原市之進暗殺
 慶応三(1867)年八月十四日早朝、原市之進は出仕前に陸軍奉行配下の鈴木豊次郎と依田雄太郎の両名の訪問を受けた。両名は水戸藩士を名乗って面会を申し出たが、原が結髪をしていると見るや即座に押し入って原を斬殺した。二人は首を風呂敷に包んで逃走したが、二条城近くで原家の若党に討ち取られた。暗殺成功を知った鈴木豊次郎の兄恒太郎は趣意書を持って老中板倉勝静の元に出頭し、一党の主張を明かにした。それによると、原は徳川慶喜を唆して強引に兵庫開港の勅許を出させた為、反天皇・開国派と見なされて処断されたらしい。