以下の文章は、
池澤夏樹ウェブサイト「インパラ」
 http://www.impala.jp/century/index.html
著者名:池澤夏樹 発行元:(有)インパラ
メール・マガジン「新世紀へようこそ」より転載しました

新世紀へようこそ 064

 平和について

 あけましておめでとうございます。

 1年のはじめですから、平和について考えてみたいと思います。

 戦争と平和はいつでもセットで扱われます。
戦争でない状態が平和、平和でない状態が戦争。

 それはそれでもちろん正しいけれど、もう一歩踏み込んで考えてみると、
この二つの言葉は、たとえば昼と夜のように、全面的に対であるわけではない。

 平和主義者はたくさんいます。

 あなたは平和主義者ですかと問われて、いいえと答える人はまずいない。

 しかし、戦争主義者はいません。いるのはその時々の状況に応じて戦争という
選択肢を採る人です。その人も常に平和よりも戦争がいいと主張するわけではない。

 戦争の専門家である軍人たちでさえ、自らは戦争の手段と技術を持つことによって
平和を維持しているのだと言います。 Peace is our business (平和は我らの職務)
というのは、たしかアメリカ軍の標語だったと思います。

Peacemaker という名のピストルもあった。

 戦争で潤う立場の人はいます。

 今のアメリカに見るとおり、戦争になると政治家は人気が出ます。

 武器を作って売る企業は、戦争になって武器が大量に消費されれば
多くの利を得ることができる。また、戦争は彼らの商品の見本市であり、
新製品の威力を実証するよい機会です。

 それでも、政治家も武器のメーカーも戦争主義者ではない。彼らが喜ぶのは
他国での戦争であって、自分の国、自分の町が戦場になることを望むわけではない。

 戦争と平和の関係は、火事と消防の関係に似ています。

 人間が火を使うようになった時から、火事は人間の生活に入り込んできました。
家が燃えてしまって、財産がすべてなくなる。家族が死ぬ。

 文明の発達で人々が狭い地域に集まって暮らすようになると、
火事の規模も大きくなりました。一軒の火事が燃え広がってたくさんの人が死に、
町ぜんたいが灰になる。

 火事は不幸です。火事はなんとしても防がなければならない。
もっとどんどん火事を起こすべきだという火事主義者はいない。
しかし、火事は起こる。

 だから、人は消防という一連の努力のシステムを作ったのです。

 火事が起こった時にすばやく消すために、町ごとに消防自動車を用意しておく。

 それ以上に、普段から人々に火の用心を呼びかけ、消火器の設置を促し、
新築の建物には耐火構造を義務づけ、大きな建物ならばスプリンクラーなどの
設置を強制する。

 これらは行政の仕事だと思われていますが、行政は常に住民の意思を受けて動きます。消防活動の背後には、住民のみなが支持する消防の思想があります。

 では戦争はどうか。

 争いは人類の起源以前からありましたし、技術の発達につれて
次第に規模が大きくなってきた。

 はじめ小さな集団の間で戦っていたのが、今は国と国が戦って大量に人を殺します。

 戦争は不幸です。それはまちがいない。

 わかっていても戦争は起こる。火事の場合に炊事の火やタバコの火の不始末とか、
漏電とか、放火とか、原因がいろいろあるように、戦争の原因もさまざまあります。

 その原因を日常の努力で一つ一つ抑え込む。万一にも燃え始めたらすぐに消す。
延焼を防ぐ。

 平和主義とはそのための努力のことです。

 努力は具体的でなければならない。

 国民がみなで日に三回、平和平和と唱えたところで、平和は来ない。
戦争反対と叫べば、間近に迫った戦争がすごすごと帰ってゆくわけではない。

 戦争が起こるからくりを知って、それに対抗する方策を考え出さなければならない。
 
 戦争が火事に似ていると言っても、違うところもあります。
 戦争の原因は、火事で言えば放火にあたる場合が多い。とても多い。

 人が戦争を始める基本的な動機は支配欲です。
もっと広い領土が欲しい。隣の国も自国の一部にしたい。
他の宗教の信者を力づくで改宗させたい。あるいは広い
領域ぜんたいの盟主になりたい。世界を支配したい。

 国外の資源が豊かなところを植民地にしたい、というのも戦争の動機になります。
あるいは、手にした植民地を手放したくない(第二次大戦の前、日本は「満州は日
本の生命線である」と言っていました。満州がなかったら日本は生きていけないという
意味ですが、現実には日本は満州なしで栄えています)。

 石油や天然ガスのような経済的な権益も一種の領土欲です。
逆に商品を売るマーケットを求めて戦争を始める場合もある。

 要するに、一国の国民の豊かな暮らしのために、遠いどこかで戦争が起こる。
 そういう戦争を防止するには、豊かな暮らしの内容を再検討する必要が生じる。
無用の浪費と豊かさは違うということに気づくきっかけがいる。

 昨年の9月11日から後、国際社会という言葉が何度となく使われ、
その実態が「お金持ちクラブ」にすぎないとぼくは書いてきました。

 この考えを巧みに表現した『世界がもしも100人の村だったら』という本が
ベストセラーになっています(マガジンハウス刊)。

 もともとはEメールというメディアに乗って広まった新しい形の民話で、
ぼくも何通か受け取っていました。それが本の形になった。

 内容は簡単明快。

 63億の人口を持つ今の世界を仮に人口100人の村に置き換えてみると
どういうことになるか。

 性別、人種、宗教、言語、生活の状態、などなどで人を分けてみる。

 すると、100人のうちの「20人は栄養がじゅうぶんではなく、1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです」とか、「1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターを
もっていますけれど、14人は文字が読めません」などという事実がわかる。

 たくさんの人がこの本を読んでいるというのはとてもよいことです。

 こういう考えかたが、長い目で見れば、戦争の防止の役に立つ。

 実際には「お金持ちクラブ」の欲望には限りがなく、新たな戦争の火種は
たくさんあるけれど、だからこそこの本は火の用心の役に立ちます。

 アメリカのブッシュ大統領は「2002年は戦争の年になる」と言いました。

 真意を読めば、「戦争の年にする」ということです。
彼の今の人気は戦争を続けなければ維持できない。

 2002年を平和の年にするために、火事を出さないために、「100人の村」のような
知恵がもっともっと必要だと思います。

        (池澤夏樹 2002−01−01)