振武軍と土方歳三
 彰義隊と袂を分かった渋沢成一郎は、関東は多摩に逃れて尾高藍香を副長に、その実弟渋沢平九郎を参謀に据えて「振武軍」を結成した。
 江戸を脱出する際に渋沢は幕府から軍資金・小銃300挺・馬匹20匹を持ち出しており、それらの物資を用いて多摩で兵を募集したところ、たちまちにして兵400を得た。
 ところが、その陣屋に土方歳三が乱入して来たからたまらない。土方は渋沢に「金で兵隊を引き抜くような汚い真似は即刻中止せよ」と云い、刀を引き寄せて恫喝した。その気迫は凄まじく、旅籠の障子が細かく震えたほどであったと云う。
 結局、渋沢は一ヶ月程度で募兵を中止。準備不足のまま関東に向かい、軍監尾江四郎左衛門麾下の薩摩・肥前大村・佐賀・福岡・広島・鳥取・前橋・忍の連合軍に補足されて敗退した。
 土方の殺気の凄みを語る一方で、他の部隊との協同を全く考えない狭量さも語るエピソードである(なので、土方を取り上げた歴史書で取り上げられる事の少ないエピソードでもあるw)。