次のページ目次へトップへ前のページ 第玖章 設定資料集

9−1−6 警察構成員
 警察官は大きくは実際の業務にあたる巡査、巡査を指導監督する警部、警部を指揮し警察業務全体の統括を行う幹部の三種類に分けられる。

巡査
 明治初年の東京では、市中の警備は諸藩の兵士が武装したまま行っていた。しかし、それでは余りに殺伐としているという事から、明治四年8月、薩摩藩郷士千人を基盤とし、諸藩士を合わせて3千の「ポリス」を配置する事になった。ポリスは日本風に「羅卒」と改称され、大小刀の帯刀を許さず、その代わりに六尺棒を正式装備とした。その「卒」即ち足軽と言う言葉を含む名称や、武士の象徴である刀の代わりに、獄卒の持つ様な棒を持たされた事から、任命された武士達は「侍から足軽になった」と嘆いたと言う。
 明治六年に西郷隆盛が下野すると、警察官の中からも西郷に従って鹿児島に帰る者が多かった。その欠員を補充し、更に西郷の下野によって活発化した東京府下の反政府分子を押さえる為、警視庁は巡査を6千人へと大幅に増員した。その増員は、旧尊王派諸藩に多い不平士族に対応する為、かつて「賊軍」と呼ばれた関東・東北諸藩の出身者を中心としていた。
なお、採用条件は以下の通りであった。

採用条件
・20〜40才
・身体強健にして身長5尺(165p)以上。
・刑法及び警察法規の大意、日本史の大略に通じる者。
・普通の文章を読む事が出来、書く事が出来る。
・加減乗除が出来る者。
待遇
・月給は1等巡査10円〜4等巡査4円。この他に、検挙した犯罪に応じて賞与が出されるが、特に罰金刑の場合は罰金の半額が支給される。なお、放火を未然に消し止めた場合は20銭、水死体を発見し回収した場合には50銭、強盗を捕らえた場合には10円が支給された。
・夏服2着、冬服1着の制服、マント、帽子が現物支給され、靴は各自で購入する。なお、靴代として3円50銭が別途支給された。

 採用された巡査は巡査教習所に於いて訓練を受け、四等巡査として配属される。
 要求される条件から、募集対象は主に士族であった事は想像に難くない。それは、失業士族に対する保障という見方も出来るかも知れない。

 とは言え、月給10〜4円と言うのは当時でも安く、庶民は「巡査には嫁はやれぬ」と嘲笑っていたという。その割に仕事は多く、特に明治初期には出張所は出来たものの交番は無く、町の辻々に1時間交代で立って、警備に当たっていたという。この歩哨は雨の日も休まず行われたので、その苦労は相当なものであったらしい。
 但し、人権意識等無い時代だけに、庶民に対する権限は強く、殆ど無制限である。更に、検事局が開設されたものの検事の数が不足しており、巡査が警部代理として検事の職務である事件調査を代行する事も多かった。
 そして、この募集の直後に当たる明治7年8月、一等巡査に帯刀が許された。激化する反政府活動に対応しての処置であるが、抜刀には上司の許可が必要であった。また陸軍より小銃7千挺が貸与され、射撃訓練が施された。なお、訓練には銃を取っては世界有数の腕前と称される陸軍射撃教官村田経芳少佐が派遣された。
 明治十(1877)年2月に西南戦争が起こると、巡査は「警視隊」に再編され、兵士として戦場に向かった。そして、薩摩軍の抜刀突撃に対して、すぐに逃げ出してしまう農民上がりの鎮台兵に代わり、「抜刀隊」を組織して銃器ではなく剣で立ち向かった。此の勇戦により、従来まで巡査を軽侮していた庶民も認識を改めたという。一説によると、薩摩軍からは「赤い帽子銀筋なくば、華のお江戸に躍り込む」と歌われたとも言われているが、この歌は警察自身が編纂した資料にのみ見えるので、もしかしたらただの身贔屓かも知れない。
 こうして警察官の戦闘力、特に剣の力が認識されると、警察は一等巡査の中から剣術に長じた者を集め「帯剣警官」を組織して、様々な特権を付与して凶悪犯罪の鎮圧に当たらせた……事にしよう、ゲーム内では。
 なお、警察官は士族出身であり、強い権限を持ちかつ未だ「帯刀」している為、旧勢力の残滓と見なされ、平民出身者が多く帯剣も許されない軍の兵士とは仲が悪かった。

警部
 警部は巡査と並んで、警察の基盤となる階層である。比較的初期から機構や呼称の明確な巡査に対し、上層部は頻繁に組織再編が行われていた。警部クラスには薩摩藩出身者が多く、旧「賊軍」出身の場合は、旧藩に於いて家老職クラスのキャリアが無ければ昇進は難しかった。また、任地では賊軍出身者を一カ所に纏めず、一人ずつに分散して配置し、厳しい監視下に置いていた。
 警部の職分は、巡査の様な実地での捜査よりも、それを統括する事である。巡査は正規の官僚組織にも入れない「等外」の官職だが、警部は警視総監の判断で採用される判任官とはいえ、ちゃんと17等級の内に含まれている。一級警部ともなれば、府県警察の総指揮をとるのである。その権限は、巡査よりも遥かに強大で、政府の大官でも彼らには遠慮するくらいである…。って言っても、PCが警部になってもゲーム的には巡査が4人付くだけなんだよね…。これがおかしいと思うGMは、もっと部下を増やしても構いません。

警視総監
 現警視総監は元薩摩藩郷士川路利良。戊辰戦争で剽悍な指揮官として活躍した彼は、西郷の推挙で警察官の総司令官となった。しかし、洋行して諸外国の制度を学ぶに及び西郷の征韓論に賛同出来ず、官職に留まって大久保利通の腹心として活躍した。西郷・大久保の双方から信頼され、警察の仕事に全力を尽くした。
 彼は警察創設に見せた組織力、反政府勢力を罠に掛けて自滅させる策略、他の大官の行動全てに通じる情報収集能力、そして、国家に忠誠を誓う無私廉潔の精神等、どれを取っても優れた人物である。ただ、職務に精励する余り反政府勢力に対しては無情である。

武術師範
 警視庁は士族が多かったので、世間で剣術の衰退が起こった時にも、剣術が盛んであった。警視庁には剣術主任の小野派一刀流梶川義正を初めとし、鏡心明智流の上田馬之助や逸見宗助等の逸材が剣術を教示していた。
明治十年代に至り、抜刀隊の活躍によって剣術が見直されると、警視庁は「警視庁武術師範」もしくは「武術世話係」と言う職を設け、剣術を中心に各種武道の復興を行った。これらの職は、階級は巡査扱いであったが、給料は2倍であった。
 この時、就任したのは、逮部司剣術世話係であった北辰一刀流下江秀、元市中警護役であった直心影流得能関四郎等の逸材であった。
更に警視庁は明治十三(1880)年には「剣術等級」を設けた。これは従来の「免許皆伝」や「目録」と言った流派毎の評価基準を越えて、2〜8級に警官の剣術の腕前を順位付けした画期的な制度である。なお、1級は名人級として設けなかったらしい。
 この基準では、4級以上は名人と呼べる使い手であり、明治十五(1882)年には400名を数えたという。
 ちなみに斎藤一は4級であり、別に剣術世話係等の役職には就かなかった様である。

「警察官」のゲーム内での位置
 一般に、巡査は強い権限を持っているくせに通常の市中見回りに忙しく、安月給にうんざりしているので、国家の存亡に関わらない様な事件については、余り熱心には捜査を行わないだろう。しかし、別に腐敗している訳ではないので、他のファンタジーRPGにおける官憲と同じ程度には信頼出来るし、利用も出来るだろう。
 具体的には、捕まえた犯人を引き渡して裁判に掛けたり、犯罪者の本部を教えて襲撃させたり、PCが事件現場に来る前に事件の初動捜査を終えて基本的な証拠を集めたり、間違った判断で無実の人間を捕まえたり……。
 警察官自身が腐敗している場合も、他の小説やドラマと同じ程度の頻度であり得ると考えた方がいいだろう。その場合、警察全体のモラルは高いので、きちんと証拠を揃えて他の警察官に提示すれば、腐敗した警察官は十分に処分されるだろう。
 PC自身が警察官である場合は、通常の月給だけでは賄いきれない生活費を稼ぐ為に、特別賞与をあてにして色々な事件に首を突っ込んでいるという立場を取る事が多いだろう。強盗一人に付き10円の臨時収入は、腕に覚えのある者にとっては、見逃せない収入源となるだろう。但し、他のTRPGと異なり、庶民に対する権限は殆ど無制限なので、きっと大変快適に捜査出来るだろう。
 特に警部であり、部下を持っている場合は、捜査を部下に任せる事も良いだろう。
 あー、なんか輸入TRPGみたいな硬い表現になっちゃったけど、まぁ、斎藤さんみたいに気楽にやってね、って事で。雰囲気作りや役割演技以上に、警官としての義務や普段の職務について深く考える必要はないから。

次のページ目次へトップへ前のページ