文武場
 二条城北の見廻組役宅に隣接した、在京幕臣用の文武道場。
 慶応元年建設開始、慶応二(1866)年二月八日完成。完成時には京都守護職松平容保の臨席を仰いで酒宴となった。見廻組陣屋の敷地内に設置され、見廻役の蒔田・松平の両名が頭取を務めた。実務は見廻組の久保田善三郎佐々木只三郎高久半之助の三名が頭取並として出向して執り行い、その下に代々京都城番詰めの後家人より四十名を選出して教授方に充てた。但し、見廻組だけでは文学教授方が手薄になってしまうので、十二月に至って在京中の学問所教授方出役の内藤文七郎をスカウト。彼を教授方にすると同時に、見廻組与頭に抜擢して文学授業の経営を委ねた。

 ここでの受講を許されたのは、一橋家家士、所司代附属与力・同心、二条城城番附属与力・同心、町奉行組与力・同心、禁裏附組与力・同心、別手組、見廻組である。受講の為には、蒔田・松平の両名に書面で届け出る必要があった。
 授業は剣術・槍術・文学で、剣術の授業は毎月二・七・五・十の付く日(2,7,5,10,12,15,17,20,22,25,27,30の十二日間)、槍術の授業は毎月三・八・四・九の付く日(3,4,8,9,13,14,18,19,23,24,28,29の十二日間)、文学の授業は毎日行われた。