柳剛流
江戸時代後期の剣客・岡田総右衛門奇良(よりよし)が開いた剣術流派。
彼は武州葛飾郡惣新田に生まれ、心形刀流伊庭軍兵衛に剣を学んだ後、諸国を遍歴。川辺の柳が強い風に吹かれながらも倒れないのを見て翻然として悟り、江戸に帰って神田お玉ヶ池に柳剛流道場を開いた。その極意は「断脚」と言う相手の脛を払う剣技であり、当初防ぐ手段を持たなかった他流派は悉く敗北したと言われている。柳剛流は江戸・関東を中心に大いに流行し、門弟の数は一時四千人を数えた。
しかし二代目月島左馬之介の代に至って北辰一刀流門下の千葉栄次郎が対策を編み出すと、その不格好さを嫌われて衰退してしまい、お玉ヶ池を立ち退いて神楽坂の筑土八幡前に道場を移す事となった。確かに、恥も外聞も無くひたすら相手の臑ばかり切りつけるというのは格好の良い事ではないが、実戦剣術を求めるやくざ等には根強い人気が残り、例えば清水次郎長等はこの流派である。有名な門弟には、上述の清水の他にも幕臣の松平上総介忠敏が居る。
此の流派の奥義は相手の臑を払う「跳び斬り」。此の流派では稽古の際には跳び斬りの練習用に臑当てを付け、使用する刀も定寸より二寸長く、其の分に諸刃の刃を備えた特殊な剣を使い、刃を返さずに切り返す。