今回は、南京の占領時期について考えてみようと思います。
南京が何時占領されたのかについては、12月13日説が有力なようです。
例えば
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/paneruten3.htm
>●南京大虐殺
>1937年12月〜38年1月
>上海を制圧した日本軍は総退却する
>中国軍を追って南京へ殺到した。
>12月13日首都・南京を占領し、それ
>から約2ケ月間、中国民衆を無差別に
>虐殺。被害者の数は20万人以上
>(中国側30万人以上)とされている。
http://www.c20.jp/1937/12gyaku.html
>1937/12/13 南京占領
12月13日に南京が陥落したという点については、問題ないと思いますが、
果たして、占領も同じ認識でいいのでしょうか?
というのは、国際法の文献によると占領の条件て結構、厳しいんですよね。
たとえば「戦時国際法論」(立作太郎)では、占領の条件として次のように書かれています。
■「戦時国際法論」 立作太郎 日本評論社 P235
占領が一地方に於て實効的に行はれたりと言ふを得るには、領土所屬國が既に之を占有せざるに至り、住民が兵器を操りて敵對を行ふことなきに至り、侵入軍に於て生命財産を保護し、秩序の維持を確保する措置を爲し、且必要あれば
相當の時間内に占領軍の權力を行ふ爲に部隊を送り得ることをもって足れりとする。
南京の場合は、この中でも特に「秩序の維持を確保する措置を爲し」という部分が問題になるでしょう。
一説には2万5千もの中国兵が、市内に潜伏したといわれています。
これは、中国軍に於いては、二箇師団以上の兵力です。
もし大規模な市街戦が展開されれば市民にも、多数の犠牲者が出ることが予想されます。
これでは、とても「秩序の維持を確保する措置を爲し」とは言えないでしょう。
これに類似するものとしては、次のような学説があります。
■「戦時国際法提要(上)」 信夫淳平 照林堂書店 P692
侵入は軍を敵の領土に(將た軍用航空機を敵の領空に)單に進み入れたに過ぎない。
敵地への侵入期間は敵軍の抵抗期間である。その抵抗が刀折れ彈盡きて止み、
遂に戰地を侵入軍の手に委棄して退却するに至り、 に舞臺は一轉して占領に入るのである。
これに従うと敵軍の「退却」が占領の条件になるでしょう。
これも大勢の敵兵が殘留している状態では、条件を満たしているとはいえません。
そして占領以前は、「敵軍の抵抗期間」ということになります。
また、次のような記述もあります。
■「戦時国際法提要(上)」 信夫淳平 照林堂書店 P691
侵入軍が侵入地の敵軍を單に撃攘しただけでは、未だ以て占領と稱するにたらず、之に加ふるに
侵入地に於ける敵國の政治的權力を驅逐して主權行使を不可能ならしめ、侵入軍が代つて
敵國の主權を行ふの事實あるに及んで、 に始めて占領の觀念を認むべきである。
これによると侵入軍の主権の確立が占領の条件となります。
これは、次の学説とも一致します。
■国際法講義案(戦時) 前原光雄 慶応通信 P296
進んで侵入軍がそこにある種の統治權を確立した場合において、初めて占領が
行われたものと解すべきである
以上の学説をまとめると、侵入軍が敵國の兵力を排除し、「敵國の主権」が侵入軍に移り「統治權を確立」した場合に
始めて占領といえることになるでしょう。
では、南京の占領は、何時なのでしょうか?
まず、南京防衛軍の兵力が排除された時期ついて、検証してみましょう。
すでに、述べたように、南京には多数の中国兵が、潜伏しました。
陥落直後から残敵の掃討が始まりましたが、九師関係資料によると12月下旬までに
約7000人の敗残兵を掃蕩したということです。
この時期は、他の部隊による掃蕩も行われていましたから、それらも合わせれば、摘出数はもっと多くなるでしょう。
その後も、1月5日までに16師団が査問工作により、約4000人を摘出し、さらに特務機関と天谷警備支隊の協力で
2月下旬までに約500人が、そして3月には数十人が摘出されたということです。
これらの資料から分かるのは1月5日以前と、それ以後では、摘出数に大きな差があるということです。
3月までの摘出数の内、少なめに見積もっても95%以上は1月5日までに処理されていたと考えられます。
次に統治権が確立された時期について考えて見ましょう。
南京陥落時点では、国際安全区委員会が準行政機関として機能していました。
これとは、別箇に日本軍による統治機関が成立するのは、翌年1月1日の自治委員会発足を
待たなければなりません。
そして特務機関報告によると1月5日に安全区の住民を自治委員会が接収し、1月10日に
治安維持のため警察庁が設置されたということです(立によれば占領には「秩序の維持を確保する措置」が必要)。
敵兵力の排除が1月5日には、ほぼ完了の域に達していたことを考え合わせると、
南京占領は、1月上旬と考えるのが妥当でしょう。
逆に言えば、1月上旬までは、戦闘状態(「敵軍の抵抗期間」)が継続していたことになります。
2005/08/20
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