【参考資料 南京戦】
チャンネル桜 阿羅健一
阿羅健一と石川達三
NYT指揮官不在

 


 

<HOME>

 チャンネル桜 報道ワイド日本 阿羅健一
報道ワイド日本ゲストスペシャル 阿羅健一(本放送10月21日)
放送日:11月21日18:00〜23:00
キャスター:三輪和雄・桜林美佐

この番組の中から石川達三氏についての会話を抜き出してみました。



■三輪
これもあのー私、これは、阿羅さんの時じゃない時も申し上げましたけど、 当時あの第1回芥川賞受賞作家の石川達三氏などもね、いたんですけど、 彼もですね戦後、石原慎太郎さんが、その石川達三さんに、これは 石原さんの本に出てますけど、ほんとにあったんですかと聞いたら、 そのぉ言を濁したと。
というのは、あの人は、その社会党シンパのような 立場でありましたからね、無いとは言えないんだけれども、しかし〜 彼は、戦後も日本軍の旧悪なるものを、どんどん暴露してったわけです から、もしほんとにあったらね、もぉそれはもぉぼんぼん言ったと 思いますね。で、あの人が言わなかったというのは、やっぱり作家的な良心 があったんでしょうね。
だからねぇわたしもねぇあの〜まあ阿羅さんと、 だいたい同じ年なんで、ま幸いにしてね、もうちょっと若いころに、 えぇ当時、ま、こういう仕事をするってことがわかってたらもっと取材して たんですけど、ほんとにねぇ世間話のような形で聞いたんですけど も、誰からもねぇ聞いたことないですね、あのぉ、ほんとに。
で、この取材の過程で、えー少しはこのー何十万人があったという ようなことを感じさせるような証言と言うのは、まったく無かったですか?

■阿羅
ええ、いやもう、まったくありません。
それで今、あの石川達三さんのあのぉ名前が出たんですけどねぇ、 やはりあのぉ私も当時石川さんがまだ存命中だったんです、ええ、 それで、あの、手紙を差し上げて、その石川さんが南京でどういうのを 見たんですかと、その話を聞きたいんです、手紙を差し上げたらですね あのぉ葉書が返ってきて、ええ、それで、あの今、南京事件というのが 言われてるようですけど、私は信じませんと。

■三輪
あーそうですか。

■阿羅
そういう、あの。

■三輪
それは石原さんの本よりもすごいわ。

■阿羅
ええ。

■三輪
あーそうですかぁー。

■阿羅
そういうあの葉書をいただいて、それでねそれからねぇ。

■三輪
あーこれ阿羅さんは、いろんなところで言ってくださいよこれは。

■阿羅
ええ。

■三輪
えへへへ。 これはすばらしい……

■阿羅
えーでもね、あとで考えてみるとですね、それから一月ほどで、 石川さんが亡くなったんです。

■三輪
あーじゃぁ亡くなる……

■阿羅
ええですからもう最後のね、もうとにかく、あの、えー元気だったらたぶん 会えたん、会ってくれたんだと思います。 ええ、そのことも簡単にここ(本を手にとって)に書いてます。

■三輪
あ、そうですか……あの……でした。 これはねーちょっと大変な歴史のねー証言ですわねぇ。 あのー特にねー石川達三さんて人が、あの保守派で無いだけにね、 これは万鈞の重みがあると思いますねぇ。



*……はよく聞き取れなかった部分
*阿羅氏が手に取った本は『南京事件 日本人48人の証言』(小学館文庫)
*()は筆者加筆


 阿羅健一と石川達三
■「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 P306
補 遺
 生存者のなかで、約半数の方とは会うことができなかった。ほとんどの人が 病気であったからである。それでも、多くの方は手紙なり葉書なりで、南京の 様子を知らせて下さった。数年間にわたって、度々手紙のやりとりをした方もいる。 会えなかった人と、その人たちの見た南京の様子は、次の通りである。

この「会えなかった人」のなかに石川達三氏も含まれているわけです。
次に石川氏について書かれた部分を掲載します。

■「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫 P312
 戦後になり、『生きてゐる兵隊』は南京事件を扱った小説と言われるようになった。
 昭和五十九年十月、インタビューを申し込んだが、会うことはできなかった。理由は後で わかったが、それから三ヶ月後の昭和六十年一月に石川氏は肺炎のため亡くなった。 インタビューを申し込んだ時は胃潰瘍が良くなりつつあったが、会えるような状況では なかったのである。しかし、そのおり、次のような返事をいただいた。
「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。 何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じては おりません。」

上の引用文と合わせて考えれば、手紙あるいは葉書でやりとりしたと 考えるのが自然だと思うのですが……。

チャンネル桜の方では一月ほどで、石川さんが亡くなったと言っていましたが 記憶違いでしょうか?


 ニューヨーク・タイムズ 1938年1月9日
■「南京事件資料集 1 アメリカ関係資料編」 南京事件調査研究会 編訳 青木書店 1992年 P441
 日曜日に、唐は、日本軍が市内深くに侵入するのを阻止するため、小さな部隊を防戦にあたらせながら、 総退却の配置をして、状況を救う何らかの努力ができたはずである。が、そのようなことがなされた気配 はない。ともかくも、状況は改善されず、唐の逃亡を彼の參謀たちにさえ知らせず、指揮官のいない軍隊を置き去りにしたことは、完全な瓦解の合図となった。
 南京攻防戦においては、双方の軍ともに、榮光はなきに等しかった。



<HOME>