次のページ目次へトップへ|前のページ] 第玖章 設定資料集

9−1−1 組織
 政府は天皇を主権者とし、その下に政府の総責任者である太政大臣が設置され、それと平行して行政組織の責任者であり、なおかつ「右大臣」と、明治維新に功績があった人物によって構成される「参議」が設置される。これらの機関を総合して「太政官」と称し、後年の内閣の様な役割を担う事になっていた。天皇に対して行政上の責任を負うのは、太政大臣、右大臣、左大臣の三名のみになっている。
 その下に、各種行政機関が存在し、行政を行う。早くから、行政の実権は彼らに移行していた。
 この制度は、明治初年より何回も整備統合が行われ、2〜3年で全く政府の機構が変貌してしまう事もあった。しかし、政府は西南戦争を経験して組織を強固な物に作り上げ、明治11年現在、概ねこの形で政府の機構は確立したと言える。

 

*各省の解説
太政官  太政大臣、右大臣、左大臣、参議によって構成される明治政府の最高機関。その名称は政府の代名詞としても通用している。会議・事務には皇居近くの元大名屋敷を使用している。
参議  明治維新元勲によって構成される最高議会。参議会議が直接各省庁に指示を出す事はないが、構成員は皆、明治維新で修羅場を潜り抜けた英雄豪傑ばかりで、それらが薩長藩閥勢力を背景に発言しているので、その隠れた影響力は無視出来ない。
上院  元老院とも称する。政府の法律案審議機関であり、また諸建白を受け付ける官選議会。太政官の制度外にあって各省庁の上位に置かれた。但し、政府は元老院を経ずに立案可能なので、元老院の勢力は決して大きくない。
 議会には一等官の正副議長各一名と議官二十名が置かれ、それを補佐する事務要員として各種書記官が任命された。その構成員は華族、勅奏任官に昇った者、学識者等が任命されたが、実際には省庁の役職からあぶれた土佐藩出身の維新志士が多い。土佐藩出身者が多い事から民権派の勢力が強く、元老院議員はその肩書きを利用して自由民権活動に協力している者も多い。
下院  上院と対になる立法機関。欧米諸国の真似をして上下両院を設置したが、その試みは成功しているとは言い難い様である。構成員は府知事・県令以下の地方官である。
大蔵省  政府の財政を担当する部署。旧姫路藩邸に設置さている。本局、租税局、関税局、検査局、国債局、出納局、造幣局、紙幣局、常平局、記録局の10局がある。成立当初は金銭を扱う卑しい部門とされていたのだが、政府が近代国家の体裁を整えるにつれて重要なポストに変貌し、政府内部では内務省、外務省と並んで権限が強く、職員も威張っている。
 管轄下にある印刷局は紙幣の作成を担当する局であり、東京と大阪に造幣局を持っている。構成員は主に肥前藩出身者。同藩で育成された有能な経済官僚を採用している。
 現大蔵卿の大隈重信は佐賀出身の有能な官僚であり、彼無くしては政府は立ち行かないとされている。
外務省  政府の外交を担当する部署。旧福岡藩邸を使用。成立当初から重要なポストとして認識され、薩摩人が多く配置された。これは、薩摩藩とイギリスの繋がりを考慮した物であり、一概に藩閥による政権の私有とは言えない。政府内部では内務省、大蔵省と並んで権限が強く、職員はエリートとして扱われる。
 現外務卿の寺島宗則はイギリス他の西洋事情に精通した薩摩人であり、屡々その弱腰外交が批判されている。
陸軍省  陸軍を統括する部署。鳥取藩・広島藩・尾張藩・水戸藩の計4つの藩邸を使用。当時はまだ軍政と軍令が未分化で、軍政を担当する陸軍卿は即ち軍令の頂点である総司令官とみなされていた。成立当初から今に至るまで、一貫して重要なポストであるとして、長州藩出身者が大半を占めている。これは長州藩が日本最初の庶民軍「奇兵隊」を持ち、近代軍隊の建設に関する知識について一日の長があったからである。
 しかし、中央の官職こそ長州人で占められているが、実戦部隊の指揮官には藩閥外でも有能な人物なら採用されており、かつて「賊軍」と呼ばれた藩からの参加者も多い。
 現陸軍卿の山県有朋は、戦略家としては凡庸だが軍政家としては一流であり、組織の構築、物資の収集等に突出した才能を示す。ただ、性格が陰湿で権力を独占する傾向があるので、省内でも人気が無い。
海軍省  海軍を統括する部署。広島・尾張・桑名・一橋・淀の各藩邸を使用。陸軍と同じく、軍制と軍令が未分化である。この頃の軍隊は純粋に防衛用・治安維持用であり、海軍は規模が小さく所有艦艇も決して多いとは言えなかった。
 それでも、軍事優先のこの時代に於いて、海軍卿は重要なポストであり、薩摩藩・佐賀藩出身者が集中している。これは、両藩が幕末に於いて傑出した海軍を持っていた為であり、勇敢すぎる薩摩武士と慎重すぎる佐賀士官が程良いバランスを保っている。
 現海軍卿は空席。職務は海軍大輔の川村純義が代行している。彼は勇敢な薩摩武士で、戦略戦術にも長じている。元は陸軍の出身なので海軍には疎いが、部下を上手く活用して十分に職務をこなしている。度々大規模な海軍拡張案を示しては、その都度太政官に「予算が無い!」と手酷く跳ね返されているが、決してくじけない熱血漢(?)。
司法省  裁判所と検察庁を統括する部署。旧岩村藩邸と旧老中屋敷を使用。実際の裁判は大審院が行い、その下に控訴院、地方裁判所が有り、三審制を採用している。検察はそれぞれの裁判所に付属しており、協力して裁判に当たる。
 元々江戸幕府には近代的な意味での「裁判」等はなく、それがいわゆる一連の「不平等条約」の内の「治外法権」を許すきっかけとなってしまった。明治政府はそう言った「未開」の汚名を払拭する為に裁判制度を成立させ、他の行政に対する裁判権も付した。その為、行政の中心である内務省とは特に仲が悪い。
 こうして成立した司法省は、創設者の江藤新平の民権的かつ攻撃的な性格を受け継ぎ、不正に対しては強固な抵抗を示し、マリア・ルイズ号事件や大津事件に見られるように、この時代の「正義」の象徴となっている。但し、違憲立法審査権はなく、完全ではない。
 現司法卿は大木喬任。佐賀藩出身で、温厚な人物であるが、マリア・ルイズ号事件では剛直さを見せた。
宮内省  天皇を中心とする宮中を統括する部署。成立当初、薩摩藩はこの部署を重視し有能な人物を配置した。薩摩藩は伝統的に有能な藩主による独裁政治を行って来たので、新政府でも天皇が親政を行う物と思い込んでいたらしい。薩摩藩士以外でも、西郷隆盛の推薦により山岡鉄舟等の古武士的人物が多く配置され、明治天皇の「偉大な」人格の形成に寄与した。それに対して幕末には藩主が殆ど何もしなかった長州藩では、宮内省を軽視し、殆ど人材を送り込まなかった。土佐藩士がこの部署に大量に送り込まれたのも、この部署が薩摩以外の藩では閑職視されていた為である。結局、天皇親政は実現せず、薩摩藩は有能な人材を捨て殺しにする事になった。
 もっとも、宮内省はその現状に不満を抱き、常に太政官の政治を批判し、宮廷政治の復活を狙っている。その為、特に内務省と仲が悪い。
工部省  佐賀藩邸を使用。明治政府の主要な課題「富国強兵」の内、富国を担当する部署。鉄道局、鉱山局、電信局、工作局、燈台局、営繕局、書記局、会計局、検査局、倉庫局の10局がある。電信・鉄道の敷設、鉱山の開発、工場の設置等の殖産興業はこの省の管轄となっており、日本近代化の拠点となっている。特に中心的な事業は鉄道と鉱山で、鉄道には予算の47.9%が、鉱山には予算の31.5%が割り振られていた。
 現工部卿は後の初代総理大臣伊藤博文。長州藩出身で、周旋の才能を持つ。その配下で工部省の実務に当たるのは同じく長州藩の山尾庸三。鉄道事業を担当するのは井上勝鉄道頭。
文部省  学校に於ける教育と、神社の管理を行う部署。旧小倉藩邸を使用。初等教育の充実は、富国強兵には欠かせない要素であるとして明治政府は大いに力を注いだ。現在、文部卿は空席で、文部大輔田中不二麿が全権を握っている。
 明治政府の教育と言えば、後年の戦争の影響からすぐに「皇民教育」を思い浮かべるかも知れないが、明治11年には大隈重信・福沢諭吉を中心とする自由主義・立身出世主義・個人主義勢力が強く、明治12年には「教学大旨」と呼ばれる自由主義的教育法規が出される位であった。
 教員はここに属し、皆かなり高等の文官扱いであり、歴とした「役人」である。その為、地位はかなり高い。
内務省  国内安寧、即ち全国の戸籍、産業の振興、地方の警備、地理の測量、駅逓の整備、イデオロギーの統一等を統括する、国内行政の中心であり、府県以下の地方行政と警察を管轄する部署。旧姫路藩邸を使用。勧農局、駅逓局、地理局、土木局、社寺局、会計局の7局を持つ。外務省、大蔵省を凌ぐ最重要ポストである。明治政府は行政権を全てに優越させたので、その権限は絶大で、府県の長である県令は、任地では大名の如く振る舞ったという。しかし、旧幕府では、裁判権は各藩に委ねられていたのに対し、新政府に於いては、府県の権限の中には裁判は含まれていない。逆に不正を裁かれる事すら有るので、裁判を司る司法省とは仲が悪い。
 現内務卿の大久保利通は、実質上現内閣の総責任者である。内務大輔は空席だが、少輔に前島密が就任しており、西南戦争で大久保が京都に移動した際には留守政府の行政全般を監督している。
北海道開拓使  旧蝦夷地の開発を担当する部署。通常の県令以上の権限を持ち、屯田兵等の統括も任されている。
 現北海道開拓使の黒田清隆は、薩摩出身の明治維新の功労者である。豪放磊落で、人の意見を容れる度量を持つ人物だが、酒乱であり、それによって妻を斬殺した経歴まである。

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