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第弐章 支援組織

 

東本願寺
門首 厳如
家老 下間筑後守
藩論 佐幕
新選組に
対する態度
消極的協力。東本願寺は幕府に対して友好的なだけで、新選組の事は余り快く思っていない。
経歴  烏丸七条に位置する壮大な寺院。浄土真宗「大谷派」の総本山。十三世門跡が作った隠居所「渉成園」は東本願寺自慢の名園。かつて生け垣にカラタチの木が植えられていた為に「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれる。此は江戸時代初期、詩仙堂を作った石川丈山が作匠した書院式回転遊園で、四季折々の花や紅葉に彩られた美しい庭である。その他の伽藍などは、元治元(1864)年の禁門の変で一時焼失した。

 東本願寺は
成立に際しての事情から、西本願寺とは大変仲が悪く、主に西国に信者を持つ西本願寺が長州藩を支援して尊王派的な立場を取ると、それに対抗して佐幕思想を支持した。此を受けて一橋慶喜は自家の歩兵部隊を東本願寺に駐屯させた。そのため、信者達は幕府の諸機関に対して協力的である。
 但し、当然長州藩からは恨まれる事となり、禁門の変では長州兵による砲撃を受けて損害を被った。

 明治維新後は佐幕派に与した為、新政府に多額の献金をする等かなり苦労したが、何とか存続を許された。

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