芹沢成幹
 芹沢鴨の実兄。水戸藩士で、京都詰公用方を務める。
 壬生浪士組の名を京都守護職会津藩に取り次ぐ等の活躍を見せたといわれている。
 また一子相伝の金創術(外科応急処置術)を受け継いでおり、禁門の変では負傷者の治療を行ったところ非常に治りが早かったと云う。これに感嘆した会津藩医鈴木省三は早速入門を申し入れたが、成幹は一子相伝の故を以って拒絶。諦め切れない鈴木は水戸藩に直談判し、藩命で鈴木への教授が認められた。
 思想としては尊王派に近く、密かに天狗党を支援。更に慶応二(1866)年七月、第二次長州征伐に際して芹沢村に下された動員令を拒否した為、諸生派により捕縛され、水戸で牢死した。

 彼以外にも在京の芹沢一族は多く、文久三(1863)年二月には芹沢家分家筋で水戸藩士の芹沢又衛門・介次郎兄弟が、藩主徳川慶篤に従って上京しており、芹沢鴨とも面会していたものと思われる。なお、介次郎も水戸天狗党に参加し、敦賀で斬首されている。