久保田 善三郎
 100俵取旗本。見廻組発足時に、小普請組安藤与十郎支配より同役の土屋助三郎と共に小普請組安藤与十郎支配より転任、与頭に任命された。
 文武場が設立されると頭取並を兼任して経営に当たった。
 慶応二年三月十四日、高橋弥八郎事件の責任を負って謹慎、小普請入りを命ぜられた。この時、土屋も謹慎を命ぜられているが、その後の消息は不明である。