『正直車夫』
 講談。
 舞台は明治初期、ある寒い冬の日。神田和泉橋辺りで客引きをしていた車夫・小林庄吉は、和泉橋署の巡査に呼び止められ、鑑札改めを受ける。本編記事中でも述べた如く、東京都は人力車夫について登録制度を取っていたが、それは服装に関する規定(紺か白の法被に黒い股引)程度の規制のみであった。ところが、庄吉は何と貧しさの余り股引を質に入れてしまっており、止むを得ず地肌に鍋墨を塗って股引に擬装して客引きに立っていたのだ。寒い中、家族の為に頑張る庄吉に感心した巡査は、お金を渡して股引を質屋から請け出させた。

 暫く後、庄吉は神田和泉橋脇の鰻屋・川升で黒田清隆を乗せるが、黒田は彼の車に鞄を忘れてしまう。これに気付いた庄吉は黒田邸に返しに行き、黒田から正直な車夫であると賞賛されて二十円札を渡されるが、「法に合わない金は受け取れない」と頑なに断って受け取らず、長屋に帰ってしまう。
 翌日、長屋では「どうして金を受け取らなかったのか」と責める妻と「そんな事出来るか!」と意地を張る庄吉が夫婦喧嘩を繰り広げていた。そこに、黒田が登場。お金の代わりに新品の人力車100台と、神田淡路町に駐車場を進呈した。そして、「大久保さんとも相談したのだが、矢張り日本の人力車業界はおはんのような正直な車夫に引っ張って行って欲しい」と礼を尽くして庄吉を招聘した。その結果、庄吉は人力車会社の社長になったが、その後も率先垂範自ら車を曳いて営業したので、会社は大いに繁盛したという。また、自分の立身の契機となった巡査に大いに感謝したが、名前も知れず行方も知れなかったので、神棚に「おまわりさん」と書いた紙を捧げ、日夜お祈りしたという。

出典……NHK教育『日本の話芸』
(1月21日(土) 13:45-14:15放送)
「講談“正直車夫”」/講釈師:宝井琴梅
 なお、後年に至って恩人の巡査と再会するバージョンもある。
 こちらでは、巡査は上司と衝突した上に「特定の民間人(庄吉の事)に利益を供与した」と糾弾されて退職に追い込まれ、すっかり零落してしまった。そこで、庄吉は恩返しの為に巡査を救済し、巡査はかねて希望していた学業に専念するのであった。その他にも、客引きの場所が違うバージョンやら黒田が出て来ないバージョンやらが有る。