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■昭和十三年十月刊 十三年版 最新支那要覧 東亜研究会 P255〜258
1、戰前の編成
支那軍の平時單位は師で、これは通常約一萬四千、一萬一千、七千の三種があり平均九千餘と
算定される。一個師は歩兵二旅(六團)または三旅(六團)を基本とし、これに特科隊を配するも、
必ずしも一定していない。師の下に左のものがあり、その編成は次の如くである。旅―團(三營)
―營(三連)―連(三排)―排(五班)―班(三伍)―伍(二人一伍)、而して師の編成を詳しく云へば
次の通りである。
甲種師―歩兵三旅(一旅は二團)を以て基幹とし特科兵を配屬する
乙種師―歩兵二旅(一旅は三團)を以て基幹とし騎兵一連、砲兵一營、工兵一營、輜重兵二營(一連)
及び特務連(一連)を配す。
丙種師―歩兵二旅(一旅は二團)を以て基幹とし騎兵一連、砲兵一營、工兵一營、輜重兵一連
及び特務一連を配す騎兵師―騎兵二旅(一旅は二團)を以て基幹とし機關銃一連、迫撃砲一連、
特務一連を配屬する
かくの如く種々雑多な状態であり、且つ地方軍と中央軍の區別も亦雑多、これがため近年軍事
の統一と整頓運動が起り、中央軍中の整理師團を基本に漸次、統一整頓がなされつゝある。
師團を單位として軍、路軍、軍團がある。軍は師團を二個乃至數個を集めたもので、路軍は軍より
も更に大きなものであるが、二個乃至數個の軍を集めた集團軍である。軍團は更らに路軍を數個
集めたものである。これまで軍團は事實上存在しなかつたが、事變發生の危險に備へてこれが組織
に着手し、前述の如く四軍團が組織された。而して路、軍ともに決定的な組織をなしてをらず、暫定的
の域を脱してゐないが、蒋介石の整理師團の建設進行につれ、この師團を中心に新組織を作らんと
しつゝあつたのである。
2、事變による編制の変化
前項でのべた如く支那軍は整理師團の編成を全軍に及ぶことと、地方軍の大整理團編成につとめ
てゐたところに事變が起こつた。その結果地方雜軍の整理は相當目的を達してゐる。蒋が整理團
編成の目的とした廣西軍の如きは上海、南京兩戰線及び徐州戰線で大半を失つてしまつた。また
これまでの戰鬪において四川軍、舊西北軍、舊東北軍、廿九軍なども大損傷を受けた。而して對日戰爭
といふ雪崩れの如き動きから支那軍は一應共同目的にかりたてられた結果、彼等の間にあつた内部
對立の表現が阻止された。そのため中央、地方の區別感情が薄らいだ。更らにある軍事専門家は
「上海南京戰、徐州戰等で蒋直系軍の損傷は以外に大きく、蒋直系軍中には師團名をのこすのみと
なつたものもある始末で、直系軍と雜軍との差等がなくなつて來た」とさへいつてゐる。これは少し
どうかと思ふが、中央、地方の對立關係の薄らぎは一應考へられる。ことに戰爭の中で、國府軍事
首腦部は從來の路軍を小さくし、軍即ち軍團化を行ふとともに、路軍並びに軍の大小を訂正し、一軍
五個師程度のものに編成がへをなした。これは用軍上の都合から、小軍團化して多數の軍團を作つた
ものである。こうしたことは支那の情勢から見て平時においてはなか/\出來難いこととされたものを、
戰時の必要に應じ、案外簡單に行つてゐる。更らに師團兵員もまち/\であつたが大體一萬見當
に平均された。併し以上はあくまで原則で、百三十萬の大軍の損傷から來る師團兵員の不均衡甚しく、
打撃を強く受けた師團は極力補充されはしたが、五千乃至三千のものさへ出來てゐるのである。かくて
中央地方の關係を薄めたことゝ、路軍、軍の均一編成といふ點では多年の懸案を多少解決はしたが、
軍の單位たる師團の兵員は極めて不均衡となつたのである。
中国軍の師は「平均九千餘」ということですから、南京に潜伏した兵士の数が二万五千だとすると、
一個師の2.7倍の兵力になります。
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