<年譜その3>

CHRONICLE

PART3
転落編
 
 
Like a rolling stone......
時期
No.9
(1991〜1993)
28〜30歳
車名
FXSTC1340
(HD) 新車
27歳の時、福岡から東京へ異動。その年に色々ワケあってVmaxを手放す。そして翌年自分を変える出来事(?)が発生。程なく貯金を注ぎ込んで1台目のHDを入手。思えばこの年が、私の分不相応な2輪道楽への転落人生、本格的な始まりであった。このバイクでは3年間で3回の阿蘇チョッパーミーティング参加を含め、古巣の九州まで5回自走した。休日があまりとれないので、いつも東京=福岡間(片道1200キロ)は高速オンリー(早朝出発の当日夜到着)で疲れただけであった。当時とにかく貯金を全て使い切る決心をしていたので、マフラーを換え(約10本)ハンドルを換え(約5本)タンクを換え(2個)キャブを換えフォークを換えリアサスを換えホイールを換えフェンダーを換えカムを換えハンドシフトに換え、あげくに「ツバサコーポレーション」でナイトロを搭載してもらった。ナイトロを積んで福岡へも自走した。ただし3回目のチョッパーミーティング行きで、名神走行中ボンベのステーが折れて脱落、ホースでつながったボンベをガランゴロンとアスファルトに引きずって焦った。勿論中身はいわゆる笑気ガスなので、爆発などしないのだけど・・・。
時期
No.10
(1993〜1994)
30〜31歳
車名
Servi-Car750
(HD)
1962年型
エボにもそろそろ飽きた頃、何か変わったものに乗りたいという欲求と、ノーヘルはハゲ対策にも良さそうだという悪魔の囁きで、トライクへの乗り換えを決意。当時は今ほどトライクの種類がなく、HDオリジナルのサイドバルブ750を積んだサービカーが第一候補となった。ここで自分の未熟さ故、ショップ選びで大失敗することとなる。当時上野の今は亡き某HD専門店(ナンバー1とかなんとか名乗っていたような)が唯一複数台のサービカーの在庫ラインアップを雑誌広告に載せており、その中で当時「別冊モーターサイクリスト」誌でも特集された車両そのものが「バーゲンプライス198万円」として宣伝されていた。ただし仮契約後3名乗車用のシート作成で20万円(最終的に納車された時のシートは、どう見ても古い軽自動車から取り外したベンチシートにしか見えなかった)、トライクの登録が難しいやらなんやらで、支払い総額は300万円にまで膨れ上がった。その頃の私は子供のごとく純真で人を疑うことを知らず、トライク欲しさで頭も子供のごとく一杯となっていたこと、4万キロ走行のエボが予想外に良い値で売れたこと、既に金銭感覚がマヒしていたことなどから、そのまま言い値で本契約してしまった。ところが納車車両はとても3名乗車などできるものでなく、おまけに機械的な状態も酷いものであった。散々苦労したあげく、後に「フリーダム」や「アーリーライダース」の助けを得て生まれ変わることができた。詳細は「トラブル」の項参照。
時期
No.11
(1993〜1993)
30〜30歳
車名
Savage650
(スズキ) 中古
サービカーが「アーリーライダース」に長期入院(約1年間)となってしまったため、その間の足として10年前に乗っていたGN400Eの直系であるサベージを入手。当時既にブームだった国産アメリカンの中でも、相変わらず一番の不人気車種であった。良いバイクだったと思うがその小ささ軽さにいまいち不満がたまり、僅か数ヶ月で手放してしまう。
時期
No.12
(1993〜1994)
30〜31歳
車名
GL1500
(ホンダ) 中古
手放したサベージの代わりに88年型ゴールドウィングを入手。これで毎週末のように都内から茅ヶ崎の山中にあった「アーリー」まで、サービカーの進捗状況を見に通っていた。でっかくて楽ちんで、ステレオの出来が素晴らしいのには感動した。マフラーのエンドバッフルを抜いた6発のサウンドも、HDとは違った気持ち良さに浸ることができた。ロングツーリングに使えば最高だろうと思ったが、結局殆ど都内=茅ヶ崎間定期便の専用バイクであった。
時期
No.13
(1994〜1995)
31〜32歳
車名
FLT1340
(HD) 1980年型
サービカーは1年の期間を経て見違えるように生まれ変わり、無事にハーベストにも参加できた。しかし都内では次第にそのアンダーパワーや、渋滞を抜けられないこと(当たり前)が気になり始め、同時に出来の良すぎるゴールドウィングにも2年を経たずして飽き始めてしまい、またもや上○のワナにはまる。今度は上○界隈にやたらと店舗を展開している、社長の放送が煩い某有名店である。このFLTはショベルのラバーマウント+5速+ヘンなステアリング・ヘッドという、偏向したマニア好みだが一般的にはフレームがカスタムに不向きとされ、普通のHDファンには見向きもされないセットアップである(知らずに乗った私は、後に大変気に入ったのだが)。当時の私は単純にエボよりショベルの方がモーターのデザインが好みだし、味も濃いらしいし、まあ壊れることには随分慣れたし、と言った状態で、60万円の値札に飛びついてしまったワケである。速攻でゴールドウィングを下取りに契約。まあモーターはくたびれているだろうなあ程度は覚悟していたものの、納車後酷い目に遭った。おまけに馴染みのshopには、「FLTなら20万ぐらいで見つけてあげたのに」とトドメを刺された。勿論悪いのは学習しなかった自分である。即ち○野でバイクを買うのは○○○○だということ
時期
No.14
(1995オーダー
1997完成〜
1999) 32〜36歳
車名
Paughco1600
(パウコ) 1997年型?
FLTは「サンダンス」でキックキットやセミトラを装備され、なんとか足になってくれるようになった。前後ローダウン&スクリーンカットしてやるとスタイル、乗り味が何となく蒸気機関車っぽくなって気に入っていた。とはいうものの白煙が酷くOHの時期をとっくに越えていることは明白であった(白煙ポッポッがまた機関車らしくて良かったのだが)。この時期「アーリー」時代に知り合った人が都内の自宅すぐ近くに独立してshopを構えたため、OHついでにストローカー組み込みを相談した。相談してる内に調子に乗ってしまい、気が付いた時にはリジッドフレームに社外ショベルモーターを載せることになっていた。それもS&Sコンプリートモーターでは能がないと、パーツ毎に各社選りすぐって組み上げてしまうという壮大な計画だった。計画はあまりに壮大で、完成まで2年を要した。ただし完成したモーターは、つい他人に自慢したくなるのに十分過ぎるほど自己満足させてくれる一流パーツの集大成(知らないヒトにはただの寄せ集め?)だった。詳しくは「過去の愛車File.2」参照。車検証上の車名は「パウコ」となった。ちなみにオーダーから完成までの2年間に、結婚という予想外のイベントが発生、完成時に残金を精算する際苦労することとなる。なおせっかく苦労して完成したパウコ号も、電装パーツとの巡り運が極端に悪く、またメカ的な完成度は高いものの乗り味(フィーリング)が自分の理想として期待していたものとかけ離れていたため、ハーベスト最終回に参加したのを含め僅か5000キロ程度を走行しただけで、次第に動かすこともなくなってしまった。詳しくは「トラブル」の項参照。
時期
No.15
(1995〜1996)
32〜33歳
車名
Specter1100
(カワサキ) ???
FLTはパウコ号オーダーと同時に、ベース車両として(フォーク、前後ホイールのみ流用)shop行きとなり、サービカーはその資金作りのため売却され、結果乗るモノがなくなってしまった。そんな私を憐れんで、会社のツーリンググループにおける上司がVmaxに乗り換える際に、年代ものの超レアバイクをタダで恵んでくれた。エンジンはローレプ直系の由緒ある空冷4発だが、シリンダーカバーの一部が欠けており、回すとオイルを噴く状態であった。車検切れまで数ヶ月間乗り回し、廃車。
時期
No.16
(1998〜1999)
35〜36歳
車名
ワルキューレ
(ホンダ) 中古
既にスペクターは廃車され、たまに乗ると出先で動かなくなるパウコ号はますます駐車場の肥やしと化し、まともにバイクに乗れない日々が続く内にワガママなジコチュー児並に増幅する欲求不満を抑えられず、精神的に危険な状態となる。借金が残っているにもかかわらずカミサンを泣き落としてワルキューレを購入。理由は「黒くて長い車体+流れる様なクロームメッキの組み合わせが何だか蒸気機関車みたいだ」、と思ったためである(笑)。どうも私のキーワードは「蒸気機関車」の様だ。この時点ではまだパウコ号を手放す決心はつかず、これだけは一生持ち続けるぞなどと息巻いていた。ワルキューレはハンドルを交換、トラップを装着してブイブイいわせていた。
時期
No.17
(1999〜2001)
36〜38歳
車名
RoadStar1600
(ヤマハ) 新車
パウコ号で自分が期待していたVツインのフィーリングが得られなかったことが、ずっと頭に引っかかっていた。そんな頃、同じ1600の空冷OHVで、ロングストローク、ヘビークランクを身上とするロードスターがデビューした。興味本位で試乗に赴いたところ、一発でまいってしまった。これぞ自分の求めていたもの(ショベル+ラバーマウント+5速のFLTフィーリング+α)とばかりに、速攻でワルキューレばかりかパウコ号も手放す決心をして、購入してしまった。こいつは個人輸入したパーツをどんどん組んでカスタムしていく程に、そのフィーリングを増して魅了してくれた。「過去のFile.1」参照。ただしこの蜜月も20台目にして最後の(?)バイクを入手するまでのものだった。
時期
No.18
(2000〜
37歳〜
車名
MHR900
(ドカティ) 1982年型
ロードスターは楽しかったが、ふと乗ってきたバイクを振り返ってみると、VmaxやHD、ゴールドウィング、トライクなど、どれも昔の自分にはとても手が届かないと信じていたモノ達だったことに、感慨を覚えた。感慨にふけるだけでやめておけば良いものを、その後段々と「それなら他にもたくさんあった、かってキラ星のごとく輝いて見えた憧れのバイク達にも、きっと手が届くはずだ」となり、散々懲りて封印したはずの外車の世界に再び目を向けてしまった。そう、20年前に原付免許を取った高校生の頃、当時の国産車には許されなかったセパハンやカウルをまとい、轟音に身を震わせながら疾駆する姿がまるでスーパーカーのごとく映ったイタリアンバイク、ドカである。それも憧れのモデルはずばりラウンドの750SSだが、さすがにそこまで無茶もできず、SSスタイルのMHR改を探し回って入手した。詳細は「MHR900」参照。
時期
No.19
(2000〜2002)
37歳〜38歳
車名
GSXR1100
(スズキ) 1990年型
ドカでヘタレなりにワインディングを走る楽しさを覚えてしまい、初めて国産4発スポーツに乗る気になってしまった。とはいえ最新のリッタースポーツに手を出すほどの気合いも金もなく、ここはやはりかってのあこがれ、油冷GSXRの89−90から一台、となった。デザイン的には88以前のブラックレイン・ユーサク仕様にとどめを刺すが、性能とデザインのバランスを考慮してこの型を選択。この時点で初めて3台のバイクを同時所有することとなった。
追記(2002.5.18)
とか言いながらやはり4発は面白いとは思えず、検切れを機に手放してしまった・・・。
時期
No.20
(2001〜
38歳〜
車名
BOSSHOSS
V8・8200
2001年型
21世紀の幕開け、記念すべき20台目、あと20年はもうバイクを買わないとカミサンに約束して買ってしまった・・・。購入に至る詳細は、別項参照。
時期
No.21
(2002〜
38歳〜
 
車名
SR500(ヤマハ) 1985年型
上で何か約束したよーな気がするが、いつの間にかGSXRがSRに入れ替わっていた。まあ3台体制は変わらずということで。
ホーム 更新記録 プロフィール 年譜その1 年譜その2
年譜その3 MHR900 GSXR1100 BossHoss SR500
過去のFile.1 過去のFile.2 過去のFile.3 過去のFile.4 過去のFile.5
トラブル ボスのアレコレ バイク日記 掲示板

Last updated: 2002/5/18