岩村 精一郎(1845-1906)
 土佐宿毛の陪臣岩村英俊の三男。諱は高俊。長兄岩村通俊は県令として、林有造は自由民権運動家としてそれぞれ有名であり、宿毛の三兄弟と謳われた。
 慶応三(1867)年、22歳になった岩村は土佐の英雄坂本竜馬に憧れて上京、陸援隊に入隊した。陸援隊としての活動は殆ど無かったが、尊敬する竜馬の敵討ちである天満屋事件には参加している。その後陸援隊は解散し、隊員は土佐藩兵に編入。岩村も東山道軍監として北陸の平定に参加した。
 岩村らの軍勢は殆ど抵抗を受ける事無く北陸諸藩の降伏を受け入れながら越後に到着。明治元年五月二日、東山道軍は小千谷に布陣し、越後国の諸藩に帰順を命じた。しかし長岡藩家老河井継之助は帰順ではなく武装中立を主張すると、逆に岩村に会津藩との折衝を申し出た。この提案を岩村は拒絶し、河井は陣営の門で再度の面会を待ったが、遂に嘆願が聞き届けられる事は無かった。その結果、遂に官軍と戦う決意を固めた河井は長岡に戻って即座に戦闘を開始。その華々しい戦いは諸書に見える通りで、一方の岩村は河井を追い出した翌朝、ゆっくり朝食を取っているところを山県狂介に踏み込まれ、食膳を蹴っ飛ばされてしまった。山県は既に官軍の陣地が河井の攻撃に遭っている事を告げ、河井を追い返した岩村を詰り、「せめて自分か西郷が来ていれば」と慨嘆した。

 維新後、各地の県令を歴任。男爵に任ぜられた。