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長州藩
 長州藩も薩摩同様早くから海防に関心を持ったが、その関心は専ら台場の建設や軍制の改革に向けられ、海軍の創設には冷淡だった。しかし、四ヶ国艦隊の攻撃を受けた後は三田尻海軍局を設けて海軍の創設を目指した。此の海軍局は長州藩内部でも傍流とされる周防系の人材が多く、それだけ軽視されていたと云う証拠である。
 なお、長州藩の艦船の多くには、購入・建造した年度の十二支十干に従った命名が為されている。

 

乙丑丸 癸亥丸
庚申丸
壬戌丸 第一丁卯
第二丁卯
第二丙寅
丁卯
該当無し
丙寅丸
丙辰丸
該当無し 該当無し 該当無し 該当無し

 

乙丑丸
所属: 長州  
艦長: 中島四郎
艦種:  
材質: 木製
機関: 蒸気内車
マスト: 3
備砲: 8
定員:  
全長: 46m
全幅: 4.3m
排水量: 300 t(薩摩側資料では205t)
出力: 70馬力
速力: 4ノット
解説:
 英国ロッテルニーヒで建造された。原名ユニオン号。小型・老朽だが機動力があり、また強力な破壊力を持つ大型砲を装備する……とは司馬遼太郎『竜馬が行く』の記述だが、速力は平均以下で、大型砲に関する資料も残されていない。1865年10月17日英国商人グラバーより亀山社中の仲介で5万両で購人。7500挺の洋式銃と共に長州藩にもたらされた。船籍・艦長は長州藩海軍局が握るが、運用は坂本竜馬以下の亀山社中に委任されていた。第二次長州征伐では亀山社中に運用され、大島郡、小倉口等に出撃。慶応二(1866)年六月十七日には庚申丸と共に門司に砲撃を加えた。
 第二次長州征伐後、指揮権は長州藩海軍局が取り戻した。
 鳥羽伏見の戦いの前夜、蒸気船鞠府丸・丙寅丸・満殊丸、帆船癸亥丸丙辰丸庚申丸・と共に広島藩船万年丸の誘導の元、総督毛利元功(徳山藩世子)・隊長毛利内匠(徳山藩家老)以下1200名の藩兵を上陸させた。

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癸亥丸
所属: 長州  
艦長: 福原清介
艦種: ブリック級
材質: 木製
機関: 帆走
マスト:
備砲: 10門

18斤砲 2門
9斤砲 8門

定員:  
全長: 36.9m
全幅:  
排水量: 283t
出力:  
速力:  
解説:
 原名ランリック。イギリスで建造され、1863年1月英国より購入。艦首には船首像が付いていたのだが、長州藩の過激派光明寺党が攘夷の魁とばかりに切り離し、宿舎である光明寺の階段の下に置いて、出入りの度に蹴飛ばしていた。
 下関に配置され、文久三年五月十一日には庚申丸と共にアメリカ商船ペンブローク号を攻撃した。この際の攻撃は拙劣で、癸亥と併せて12発の砲弾を撃ちながらマストに軽微な損傷を与えるに留まった。此の後、二十二日にもフランス通報艦キェンシャンが馬関に近付くと、此を攻撃する為に庚申と共に出撃し、軽微な損害を与えた。メデューサ号の攻撃に際しても庚申・壬戌と共に出撃して損害を与えて撃退したが、その命中弾が癸亥による物かは不明。文久三年六月一日、アメリカ軍艦ワイオミング号が下関港に突入し、砲撃戦となるや、今度は間違えて味方の壬戌に当ててしまった。その後ワイオミングの強力な11インチ砲弾2発を受け、大破した。
 その後一時期の間廃艦扱いとされていたが、後に大改修を受け、慶応二(1866)年六月十七日に小倉口に出撃。丙寅丸、丙辰丸らと共に田野浦を砲撃した。
 鳥羽伏見の戦いの前夜、蒸気船鞠府丸・丙寅丸・満殊丸、帆船丙辰丸庚申丸乙丑丸と共に広島藩船万年丸の誘導の元、総督毛利元功(徳山藩世子)・隊長毛利内匠(徳山藩家老)以下1200名の藩兵を上陸させた。

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庚申丸
所属: 長州 庚申丸
艦長: 山田鴻二郎
艦種:  
材質: 木製
機関: 帆走
マスト:
備砲: 6門

30斤砲 6門

定員:  
全長: 38.3m
全幅: 8.6m
排水量:  
出力:  
速力:  
解説:
 方延元年5月長州藩で建造。丙辰丸とほぼ同型。下関に配置され、癸亥丸と共にペンブローク号やキェンシャン号の攻撃に向かい、軽微な損傷を与えた。またオランダのコルベット艦メデューサ号が接近すると、此には癸亥・壬戌の計3隻で攻撃を仕掛け、却って被弾して損害を受けた。ワイオミング号が下関港に突入してくると、強力な11インチ砲弾3発を受けて沈没した。
 その後大修理を受け、慶応二(1866)年六月十七日に小倉口に出撃。坂本龍馬の亀山社中の指揮下で乙丑丸と共に門司を砲撃した。
   鳥羽伏見の戦いの前夜、蒸気船鞠府丸・丙寅丸・満殊丸、帆船癸亥丸丙辰丸乙丑丸と共に広島藩船万年丸の誘導の元、総督毛利元功(徳山藩世子)・隊長毛利内匠(徳山藩家老)以下1200名の藩兵を上陸させた。

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壬戎丸
所属: 長州  
艦長: 桂右衛門
艦種: 輸送船
材質: 鉄製
機関: 蒸気
マスト:  
備砲: 小砲2門
定員:  
全長: 76.6m
全幅: 10m
排水量: 447t
出力: 300馬力
速力:  
解説:
 原名「ランスフィールド」。1862年8月英国より購入。元々は商船だった。癸亥庚申と共に馬関海峡に配置されたが、唯一の蒸気船として旗艦扱いだった為か余り出撃しなかった。文久三年六月一日、下関港に居るところをアメリカ軍艦ワイオミング号に攻撃され、11インチ砲弾3発を受けて撃沈されたとされた(別に、上海に回航されて売却され、長州藩が第二次長州征伐に備えて仕入れた武器の代金に充てられたとも云われている)

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第一丁卯
所属: 長州 第一丁卯
艦長: 河野又十郎
艦種: スクーナ-級
材質: 木製
機関: 蒸気内車
マスト:
備砲: 4門

4 0斤前装砲
4 0斤後装砲
20斤後装砲
他、陸戦砲2門増設

定員:  
全長: 37.2m
全幅: 6.18m
排水量: 236t
出力: 60馬力
速力: 8ノット
解説:
 1867年英国製、16868年1月グラバーより購入。原名ベンダー。1869年朝廷に献上。
 戊辰戦争においては「乾行」と共に新潟戦線に派遣され、榎本艦隊の「順動丸」と交戦、これを打ち破った。こうして制海権を握った「第一丁卯」は、官軍参謀山田市之允を艦隊司令とする軍艦攝津、輸送船の千別丸(柳川)・大鵬丸(福岡)・錫懐丸(加賀)・万年丸(広島)と合流し、頑強に抵抗する長岡藩の後方に部隊を揚陸させたり、奥羽越列藩同盟の重要な貿易港である新潟港に艦砲射撃を加えて占領したりと官軍の勝利に大いに貢献した。
 その後、箱館戦争にも従軍した。
 明治八年(1870)八月九日、北海道択捉島沖で密漁取締中に座礁沈没。 

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第二丁卯
所属: 長州  
艦長: 前田愛之助
艦種: スクーナー級
材質: 木製
機関: 蒸気内車
マスト:
備砲: 4門

60斤前袋砲 1門
40斤後装砲 1門
20斤後装砲 2門
他、陸戦砲 4門増設

定員:  
全長: 37.2m
全幅: 6.18m
排水量: 236t
出力: 60馬力
速力: 8ノット
解説:
 1867年英国製、1868年5月グラバーより購入。原名アンシダ。第一丁卯の同型艦。1869年朝廷に献上。

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第二丙寅丸
所属: 長州  
艦長: 佐藤興三左衛門
艦種:  
材質: 鉄製
機関: 蒸気
マスト:  
備砲:  
定員:  
全長: 40m
全幅: 16.4m
排水量: 94 t
出力:  
速力:  
解説:
 1866年7月に英国商人グラバ-より購入。翌年は留学生を乗せて上海に向かった。しかし同年2月14 日にグラバーから第一第二丁卯丸を購入する際に下取りされた。

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丁卯
所属: 長州  
艦長: 山県久太郎
艦種:  
材質: 木製
機関: 蒸気内車
マスト:  
備砲: 5門(100ポンド砲他)
定員:  
全長:  
全幅:  
排水量: 125t
出力:  
速力:  
解説:
 英国製。函館戦争では弁天台場砲撃に参加、朝陽春日と共に矢不来の新選隊防御陣地を艦砲射撃し、此を駆逐した。その後、弁天台場砲撃にも参加する。この時には朝陽と二隻掛かりで攻めたが、蟠龍に逆襲されて朝陽を失った。

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丙寅丸
所属: 長州  
艦長: 河野又十郎
艦種:  
材質: 鉄製
機関: 蒸気内車
マスト:  
備砲:  
定員:  
全長: 40m
全幅:  
排水量: 194t
出力: 30馬力
速力:  
解説:
 英国製、原名オテントサマ号。1866年5月に高杉晋作が独断で英国商人グラバ-から3万9千価で購人。第二次長州征伐に備えての独断専行かと思われる。以後、高杉の乗艦として活躍した。第二次長州征伐では先ず幕府軍に奪取された大島に出撃し、幕府艦「富士山」「大江丸」「翔鶴丸」「旭日丸」に夜襲を仕掛け、陸海呼応して大島を奪回。更に小倉口に出撃し、「癸亥丸」「丙辰丸」らと共に田野浦を砲撃した。
   鳥羽伏見の戦いの前夜、蒸気船鞠府丸・満殊丸、帆船癸亥丸丙辰丸庚申丸乙丑丸と共に広島藩船万年丸の誘導の元、総督毛利元功(徳山藩世子)・隊長毛利内匠(徳山藩家老)以下1200名の藩兵を上陸させた。

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丙辰丸
所属: 長州  
艦長:  
艦種:  
材質: 木製
機関: 帆走
マスト:  
備砲: 2門
定員:  
全長: 22.8m
全幅:  
排水量:  
出力:  
速力:  
解説:
 1856年12月長州萩小畑で建造された日本初の木造帆走船。庚申丸とほぼ同型型。慶応二(1866)年六月十七日に小倉口に出撃。癸亥丸丙寅丸らと共に田野浦を砲撃した事になっている。
   鳥羽伏見の戦いの前夜、蒸気船鞠府丸・丙寅丸・満殊丸、帆船癸亥丸庚申丸乙丑丸と共に広島藩船万年丸の誘導の元、総督毛利元功(徳山藩世子)・隊長毛利内匠(徳山藩家老)以下1200名の藩兵を上陸させた。

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