■「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 P306
補 遺
生存者のなかで、約半数の方とは会うことができなかった。ほとんどの人が
病気であったからである。それでも、多くの方は手紙なり葉書なりで、南京の
様子を知らせて下さった。数年間にわたって、度々手紙のやりとりをした方もいる。
会えなかった人と、その人たちの見た南京の様子は、次の通りである。
この「会えなかった人」のなかに石川達三氏も含まれているわけです。
次に石川氏について書かれた部分を掲載します。
■「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 P312
戦後になり、『生きてゐる兵隊』は南京事件を扱った小説と言われるようになった。
昭和五十九年十月、インタビューを申し込んだが、会うことはできなかった。理由は後で
わかったが、それから三ヶ月後の昭和六十年一月に石川氏は肺炎のため亡くなった。
インタビューを申し込んだ時は胃潰瘍が良くなりつつあったが、会えるような状況では
なかったのである。しかし、そのおり、次のような返事をいただいた。
「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。
何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じては
おりません。」
上の引用文と合わせて考えれば、手紙あるいは葉書でやりとりしたと
考えるのが自然だと思うのですが……。
チャンネル桜の方では一月ほどで、石川さんが亡くなったと言っていましたが
記憶違いでしょうか?