岩戸閉めに関する太陽の平易意訳
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julaさんとトッチさんが、 「岩戸閉めに関する太陽の平易意訳がみつからない」 とメールしてくださったお陰で、岩戸閉めに関する太陽からのメールがひふみ神示の解読に専念されているみなさんに届いていないのではないかと思いましたので、太陽にお願いして再送していただきました。 以下がその再送メールです。
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昭和三十六年五月六日、旧三月二十二日(1961年) (ひふみ神示 第三十二巻)(874) 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、 ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、 十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、 十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、 五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、 総て神界のこと、霊界のことは、 現界から見れば妙なことであるなれど、 それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。 一ヒネリしてあるのぢゃ、 天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。 夫神、妻神、別れ別れになったから、 一方的となったから、 岩戸がしめられたのである道理、 判るであろうがな。 その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、 色々なものをお生みになったのであるが、 それが一方的であることは申す迄もないことであろう、 妻神も同様、黄泉大神となられて、 黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、 この夫婦神が、時めぐり来て、 千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、 うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。 同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、 名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、 この二つがそろうて、三つとなるのぞ、 三が道ぞと知らせてあろうがな。 時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、 大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、 ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。 いよいよとなって マコトの天照大神、 天照皇大神、 日の大神、 揃ふてお出まし近うなって来たぞ。 次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、 素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。 天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるから ツミと見へるのであって、 よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく 理解せずして罪神と誤って了ったので、 これが正しく岩戸しめであったぞ、 命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、 アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、 あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、 アラフル(現生る)神あるぞ、 天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、 取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。 このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。 絶対の御力を発揮し給ふ、 ナギ、ナミ両神が、 天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。 素盞鳴の命にも二通りあるぞ、 一神で生み給へる御神と、 夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、 間違へてはならんことぞ。 神武天皇の岩戸しめは、 御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。 神の世から人の世への移り変りの事柄を、 一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、 人皇として立たれたのであるから、 大きな岩戸しめの一つであるぞ。 仏教の渡来までは、 わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、 仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、 クラヤミの世となったのであるぞ、 その後はもう乱れほうだい、 やりほうだいの世となったのであるぞ、 これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。
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{第一回の岩戸閉め} 岩戸閉めの始めは ナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時です。 ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるのです。 十の卵を八つ生んで、二つ残して行かれたのです。 十二の卵を十生んだことにもなるのです。 五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。 総ては 神界の出来事、霊界の出来事は 現界から見れば妙なことに見えるのですが、それはそれで、ちゃんと道にはまっているのです。 一ヒネリしてあるのです。 天と地との間に大きレンズがあると思えば、段々に判るようになります。 夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのです。 この道理は 判るでしょうね。 その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは云う迄もないことです。 妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育てたのです。 この夫婦神が、時めぐり来て、岩穴の千引の岩戸を開かれて相抱きかかえる時節が来たのです。 嬉し嬉しの時代となって来たのです。 「同じ名の神」が到るところに現はれて来るのです。 名は 同じでも、働きは 逆なのです。 この二つが揃って、三つとなるのです。 三が道ですと知らせています。 時が来ましたら、この千引の岩戸を倶に開くのです。
![]() {第二回の岩戸閉め} 次の岩戸閉めは 天照大神の時でした。 大神は まだ岩戸の中にいるのです。 ダマシタ岩戸からは ダマシタ神がお出ましになつたのです。 いよいよとなって誠・真の天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ってお出ましになるのです。 そのお出ましの時期が近うなって来ました。
![]() {第三回の岩戸閉め} 次の岩戸閉めは 素盞鳴命に総ての罪をきせて「ネの国」に追いやった時でです。 素盞鳴命は 天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神です。 天ヶ下(あめがした)は 重きものの積もり固まりたものであるから「積み」罪と見えるのです。 よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったのです。 (言葉の「積み」と「罪」を間違ってしまつたことにあるのです) これが正しく岩戸閉めあったのです。 命(みこと)をアラブル神と云い伝えていますが、アラブル神とは 粗暴な神ではありません。 暴れ廻り、壊し廻る神ではないのです。 アラフル(現生る)神あるのです。 (「アラフル(現生る)神」と「アラブル神」と取り違えたのです。) 天ヶ下、大国土を守り育てくれる神であります。 取り違いしていて申しわけないでしょう。 このことよく理解出来なければ、今度の大峠は 越せません。 絶対の御力を発揮してくれる、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神なのです。 素盞鳴の命にも二通りあります。 一神で生んだ御神と、夫婦呼吸を合せて生んだ御神と二通りあります。 このことを間違えてはなりません。
![]() {第四回の岩戸閉め} 神武天皇の岩戸閉めは 御自らが人皇を名乗るより他に道がない迄の働きをしたからです。 神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、神を岩戸に隠して「大和磐彦命」として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるのです。
![]() {第五回の岩戸閉め} それでも、仏教の渡来までは、わずかながらも真・誠の神道の光がさしていたのです。 しかし、仏教と共に仏魔が渡って来て、完全に岩戸が閉められたのです。 暗闇の世となったのです。 その後は もう乱れほうだい、やりほうだい、の世となったのです。 これが五度目の大き岩戸閉めであるのです。
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トッチです。 千成さん、ありがとうございます。 このメールが見つからなかったおかげで探しているうちに神示関係のメールを全部読み返すことになりました。 す〜んごい量でしたが、忘れていた事も幾つか目に留まり結果として良かったと思います。 この神示を読むと何となくうろ覚えで色々と勘違いをしているのが分かりました。 5回のうちの3回は神の世界の話ですが、 julaさんご紹介の黄泉の国の解釈を参考にしますと、 「イザナギとイザナミが別れてこの世はイザナミ的世界に支配されたと」 この世での現象に当てはめる事も出来そうですね。 いずれにしても、岩戸開きを迎えなければならなくなったのは、岩戸閉めがあったからであって、原因があって結果がある法則に従うならば、正しく結果に対応するためには原因を知る事が大切かもしれませんね。 でなければ盲腸の患者に胃薬を与えて満足する事になりかねませんと言う事で。 十の卵を八つ生んで、二つ残して行かれたのです。 十二の卵を十生んだことにもなるのです。 五つの卵を四つ生んだとも言えるのです。 8÷10=0,8 10÷12=0,83 4÷5=0,8 8割に意味でもあるのでしょうか?
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julaさんとトッチさんが、「あるはずのメールが見つからない」 と言ってくださったお陰で、太陽からのメールが、ひふみ神示解読に 専念されている方々に、届いていないものがあることがわかりました。 トッチさんもjulaさんも、いろいろ探し回られたようですね。 トッチさん、あの膨大なメールを全部読まれたのですか! 本当にご迷惑をおかけしたようで申しわけありません。 太陽が、コピーを持っておられて助かりました。 これからはそのようなミスががないように気をつけたいと思います。
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