斗南藩
陸奥国上北郡・三戸郡・二戸郡の計三万石からなる。旧南部藩領の一部で、下北半島に位置し、命名の由来は、「我々は賊軍とされて北辺の地に流されたが、北斗七星以南は皆天子の領地であり、我々も天朝の民であるわけだから、腐らずにがんばりましょー」。
冷涼とした山地で農業には適さず、此処に移封された旧会津藩士は貧窮に喘いだ……と云われて居るのだが、実際には下北半島はヒバ材の産地であり、隣の八戸藩等は林業で大いに潤っていて三百諸侯屈指の裕福さであったり、更に現代では林業の一大拠点となっている事から、会津藩士も林業に着手すれば生計を立てられたのではないか、つーか斗南移転を以って「明治政府の陰謀!」と云うのは言い過ぎで、単に譜代筆頭でぬくぬく育って来た会津藩にタフな実学が無いだけなんじゃないか? と云う説も有る。