見廻組陣屋 二条城北方の中立売通知恵光院東入ル松屋町。また周辺には役宅を設ける。京都所司代とは丸太町通りを隔てて筋向かい。当初は見窄らしかったらしい。後に蛤御門の変で類焼。その為一部の見廻組士は民家や寺院に分宿させられたが、慶応元(1865)年十二月十二日、立派な建物が再建されると、再び集合して役宅に居住した。