小笠原 長遠
四千五百石取旗本。所領は伊勢・常陸。通称弥八郎。組合銃隊頭を務める。
慶応三(1867)七月、病気に依り退職した蒔田相模守の後任として見廻役に就任、河内守に任ぜられた。
維新後、静岡藩に対して政府刑部省より坂本竜馬暗殺に関する取調べの依頼が有った。
その際、静岡藩では公用人が当時見廻組を統括していた長遠に対して取調べがなされたが、長遠は「見廻組の実権は佐々木只三郎が握っており、私は関与していない」と述べた。実際に傀儡だったのか、それとも責任逃れかどうかは分からない。