高橋与八郎事件
 高橋与八郎は元は十五俵二人扶持の御家人で、留守居同心から火消同心を経て見廻組に編入された。事件当時は当時三十七歳であった。
 慶応二(1866)年二月八日、松平出雲守組の組士高橋与八郎は妾に太刀を持たせ、自身は脇差を帯び、泥酔状態で外出した。そして、下鴨神社参詣から帰る途中の議奏久世通熈の行列を先導する家臣に、後ろから声を掛けられ、脇に寄るよう求められたところ、いきなり逆上して妾が止めるのも聞かずに脇差を抜いてしまった。その場は花山院殿諸太夫の本庄安芸守が仲裁して納めたが、腹の虫の治まらない高橋はその後も三度行列の前に現れては刀を抜く素振りを見せて威嚇した。最終的には、高橋は逃走してしまうのだが、久世家の家士は彼の妾を捕らえ、その線から高橋の名前が明かになった。
 松平出雲守は久世家に穏便な取り計らいを頼むが聞き入れられず、久世家は武家伝奏を通じて所司代に処罰を求めた。幕府は調査の上高橋に切腹を命じたが、高橋は未練たらたらであったと云う。そして、事件から一ヵ月後の三月八日に高橋は切腹するのだが、此処で何故か松平は検死を受けずに遺体を火葬し、更に江戸に送ってししまうのであった。その結果、松平は管理不行き届きと云う事で罷免され、久保田善三郎と土屋助三郎の両与頭は謹慎処分を下されてしまった。

 但し、この事件には別の説も有る。即ち、高橋の失態は重大ではあるが、当事者が切腹しているのにその上見廻役や与頭まで処罰するのは厳罰過ぎるのではないか、松平は高橋を密かに逃がしたのではないか、或いは脱走してしまったのではないかと云う説である。それならばこの厳罰も納得が行くが、残念ながら現状では全ては藪の中であると云う他は無い。TRPG「維新の嵐」でこの事件を登場させる時には、精々GMの想像で楽しい展開にして欲しい。