大沢源次郎捕縛事件
 慶応二(1866)年九月下旬頃、京都町奉行より陸軍奉行に対して、指揮下の小十人組に属する大沢源次郎と云う旗本が、浪士と共謀して武器を集め、謀反を企んでいるので逮捕して欲しいと云う要請が齎された。陸軍奉行は早速捕縛せんとしたが、大沢は小十人組に転属する前は見廻組与頭勤方を務めた剛の者で、仲間も多く容易には捕らえ難い事が判明した。そこで、陸軍奉行は新選組に捕縛協力を求め、陸軍奉行からは支配調役渋沢栄一が同行する事になった。
 渋沢は京都奉行所で新選組局長近藤勇と打ち合わせを行ったが、近藤は多忙であった為、実際の捕縛は副長の土方歳三が取る事になった。土方と渋沢は隊士数名を率いて、大沢が寄宿している紫野の大徳寺に向かった。そこで、土方が寺の裏表を固めて後、渋沢は大沢に捕縛を宣言した。大沢は就寝していたのか寝巻き姿で寝ぼけて現れたので、すぐに捕縛し、京都町奉行所に引き渡した。
 ここで明かになった大沢の罪状は、見廻組在勤中、十津川屋敷の執事藤井織之助と結託して十津川の物産を売却して利益を得ようとしていた、そしてその利益が出て自分に見返りが来るまで在京し、江戸城詰が本来の任務である小十人組への転属が決まっても江戸に行かなかった事である……何か最初の「浪士と共謀して謀反を企み」と云う話からは酷くズレてしまっている気がしないでもないが、取引相手の十津川郷士は尊王派なので、その辺りが利敵行為として咎められたのかもしれない。
 なおこの罪に依り、大沢はお役御免の上謹慎処分を受けた。