菜っ葉隊
 正式名称は「若菜隊」。鮮やかな緑色の羽織を制服として採用していた事から、「菜っ葉隊」・「青羽織隊」と俗称された。隊長は吹田鯛六。
 洋式部隊で、神奈川居留地警備の幕府歩兵二個大隊500名を基幹に神奈川奉行所の与力を付与して慶応三(1867)年に成立し、隊員数は1600〜2000。一奉行所の与力の部隊とは云え、此の部隊はかねてより外国人居留地の外国軍隊から訓練を受けており、戦闘力は高いものと予想される。

 新選組土方歳三は勝沼の戦いの前夜にこの部隊の助力を請う為に戦線離脱したが、遂に援軍は得られなかった。
 江戸城開場後、解散。大部分は彰義隊の傍系部隊「旭隊」に合流したが、二個大隊150は「靖難隊」と改名して房総半島に逃れ、江原素六らと共に官軍と交戦。市川宿を守備していたが、戦火によって市川宿が焼かれて守備が困難となった為、江原の命令で部隊を解散した。

 2004年度大河ドラマ「新選組!」には、近藤に自らを売り込む菜っ葉隊隊長・小松が登場、一気にメジャーな存在になるかと思いきや……「はっぱ隊」出身のビビる大木と云う配役のせいでその存在そのものが疑われると云うどーしよーもない結末にorz

 また、WarBirdsFAQでは「菜っ葉隊隊長は後の麻布高校創立者」と言われている。
 麻布高校の創立者・江原素六は確かに「下級幕臣」の生まれであり、年齢も天保十三(1842)年生まれの26歳で新式部隊の指揮官に就任しても不思議ではないが、麻布高校hp内の紹介文には

幕末の動乱にさいしては、幕府軍の若き指揮官として、鳥羽伏見戦、両総戦などを戦った。

 とあり、「両総戦」=上総・下総における義軍府の戦いと考えると、彼が菜っ葉隊の指揮官と推定するのは難しいんじゃないだろーか。無論否定も出来ないので、現在も調査続行中だが。

2006.08.18.追記
 東郷隆『我餓狼と化す』収録の短編「下総市川宿の戦い」によれば、菜っ葉隊は神奈川を脱走して房総半島の徳川義軍府に参加し、そこで江原の指揮に服した模様。