トッチさんのメール
トッチです。
11月5日のjulaさんのメールですが、今見れば又思う所がありますので、ちょこっと取り上げました。
長くなりますので「碧玉の巻 第10帖(874)」だけにしておきます。
●の部分にコメント入れてます。
julaさんのメールの一部
jula です。
一昨日あたりから”古事記神話の真解釈”で気になった語彙で検索して適当に抽出、眺めてます。
まだ、まとまった解釈段階には辿りついていませんが、
「もしかして比率を言っているのかな?」
という部分などがありました。
岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
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★二人で産んだので十までは卵の状態で産んだ。で八と残りの二つ(九、十)を各々が分けた?
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●難しく書かれてあるようですが、ようは、仕組みの最後に都市攻撃、ノアの大洪水の2つが残っていますよと言っているのではないでしょうか。
残りの2つが強調されています。
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五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、
総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。
一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
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●「夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから」
「抱きあう時節が来た」
イザナギを善、イザナミを悪として、善と悪が区別されるようになり、それぞれが一方的になり岩戸閉めとなった。
そして、イザナミ、イザナギが相抱き合うとは、つまり臣民が悪を抱き参らせる事を理解出来る迄に向上した時が本当の岩戸開きとなると言う事を言っているのではないでしょうか。
携挙後に次の世でも大変な仕事が待っている事と思いますが、ミロクの仕組みが軌道に乗った時、初めて本当の意味で岩戸が開いたと言えるのかもしれませんね。
同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、
名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろうて、三つとなるのぞ、
三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。
次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、
大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。
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●「ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞ」
アマテラスが顔を出した時は、岩戸開きではないと言う事でしょう。
日本人は、今のこの世は岩戸が開いている世の中であると古事記に(編集した何者かに)騙され続けているようです。
真の岩戸開きは、言わずと知れたこれからとなります。
次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、
素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。
天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、
よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、
命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、
アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、
あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、
アラフル(現生る)神であるぞ、
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、
取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。
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●「素盞鳴命に総ての罪をきせて」
作為的にスサノオが悪者にされたと捉える事が出来ますね。
誰が、何のためにそうしたのかが問題です。
このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、
天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、
夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、
間違へてはならんことぞ。
神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、
仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、
これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
碧玉の巻 第10帖(874)
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●厳密に言えば、岩戸は何回も閉じたり開いたりしているのではなく、閉じっぱなしなのでしょう。
神サタンが作った世であればスタートから閉じっぱなしなのかもしれませんね。
それでも根本には大元の神の真理が、ミロクの仕組みが根付いています。
サタンも段階を追って、そのつど世の中を操作してコントロールしていかなければ、将来見込んだ収穫が出来なくなるのかもしれません。
サタンが世の中を良い牧場として維持していくために操作する過程が何回もの岩戸閉めと見ることが出来ると思います。
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