって同じでないぞ。
夏の巻 第05帖 (722)
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◆なりなりてなりなる≒7777、
もしくは七七七七
などと書かれているところもありそうです。
ウムと申すことは、自分をよりよく生長さすこと。
一つ生めば自分は一段と上に昇る。
この道理わかるであろうがな。
産むことによって、自分が平面から立体になるのであるぞ。
毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。
まして掃除せん心にホコリつもってゐること位、誰にでも判ってゐるであろうが。
神示で掃除せよ。
大病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよい
のか。
信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。
奇跡的に治るとみるのは間違ひ。
迷信ぞ。
時間もいり手数もいる。
物も金もいる。
大き努力いるのであるぞ。
取違ひ多いのう。
夏の巻 第09帖 (726)
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◆卑近なところを例えに出すと、まさに、神示の解釈をウんで、自分の成長の糧とし
て、ナッテ来ている?
無限のものと、有限のものと、ムとウとをまぜまぜにして考へるから、人民の頭は
兎角ウになりがちぢゃぞ。
慾、浄化せよ。
夏の巻 第23帖 (739)
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ウはムであるぞ。ウとは現実界ぞ。
ムとは霊界であるぞ。
ウもムも同じであるぞ。
ムからウ生れて来ると申してあること、よく心得よ。
神の仕組、狂ひないなれど、人民に判らねば、それだけこの世の歩みおくれるのぢゃ。
この世は人民と手引かねばならんから、
苦しみが長くなるから、
千人万人なら一人づつ手引いてやりても やりやすいなれど、
世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組であるから、
人民 早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。
秋の巻 第25帖 (766)
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食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。
霊の栄養大切。
自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。
更に、又奥の自分と和合せよ。
一番奥の自分は神であるぞ。
高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。
為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、
歓喜ぞ。
その自分出来たら天を自分とせよ。
天を自分にするとはムにすることぞ。
○に化すことぞ。
ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。
月光の巻 第25帖 (812)
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◆ある意味、神示を読み解いていく作業は、自分の魂に問い掛けることにも繋がって
いるのかも知れませんね。
自分の内面・魂に問いかけまたハラに収めていくことの繰り返し、その精度が上がる
に連れて、無限のつながりとなっていくのかもしれません。
有とは無の一部である。
なぜなら無とは本来無限であり、その現れの一部として有があるから。
とでも言えるのでしょうか。
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