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加賀藩
 加賀藩は日本海に面した藩だけあって早くから海防の必要性に目覚め、和船による小規模な艦隊を有していた。
 しかし、これでは流石に西欧列強の艦隊には勝てないと云う事で、安政四(1857)年、大小将組頭で謙信流軍学を修めた岡田助右衛門之式(ゆきのり)は「『松代佐久間修理(佐久間象山)』等の有名な学者も海運事業の必要性を説いて居ますよ」と云う旨の建白書を提出した。これに応じ、加賀藩では江戸の懸津屋権七と云う者に軍艦模型を作らせ、費用の見積もりを命じたのだが、非常に高額な結果が出たので、折りしも不況や幕府への献上金で財政逼迫でもある事から、艦隊建設は延期となった。
 こうした閉塞状態が打破されるのは文久年間以降で、軍艦の建造を諦めて外国商人からの購入を計画。発機丸以降計6隻の洋式艦船を購入するに至った。これら艦船は艦砲を積まずに輸送船として運用された。加賀藩の艦は加賀藩の家紋にちなんだ白地剣梅輪内紺の旗を掲げたので、「梅鉢海軍」と呼ばれた。
 また、乗組員の養成も急ピッチで行われた。まず、加賀藩は安政元(1853)年より金沢城下に洋式兵学校「壮猶館」を設置して陸海軍学を教授していたが、文久二(1832)年の発機丸購入を機に俄然海軍建設は本格化し、七尾軍艦所が設置された。艦船実習と軍艦根拠地としての施設である。
 軍艦所は、未だ攘夷の気風が濃い事を鑑みて敢えて草深い漁村に設置され、敷地は約六万五千平米と記録されている。施設としては、棧橋、造船所、製鉄所、機械室、起重機があり、この外倉庫、石炭倉庫、職員住宅、工員住宅があった。
 この軍艦所では、造船はもちろん機械、船具、艦船の修理を行ない、その外、諸学科並びに学生の実習を時々実施した。同所で働く木工や鉄工の職人は、神戸の海軍操練所から多数やといいれ、同時に長崎へ派遣して造船の技術を学ばせていた技師、職工等も呼び寄せて人材の充実が図られた。
 また、明治維新以降は七尾軍艦所内部に英語教授所を設置。英国人通訳パーシバル・オズボーンを雇用。多言語に通じ、多彩な才能を持ち、しかも教育に情熱を抱いていたオズボーンは加賀藩及び支藩の子弟の教育に尽力した。その教育は明治四(1871)年までと決して長くは無かったが、教え子からは瓜生外吉等優れた人士を輩出した。
 加賀海軍は百万石と言う大藩により設置されただけに豊富なインフラと装備を備え、北越戦争においても無事故で(これは、例えば移動しただけで艦隊が半減してしまう幕府海軍の惨憺たる状況と比べて見れば、荒海を前にどれほど梅鉢海軍が力を尽くしたかが良く分かる)官軍の兵士・物資を輸送し、北陸の雄藩としての威信を見せた。退嬰的な藩が多い日本海側の藩としては、十分過ぎる程の活躍だったといえよう。尤も、遂に最後まで武装せず、海軍としては微妙なのだが……。

有明丸 起業丸 駿相丸
錫懐丸
該当無し 該当無し
発機丸 該当無し 猶竜丸 李白里丸 該当無し

 

有明丸
所属: 加賀藩
艦長:
艦種: 輸送船
材質:
機関: 帆走
マスト: 3本
備砲: 0
定員:
全長: 41.5m
全幅: 8.5m
排水量:
出力:
速力:  
解説:
 慶応元(1865)年十二月、江戸石川島で建造。千代田形(幕府)・旭日丸(幕府)・君沢形(幕府)・通済丸(徳島藩)に続いて五番目に建造された国産艦船。

 

起業丸
所属: 加賀藩  
艦長:
艦種: 輸送船
材質: 木製
機関: 帆走
マスト: 2
備砲: 0
定員:
全長: 40m
全幅: 8m
排水量: 309t
出力:
速力:  
解説:
 1860年建造、英国製。原名「ニコスボーイ」。慶応三(1867)年十月オランダ人より長崎にて購入。

  

駿相丸
所属: 加賀藩  
艦長:
艦種: 輸送船
材質: 木製
機関: 帆走
マスト:  
備砲: 0
定員:  
全長: 34.4m
全幅: 7.7m
排水量: 158t
出力:  
速力:  
解説:
 1855年建造。原名「ウワエハダリヤ」。慶応三(1867)年、長崎にて英国商人グラバーより購入。

 

発機丸(錫懐丸
所属: 加賀藩  
艦長: 岡田雄次郎(加賀藩軍艦奉行)
艦種: 輸送船
材質: 鉄製
機関: 蒸気
マスト: 2本
備砲: 0
定員:  
全長: 54m
全幅: 8m
排水量: 250t
出力: 75馬力
速力:  
解説:
 読みは「はっきまる」。1858年建造。イギリス製で、原名「シチー・オブ・バンゴー」。文久二(1862)年横浜で購入。加賀藩初の洋式艦船である。
 元治元年、第一次長州征伐の副総督に選ばれた福井藩主松平茂昭は、小倉口への出陣を命ぜられた。しかし福井藩には海軍の備えが無く、茂昭は隣の加賀藩からこの発機丸を借用して、小倉口に出陣した。
 また、蒸気機関に初期不良が有り、慶応元(1865)年十二月、ポルトガル商人ロレロによって上海で大幅な改良を受け、「錫懐丸」と改名された。ただ、それでも機関の不良は直らなかった様で、最終的には慶応二(1866)年にロレロに下取りに出され、代わりに同人より李白里丸を購入した。
 ……と、戸部新十郎氏の「幕末の加賀藩」は云うのだが、慶応四年七月に新潟に向かって出撃した六隻の艦隊、即ち「軍艦攝津第一丁卯(長州)、兵員輸送担当の千別丸(柳川)・大鵬丸(福岡)、物資輸送の錫懐丸(加賀)・万年丸(広島)」の中にばっちり入ってるんですよねー。うーん、謎。

 

猶竜丸
所属: 加賀藩  
艦長:
艦種: 輸送船
材質:
機関:
マスト:
備砲: 0
定員:
全長:
全幅:
排水量: 318t
出力:
速力:  
解説:
 読みは「ゆうりょうまる」。原名「ユンディン」。明治元(1868)年英国人より長崎にて購入。

 

李白里丸
所属: 加賀藩  
艦長:  
艦種: 輸送船
材質: 鉄製
機関: 蒸気
マスト: 3本
備砲: 0
定員:
全長:  
全幅:  
排水量: 500t
出力: 110馬力
速力:  
解説:
 読みは「りはくりまる」。1862年建造で、原名「サーハーリバルタ」。慶応二(1866)年十月、長崎で「錫懐丸」と引き換えにポルトガル商人ロレロより購入。

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