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PART1
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黎明編
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| 時期 |
No.1
(1981〜1983)
18〜20歳
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車名 |
MT−5
(ホンダ) 新車
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18歳の頃、突如バイクに目覚め原付免許を取得。そして記念すべきバイク雑誌購入1冊目は「ミスターバイク」50cc特集号。これをボロボロになるまで研究し、たどり着いた結論がこのバイクであった。ちょうど朝日新聞が例の「時速100キロ原付の危険性」キャンペーンを張った頃と前後していたと思う。入手したMT−5はまだリミッターなど付いていなかったが、勿論100キロなど出るワケもなく、メーターで最高85キロ程度と記憶している。それでも初めてエンジンの付いた乗り物に乗る自分には十分すぎる程であった。最初は30キロだって相当怖かったし・・・。また当時は原付のノーヘルがまだOKの時代であった。こいつでは近場にあった多摩川の河原を駆けずり廻ったりして、受験勉強のストレス(?)発散に活躍してくれた。
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| 時期 |
No.2
(1982〜1984)
19〜21歳
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車名 |
CB125JX
(ホンダ) 新車
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大学に入学し、ちょっとステップアップ(?)。当時なんとなく4サイクル単気筒車がいいなと思っていたため、このバイクを選んだ。ちなみに当時でも10代の人間としてはかなり渋い選択であった。ハンドルをコンチに、エアクリをファンネルに、サイドカバーを外しタンクをシルバー+子持ちラインの自家塗装、メッキフェンダーのフチのプレスカール部分を切り落としたりして、自分としてはセンスの良さに自己満足して乗っていた。ちなみにSRのカスタムなどはまだ街中であまり見られない時代であった。こいつは片道約35キロの通学に活躍してくれたが、初ゴケ、初事故も体験させてくれた。
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| 時期 |
No.3
(1984〜1986)
21〜23歳
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車名 |
GN400E
(スズキ) 中古
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CB125JXで軽い追突事故を起こし、フロントフォークが曲がってしまったのを機に、さらなるステップアップを図った。これまた当時にして既にどマイナーなこの4サイクル単気筒アメリカンを選択したのは、中古(とはいえ84年型)で安い400単気筒はこれしかなかったからである。マフラーを換えたりハンドルをレンサルにしたりシートを削ったりして、ヘンテコなダートトラックレーサー風にしていたが、当時は誰にも理解されなかった。確かこの頃「ミスターバイク」誌でアメリカのダートトラックレースを紹介し、編集部でCB750K改トラックレーサー風を造った記事があった(ジャバラの4−1マフラーが今思うと笑ってしまう程の秀逸さと記憶)。この企画記事も空振りに終わり、その後ホンダがFT400&500アスコットを出してコケ、さらにその後(初代)FTR250を出して再びコケ、いわゆるトラッカーブーム(ファッションだけだが)が訪れるまで10年を待たねばならなかった。こいつは通学&女性との初タンデム(おまけにタンデムのまま林道でコケた)などに活躍してくれたが、後年は極端な始動不良に悩まされ、キックオンリーの始動に30分以上かかることもしばしばで、就職して福岡へ赴いたのを機に廃車となった。
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