趣味の翻訳 |
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マイケル・ポランニー著
個人的知識第一章「客観性」Personal Knowledgeby Michael Polanyi 1958 THE UNIVERSITY CHICAGO PRESS a translation based on a paperback edition 1974 |
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added on 1999.05.07 |
プトレマイオスの体系では、聖書の創世神話と同じように、人間が宇宙の中心に位置づけられていた。しかし、コペルニクスが、人間をその場所から追い立てたのである。以来、著述家たちは、その教訓を徹底させることに熱中し、断固かつ執拗に、力説してきた。曰く、感情的な自己中心主義を全て放棄せよ、そして時空間の真実の尺度の中で自分自身を客観的に見ろと。正確なところ、これはいったいどういうことをを意味するのだろうか? 宇宙の完全な歴史を忠実に再現した完璧な「特作長編」映画があったとしよう。その中では、最初の人間の出現から二十世紀の諸業績までの人類の勃興は、僅か一秒間のうちに過ぎ去ってしまうだろう。或いは、我々が宇宙を客観的に考察しようと決心したとする。部分部分に対しその量の占める割合に等しい注意を払うという意味で、客観的にである。そうなれば、星間物質の観察に一生を費やすことになるだろう。それから解放されてつかの間の休息を味わえるのは、光り輝く水素の塊を観察するときだけである。千もの生涯を費やしても、人間の観察に一秒でも費やせるときは巡って来ない。いくら「客観性」に媚びへつらったところで、科学者でさえも、そのように宇宙を見ているとは言えない。これは驚くに値することではない。それというのも、我々は、人間であるが故に、必然的に自分自身の中に位置する中心から宇宙を見るからである。宇宙について語るときも、人間の言語を用いるのだが、その言語とは人間同士の交流というという火急の必要性に応じて形作られたものなのだ。我々の宇宙像から我々の人間的な観点を厳密に排除しようという試みは、どのようなものであっても、不条理に陥ることになるだろう。
コペルニクス革命の真の教訓とは何だろう? コペルニクスが、自身が拠って立つ実際の地上の観測点を、想像上の太陽中心の視点と交換したのは、何故だろう。それを唯一正当化するのは、より大きな知的な満足感である。地上ではなく、太陽から見た天界の眺望から、彼はより大きな知的満足を引き出したのである。コペルニクスは、抽象理論の中にある人間的な悦びを優先させ、我々の感覚が提示する証拠を拒絶するという犠牲を払った。我々の感覚が提示するところに従えば、太陽も月も星も、日々、東から上り、空を横切り、西へと沈んで行くのは、抗いがたい事実である。従って、厳密にいえば、コペルニクスの体系も、プトレマイオスの考え方と同じように、人間中心的なものである。違いは、それが、人間の性向のうちで異なるものを満たすことを選択したと言うだけのことに過ぎない。
こうした知的満足感の性質の移行そのものをより大きな客観性の基準として受け入れた場合に限って、コペルニクスの体系をより客観的なものと見なすことが正当となる。この事が暗黙のうちに示唆するところは、知識の二つの形態のうち、より直接的な感覚的体験よりも、理論により多く依存するものを、より客観的だと見なすべきだと言うことである。故に、理論は、我々の諸感覚と物事の間に、仕切のように置かれている。この仕切がなければ我々の諸感覚は物事からより多くの直接的な影響を受けていたろう。そんなわけで、我々は、経験の解釈に際してますます理論に導かれるようになり、それに応じて、我々の生の印象の地位を、疑わしく誤りに導くかもしれない感覚的印象の地位へと引き下げることになるだろう。
このように、理論的知識を、直接的な体験よりも客観的だと見なすことには、堅固な理由があるように思える。
従って、コペルニクス理論がより客観的であると主張するとき、我々が暗黙のうちに示唆しているのは、その優位性が、我々の側の個人的好みの問題にあるのではなく、その本来的な性質にあるということと、その本来的な性質は理性的生物が普遍的に受け入れるに値するものであるということだ。我々は、より未熟な自身の感覚に基づく人間中心主義を放棄し、より野心的な我々の理性に基づく人間中心主義を選択したというだけのことに過ぎない。そうすることによって我々は観念を形成する能力を主張するのである。観念は、その合理性そのもの故に、当然尊重され、客観的基盤を有するのである。
実際、惑星が太陽の周りを回っているというこの理論は、その本来的な合理性を単に主張する以上の形で、自明なものとなる。それは(コペルニクスの死の六十六年後に)ケプラーの心に訴え、惑星の楕円軌道の発見と、惑星の角速度の発見の契機となったばかりでなく、十年後には、再び、軌道距離と公転周期に関する惑星運動の第三法則発見の契機ともなる。更に六十八年後には、これらの法則がその背後に潜む万有引力の現れに過ぎないことを、ニュートンが世界に向かって宣言することになる。元々は太陽中心の体系によってもたらされた知的満足感は、その満足感故に受容され、その提唱者にとって未知であったより深い意味の印であったことが証明された。しかしながら、未知であったといっても、まったく思い掛けないものであったわけではない。何故なら、初期の段階でコペルニクスの体系を奉じた人々は、そうすることによって、いつか分からぬ将来にその理論が検証される可能性に自らを賭けたのであって、そうした期待に自らを賭けることは、その体系の合理性の優越と客観的な有効性を信じる上で、不可欠のものであったからだ。
更に言うならば、ごく一般的に、理論は、それが合理的であると主張されることによって、予言の力を付与されると言ってもよいだろう。我々は、現実に接触しようという希望を抱いて、ある理論を受容する。従って、我々の受容したその理論は、それが現実に真実であるが故に、更に将来の数世紀にわたって、その提唱者が夢にも思わなかった形で、その真実を示し続けるかもしれない。我々の時代のもっとも偉大な科学的発見のうちのあるものは、まさしく、受容されてきた科学理論の驚くべき検証例として評価された。客観性が科学理論の属性であるということのもっとも深い意味は、こうした真実の含意が及ぶ範囲が全体として確定できないということの内に存している。
以上が、コペルニクスの理論を例にとって示した、客観性の真の性質である。客観性とは、宇宙における人間の意味を評価するに際して、その身体の矮小さや、その過去の歴史やあり得る将来の短さを基準にすることを要求するものではない。我々自身をサハラ砂漠の一粒の砂として見ることを強いるものでもない。むしろ、我々を鼓舞し、我々が自身の肉体存在のぞっとするような無能力を克服し、自ずから明らかな宇宙の合理的概念の認識にまでたどり着けるのではないかという希望を与えるのである。これは消極的な弁解ではない。反対に、人間の精神に潜む内なるピグマリオンへの呼びかけなのだ。
しかしながら、今日、我々はこれとは違うことを教えられる。例えば次のように言ってみよう。科学における客観的真理の発見とは合理性の理解のことであり、この合理性が我々の敬意を呼び起こし、思索的感嘆を引き起こす。このような科学的発見は、感覚的な体験を手がかりとして利用するが、感覚が与える印象を越えた現実の直感的洞察を会得することによって、そうした感覚的体験を超越する。こうした直感的洞察は、それ以上証明を必要としないものであり、現実の更に深い理解へと我々を導く…。科学的手続きの過程をこんな風に説明したなら、時代遅れのプラトン主義者として片づけられてしまうのが普通だろう。啓蒙の時代にふさわしくない神秘主義者というわけである。しかしながら、まさしくこれこそが、この序章で私が主張したい客観性の概念なのである。まず、注意を促したいのは、如何に科学理論が現代の精神の中で矮小化され便利な工夫に過ぎないものにまで成り下がったかということである。科学理論はもはや出来事を記録しその将来のコースを計算するための道具に過ぎない。次に、示したいのが、二十世紀の物理学、中でも特にアインシュタインの相対性理論の発見についてである。これは、通常、科学の実証主義的概念の成果であり実例であると見なされているのだが、実はその反対で、自然界の中の合理性を認識することによって自然界の現実に到達する科学の力を実証するものなのだ。
物語は三つの部分に分かれている。その内の最初の部分はコペルニクスよりずっと前に始まり、直接、コペルニクスにつながって行くものである。それは、ソクラテスより百年ばかり早く、ピタゴラスから始まった。そうであっても、ピタゴラスは科学の分野では新参者である。科学という活動は、ほとんど一世代前に、かなり異なった系譜のものが、タレスのイオニア学派によって、開始されていたからである。ピタゴラスとその信奉者たちは、イオニア学派とは異なり、特定の物質的構成要素(火、空気、水等)を用いて宇宙を描こうとはせず、代わりに数だけを用いてそれを解釈しようとした。彼らは、数を、物事と過程の究極の実体であり形であると考えたのである。オクターブの音が鳴り響くとき、長さの比が1対2である2本の弦から発する和音の中に、単純な1対2の数の比率を聞き取ることが出来ると彼らは信じた。単純な数の関係の完全さが、音響を通じて、彼らの耳に聞き取れるものになる。彼らは自分たちの耳を天に向け、太陽と月に完全な円を見た。彼らは大空に昼が繰り返し訪れるのを見、惑星を観察し、それらが不変の円運動に基づく複雑な体系に支配されていると考えた。彼らは、純粋音程を聞くように、こうした天界の完全性を理解した。彼らは、神秘的交感の内に、天球の音楽を聴いたのである。
二千年後にコペルニクスが行った天文理論の復興は、こうしたピタゴラスの伝統への意識的な回帰であった。彼は、ボローニャで法律を学ぶと共に、天文学の教授である Novara に師事した。Novara は、代表的なプラトン主義者で、宇宙は単純な数学的関係を通じて理解されるべきであると教えていた。コペルニクスは、その後、クラコウに帰郷すると、太陽中心の体系を心の中に抱きながら、その哲学を更に研究し、自分の宇宙に関する新しい観念の源を遡り、ピタゴラスの伝統に依拠する古代の著述家たちにたどり着いたのだった。
コペルニクスの後、ケプラーが、全身全霊をもって、和声的数と幾何学的卓越を求めるピタゴラス的探求を続けた。ケプラーの第三法則を初めて述べた本の中で、宇宙の中心でありそれ自体がヌース(理性)であるところの太陽が、惑星の奏でる天界の音楽をどのように理解しているかについて、彼が情熱的に考察しているのを見ることが出来る。「太陽とはどんな種類の視覚を持っているのだろうか。何がその目の役割を果たしているのだろう。他にどんな衝動を持っているのだろう。…目さえ持っていないかもしれない。…(天界の)運動から生じる和音で分かるからだ。」「地上の住人にとってはこうしたことを推し量ることは容易ではない。」…それでも、人は、最低限、夢見てもよいだろう、「惑星の楽隊が奏でる和声にあやされながら、太陽の中に住んでいる、単純な知性か、知的な炎か、或いは精神か、それが何であれ、和声の源のことを。」彼はそれぞれの惑星のもつ調べを楽譜に書いてさえいる。
同じ本の中の有名な一節の中で自身が語っているように、ケプラーにとって天文学的発見は恍惚的な交感であった。
私が、二十二年前、五つの立体を天の軌道の中に発見した直後に、予言したもの…プトレマイオスの和声を見るより遙か前から私が固く信じていたもの…この五冊目の本の表題の中で私が友人に約束しており、自分の発見を確信するより前に名付けたもの…十六年前私が熱心に探して求めていたもの…それ故に私が自分の人生の最良の部分を天文学の考察に捧げたもの…それ故に私がチコ・ブラーエに協力したところのもの…私はついにそれを明らかにし、その真実を自分が望んでいたより遙かに理解した…十八ヶ月前に夜明けが訪れ、三ヶ月前に本物の日の光が射し、そして実に僅か数日前にもっとも奇跡的な考察の真性の太陽そのものが輝き出てきた…何ものも私を止めることは出来ない。私はこの神聖な熱狂の中に溺れよう。自分がエジプト人の黄金の壺を盗んだことを率直に告白して人類を嘲ろう。エジプトの国境から遙か離れたところに、その壺で自分の神の礼拝堂を築き上げるためにだ。もしあなたが許してくれるなら、私は喜ぶだろう。もしあなたが怒るのであれば、私は耐えるだろう。賽は投げられ、本は書かれる。それが今読まれようが、後世の人々に読まれようが、私は気にしない。神が、自分の作品を真剣に見つめてくれる一人の人間を六千年間待ったというなら、読者が現れるまで百年間待つことになるかもしれない。
ケプラーがここでプラトンの正多面体について主張していることは馬鹿げているし、神が彼を何千年も待っていたなどという絶叫に至っては全くの空想だ。それでも尚、彼の激情は科学的方法と科学の本質の真の概念を伝えるものだ。その概念は、誤った客観性の概念の見せかけをまとわせようという努力がずっと継続されてきた結果、その外観を損なわれてしまったのである。
ケプラーからガリレオへと進んで行くと、力学への移行が見られ、ここで初めて、数字が、計測可能な量として数式の中に導入される。しかしガリレオの場合、数字の使用は地上の事象に適用される場合に限られており、一方で天界の運動に関しては、自然界の規範は幾何学的な文字で書かれているというピタゴラスの見解を依然として保持していたのである。「二つの偉大な世界システム」(1632)の中で、彼は、世界の構成部分のそれぞれは完全に秩序を有しているという原則からピタゴラスを論じている。天体の運動は−すなわち事実上在るが儘の自然界の運動の全てが−円でなくてはならないと、彼はまだ信じている。直線運動は場所の変化を示しており、無秩序から秩序へ移行する場合にのみ生じる。つまり、原始的な混沌から世界の構成部分としての正しい位置への移動の中でか、或いは、暴力的な運動、すなわち、人為的に動かされた物体がその「自然の」位置に戻る努力の中で生じる。ひとたび世界の秩序が確立されれば、全ての物体は「自然に」静止するか、或いは円運動をする。ガリレオは、平らな地表で直線運動を観測しても、それを、地球の中心を回る円運動であると解釈したのである。
このように、コペルニクスの死後の最初の一世紀は、ピタゴラス的な暗示の影響下にあった。その最後の大きな現れは、おそらく、デカルトの普遍数学だろう。明快であり、それ故に必然的に真実であるような概念によって科学理論が確立されることを、彼は期待したのである。
しかしながら、既に、別の系譜に基づく研究方法が徐々に進展しつつあった。これは、ピタゴラス的神秘主義の欠落した別系統のギリシャ思想に由来するもので、不完全ながら、全ての種類のものの観察を記録するやり方である。この学派は、イオニア派の哲学者たちから派生し、デモクリトスでその頂点に達した。彼は、ソクラテスの同時代人で、物質的な方法で考えることを人々に初めて教えた。彼はその原理を次のように定めた。「社会的慣習によって色彩が生じ、社会的慣習によって甘味が生じ、社会的慣習によって苦味が生じる。現実に存在するものはアトム(それ以上分割することの出来ない「存在の最終単位」)と虚空のみ。」ガリレオ自身もこの原則に同意している。即ち、物質の機械的な性質だけが(ロックの言葉を借りれば)第一義的な性質であり、物質のその他の性質は、派生的なもの、すなわち二次的なものであると言うのだ。結局のところ、このような宇宙の第一義的な性質は、ニュートン力学を物体の運動に適用することによって、知的制御の下に置けることは明らかなはずであり、一方、宇宙の二次的な性質は、基礎となる第一義的な現実から、論理的に導き出すことが可能なのだ。このようにして世界の機械的概念が出現して、普及し、前世紀末まで実質的に変わることなく続いた。この概念も、我々の諸感覚が提示する証拠を、形式的な時空間の地図によって置き換えるという意味で、論理的で客観的なものの見方である。この地図は全ての外的体験の根底にあると考えられる粒子の運動を予言するのだ。この意味で機械的世界観は完全に客観的だ。それでも、理論的知識の概念がピタゴラス的なものからイオニア学派的なものに変化したことは確かだ。数と幾何学的形態は、もはや、それ自体が自然界に内在するものとは仮定されていない。理論とはもはや完全性を明白にするものではない。即ち理論はもはや神の創造物に満ちる調和を鑑賞するためのものではない。ニュートン力学において、宇宙の基礎を支配する公式は微分方程式であり、そこには数の公式は含まれておらず、幾何学的調和も示されていない。かつて自然界の神秘への鍵であった「純粋」数学は、これ以降、経験によって実証できる法則の公式化のための数学の応用とは、厳密に区別されるようなる。幾何学は空虚な空間の科学となった。そして解析学は、デカルト以降、幾何学と提携して、幾何学と共に、経験を超越した分野へと離脱していった。数学は、必然的に真実であることが明らかな合理的思考の全てを代表した。一方、現実は世界の出来事に要約され、そうした出来事は偶然のものと見なされた…即ち、ただ単に偶然そうなったに過ぎないと言うわけである。
合理性と経験の分離は非ユークリッド幾何学の発見によって更に押し進められた。これ以降、数学は、伝統的な記数法の枠の中で形成された一群の同語反復の範囲を超えたことを述べる能力を否定された。物理学理論も、これに呼応して、その地位を更に引き下げられることになる。十九世紀末にかけては新しい実証主義哲学が勃興し、物理学の科学理論が本来的な合理性を主張することを否定した。そうした主張は形而上的で神秘主義的であるとして非難されたのだ。この理念の、最も初期の、最も活気に溢れて影響力の大きな発展はエルンスト・マッハによってもたらされた。彼は、1883年に出版されたその著書「力学」によって、ウィーン学派経験主義を創設したのである。マッハによれば、科学理論とは、単に、経験を重宝な形に要約したものに過ぎない。その目的は観察結果を記録する際の時間と手間を節約することにある。それは思考を事実に適用する際の最も経済的な方法であり、ちょうど地図や時刻表や電話帳のように、事実の外部に存在するものである。この科学の概念に基づいて敷衍して言えば、時刻表や電話帳も科学理論の一種であると言うことになるだろう。
従って、科学理論は、それが理論であるが故に本来備えているところの人に何かを信じさせる力の全てを否定されることになる。科学理論は、経験を越えて進んではならず、経験によって検証できないことを肯定してはならない。そして何よりも、科学者たちは、ある理論に反する観察が出現したその瞬間に、その理論を直ちに廃棄する準備が出来ていなくてはならない。ある理論が経験によって検証できないか、或いは検証することが出来ないことが明らかである場合は、その理論は改訂されるべきであり、その予測の範囲は観察可能な程度に制限されるべきである。
こうした考え方は、その起源をロックやヒュームに遡れる。その著しく現代的な自己撞着ぶりは二十世紀の科学に関する思考をほとんど完全に支配してきたのだが、それは数学的知識を経験的知識から原則として切り離してしまったことの必然的な帰結であるように思える。さて、ここで、相対性理論の物語に進もう。相対性理論は、こうした科学観を明確に肯定するものだと思われているが、私の意見では、反対に、そうした科学観に反駁する著しい証拠を提供したのである。何故そうなのか、その理由を示そう。
相対性理論の物語は込み入っている。それと言うのも数多くの歴史的な作り話が横行しているからである。その内の冠たるものは全ての物理学の教科書に見出すことが出来る。それによれば、相対性理論はアインシュタインによって1905年にマイケルソン−モーリー実験の否定的結果を説明するために考案されたのだという。このマイケルソン−モーリー実験は1887年にクリーブランドで行われた。マイケルソンとモーリーは、地上の観測者によって計測された光の速度が、どの方向に向かって発信された場合でも、一定であることを発見したと言われている。これは驚くべきことであった。と言うのは、地球の動いて行く方向へ送り出された光は観測者に追いかけられることになるからだ。そうなれば、その方向では光の速度がより遅くなることは明らかだろう。一方、観測者はその反対方向に送り出された光から遠ざかることになるのだから、その光の速度がより速くなることは明らかだろう。極端な場合を思い浮かべてみると状況が理解しやすくなる。我々が光の送り出された方向へ光とちょうど同じ速度で動いているとしてみよう。そうなれば光が固定された位置に留まり続けることは明らかであり、その速度はゼロになるはずだ。一方、反対方向に向かって同時に送り出された光は、当然、光速の二倍の速度で我々から遠ざかって行くだろう。
この実験では、地球の運動に起因するこうした効果の痕跡がまったく示されなかったと考えられている。そこで…と、教科書の話は続いて行く…アインシュタインがこうした実験結果を説明することに着手し、空間と時間に関する新しい概念を考案した。それによれば、我々は、静止していようが動いていようが、それとは関わりなく、光速に関しては常に同じ数値を観測すると予想できると言う。ニュートン的な空間は、「外部の対象物を参照することなく、必然的に静止して」おり、それに呼応して絶対的に運動している物体と絶対的に静止している物体とが区別されるのだが、こうした空間概念と区別は破棄され、新しい枠組みが打ち立てられることになった。その枠組みにおいては、物体の相対的な運動を表現することだけが可能となる。
しかしながら歴史的事実は違う。アインシュタインは学校に通う十六歳の青少年時代から、既にあれこれ思索を巡らしていたのである。即ち、ある観察者が自分が発信した光の信号を光と同じ速度で追いかけていった場合に生じるであろう不思議な結果を推測していたのだ。彼の自伝が明らかにしたところによれば、相対性理論を発見したのは、
十年間にわたる熟考の末だった…十六歳のときに既に思いついていたパラドックスがもとになった。つまり、自分が速度 c (真空中の光の速度)で光線を追いかけたとしたら、自分はその光線を空間的に振動する静止した電磁場として観察することになるはずだ。しかし、経験から言っても、マックスウェルの方程式から言っても、そのようなものが存在するとは思えない。私にとって最初から直感的に明らかであったことは、そのような観察者の立場から見て、全てのことは、地球に対して相対的に静止している観測者にとっての法則と同じ法則に従って起こらなくてはならないと言うことだ。
ここにはマイケルソン−モーリー実験のことなどまったく触れられていない。彼は、この実験のことを聞く前に、純粋な思索に基づいて、この発見を合理的に直観したのである。それを確認するため、私は故アインシュタイン教授に質問状を託送したことがある。これに対し彼は、マイケルソン−モーリー実験は相対性理論の発見にほとんど影響を与えていないという事実を認めている。
実際、特殊相対性理論に関するアインシュタインの最初の論文(1905)は、この発見の起源に関する現在の誤認には殆ど根拠が無いことを示している。この論文は、運動する媒体の電気力学に見られる変則的な例に関する長い一節から始まる。特に、電流の流れている電線が、静止している磁石に対して、相対的に運動する場合の取り扱いと、磁石が、静止していて電流の流れている電線に対して、相対的に運動している場合の取り扱いの間に、整合性が欠落しているというのである。論文は更に次のように続いて行く。「光の媒体に対する地球の相対的な運動を観察しようと言う試みも失敗に終わった。他にも似たような例が幾つもあるので、次のような推測が導き出される。力学の場合と同様に、電気力学においても、絶対的な静止状態というものは観測できない。…」相対性理論が、マイケルソン−モーリー実験に対して論理の面から応えたものだという一般の教科書の説明は創作だ。哲学的先入観の産物なのである。アインシュタインが、少なくとも十五年前には利用できなかった観察結果の助けを借りずに、自然界に潜む合理性を発見したとき、我々の実証主義的教科書は、その発見に適当に粉飾した説明を加えることによって、醜聞を押し隠したのだった。
この物語には更に奇妙な側面がある。アインシュタインの実行した研究項目は、まさしく科学の実証主義的な概念によって大いに予想されていたところのものなのだが、その実証主義的概念は、彼の業績によって明らかに反駁されたのである。この科学の概念は明らかにエルンスト・マッハによって定式化されたものだ。既に述べたように、彼は、時刻表或いは電話帳としての科学の概念を最初に推進した。彼は、経験によって検証可能なことをまったく述べていないと言う理由で、ニュートンの空間と絶対静止の概念を包括的に批判した。これは、経験を越えたところまで踏み込んでいるので独断主義的であり、経験によって検証できると考えられることを取り扱っていないので無意味であると、非難したのだ。マッハの主張するところによれば、ニュートン力学は再構成されるべきであり、物体相互の相対的な運動を除いて、物体の運動に言及することを避けられるようにするべきだという。アインシュタインは、マッハの本が、少年時代の彼と、その後の相対性理論の発見に、深遠な影響を与えていることを認めている。絶対静止というニュートンの空間概念は、真偽を証明できるようなことを何も言っていないのだから、無意味である、そうマッハが述べたこと自体は仮に正しかったとしよう。仮にそうだったとしたら、アインシュタインによるニュートン空間の否定は、我々が正しいとか誤っているとか考えるところのものに対しては、何の違いももたらさなかったろう。即ち、それは新しい事実の発見には結びつかなかっただろう。しかしながら、実際には、マッハは完全に間違っていたのである。彼は光の伝播のことを失念しており、この点に関しては、ニュートンの空間概念が検証不能どころではないことに気がつかなかったのだ。アインシュタインは、この事に気付き、ニュートンの空間概念が、無意味なのではなく、誤っているのだと言うことを示した。
マッハの偉大な功績は、機械的な宇宙という暗示を保持したことにある。そのような宇宙においては、絶対的に静止した一点というニュートンの前提は排除される。マッハの考え方は、超コペルニクス的な考え方であり、我々の日常経験と完全に矛盾している。即ち、我々は、自分が知覚する対象物の全てを、本能的に、静止しているととらえている背景に対比させて配置するからである。我々の感覚がもたらすこの衝動、即ちニュートンがその公理に具現化させたところの「不可解で不動」の「絶対空間」、を排除することは、理性をその基盤として我々の感覚を超越する理論へ向かうための途方もない第一歩である。こうした理論の持つ力の根元はまさしく合理性への訴求力にあるのだが、それこそがマッハが科学の基盤から排除したいと切望したものなのであった。従って、マッハが誤った根拠に基づいてこうした考え方を押し進め、空虚な陳述を行ったとしてニュートンを攻撃し、その陳述が、空虚であるどころか、誤まりであることを見過ごしたと言うことは、驚くに値しない。このように、マッハはアインシュタインの偉大な論理的構想を予見し、その生来的な合理性に気付きながらも、それでも尚、自分にそのような洞察をもたらしたはずの、その人間精神の能力そのものを排除しようと試みたのである。
この物語には殆ど滑稽と言ってもいい部分が、まだ、残されている。1887年のマイケルソン−モーリー実験は、アインシュタインが自分の理論を裏付けるものとして引き合いに出し、以来教科書が彼をその理論の形成へと向かわざるを得なくさせた決定的証拠だとして祭り上げたものなのだが、実際のところは、そこでは相対性理論が必然とするような結果が出ていなかったのである。この実験で証明されたと認められたのは、地球とエーテルの相対速度は地球の軌道速度の四分の一を超えないと言う実験者たちの主張であった。実際に観察された相対運動の影響はごく僅かではなかった。少なくとも今日までは、無視できるほど僅かであるという証明は行われていない。マイケルソンとモーリーが行った観察の中に相対運動の影響が現れていたことは、1902年になってW.H.ヒックスによって指摘され、後に、D.C.ミラーはその結果が「エーテルの流れ」の速度に換算して秒速8キロから9キロに相当すると算出している。それどころか、D.C.ミラーとその協力者たちは、1902年から1926年にかけて長期間にわたる一連の実験を行い、同じ程度の結果を再現している。彼らは、マイケルソン−モーリー実験を、新しいより精密な機器を用いて、何千回も繰り返し行ったのだ。
一般人は科学者を崇拝するよう教え込まれている。と言うのも、科学者は観察された事実を絶対的に尊重し、偏見に捕らわれず、実証主義的なやり方で一つの科学理論を保持する(即ち、反対の証拠を目にした場合はその理論を破棄する準備が出来ている)からである。そう教え込まれた一般人なら、当然、1925年12月29日の米国物理学会でミラーが主宰者演説を行い「エーテルの流れを肯定する影響」の圧倒的な証拠を発表したとき、聴衆は直ちに相対性理論を破棄したと考えるかもしれない。或いは少なくとも、科学者は、知的謙遜の頂からドグマに満ちた残りの世界を睥睨するのを常としているのであるから、ミラーの実験結果が相対性理論を損なわない形で説明できるようになるまでは、この問題に対する判断を棚上げにしたと思うかもしれない。ところが違う。その頃までには彼らの心は閉ざされてしまい、アインシュタインの世界像によって達成された新しい合理性への脅威を示唆するようなものを受け入れられなくなってしまっていたのだ。その結果、彼らにとっては、再び違ったやり方で考えることは殆ど不可能になっていた。実験は殆ど注目されず、その証拠は、いつの日か誤りであることが明らかになるであろうと言う希望のもとに、無視されることになったのである。(注)
D.C.ミラーの経験は、科学というものがただ単に誰もが意のままに繰り返せる実験に基づいているという主張の虚しさをきわめて明白に実証するものである。この事が示しているのは、科学的陳述の批判的検証には、その科学的発見の過程そのものと同じく、自然界の合理性を認識する力が、必要であると言うことである。検証の場合、その力はより低い水準で発揮されるとしてもである。哲学者たちが科学法則の検証を分析する場合、彼らは必然的に疑われていない法則を標本として選択し、必然的にそうした力の介入を見逃すのである。彼らが評価しているのは科学法則の実践的な実演なのであって、その批判的な検証過程ではない。その結果、我々の手に渡される科学的方法の説明においては、発見の過程が一定の方法に従うものではないという理由で除外され、検証の過程も同様に見落とされ、本当の意味での検証が行われていない例だけが示されるのだ。
ミラーがその実験結果を発表した時点で、相対性理論は、実験によって検証できるような予測をまだ殆ど行っていなかった。その実証主義的な裏付けは、主に、既に知られていた多くの観測結果に依存していた。この新しい理論が既知の現象に提供した説明は合理的なものと見なされた。と言うのも、その説明がたった一つの合理的な原理から導き出されたものであるからだ。ニュートンのときも同じであった。ニュートンが、ケプラーの第三法則と、月の周期と、地球の重力を、万有引力という一つの普遍的な方法によって包括的に説明したとき、何らかの予測がそこから導き出される前であったにもかかわらず、驚くべき権威を付与されたのである。相対性理論の持つ生来的な合理性の優越こそが、マックス・ボルンを動かし、自分が科学の評価において経験を強く主張していたにもかかわらず、1920年と言う早い時期に、次のような讃辞を述べさせたのだ。「相対性理論の思想的壮大さ、大胆さ、直截さこそが、科学の世界像を『より美しく偉大なもの』にしたのである。」
そのとき以来、年月が経過するにつれて、相対性理論の中の少なくとも一つの公式が、広く正確に検証されるようになってきた。それはおそらくタイム誌の表紙を飾ったことのある唯一の方程式であろう。原子核の変換を伴うエネルギー(e)の損失によってもたらされる質量(m)の減少には、e=mc2と言う関係があることが繰り返して示されてきた。ここでcと言うのは光の速度のことである。しかしながら相対性理論のこのような検証は、アインシュタインやその信奉者の元々の判断の確認に過ぎず、彼らはその検証が行われる遙か以前に、自らを相対性理論に委ねていたのだ。更に言うなら、彼らは、力学に更に合理的な基盤を求めたエルンスト・マッハの先の奮闘を著しく正当化すらしたのである。マッハは、その目的とするところに達する道がまだまったく見えない時点で、相対性理論のための綱領を設定したのだ。
現代物理学の合理性に生得的に備わっている美と力は、既に述べてきたように、新しい種類のものである。古典物理学がピタゴラス的な伝統と取って代わったとき、数学理論はその地位を低下させ、全ての自然現象の基礎を成していると考えられている機械的な運動を計算するための単なる道具にまで落ちぶれた。幾何学も、自然界の外に立ち、ユークリッド空間の先験的な分析を提示するものであると主張したのだが、自然界の全ての現象の舞台とは見なされたものの、それ自体が自然界に含まれているとは考えられなかった。相対性理論は、後の量子力学や現代物理学一般と共に、現実界の数学的概念へと復帰してきている。リーマンは自らの非ユークリッド幾何学を展開する内に、相対性理論の本質的特徴を数学的な問題として予見した。その将来の仕上げは今のところ純粋に思弁的なテンソル微積分学に依存しているが、幸運な偶然によってアインシュタインはそのことをあるチューリッヒの数学者から知るところとなったのである。同様に、マックス・ボルンは行列微積分学がハイゼンベルクの量子力学の展開を扱う準備が出来ていることをたまたま発見したのだが、そうでなければ、量子力学は決して具体的な結論に到達できなかったろう。こうした例を更に挙げることが可能である。こうした例によって、現代物理学は、自然界を統べている合理性を発見し提示するという人間の精神の能力を実証してきたのである。かつて人間精神のこうした力は経験の世界に取り組み、その世界では既に発見されていた数学的な調和が経験的な事実であることが明らかにされることになっていたのだ。[訳注:正直に告白します。この部分の訳には自信がありません。]
相対性理論は、ある程度まで、幾何学と物理学の融合を回復させたのであるが、最初、ピタゴラス的思想においては、こうした融合は天真爛漫に当然のことと受け取られていたのだ。ユークリッド幾何学は、一般相対性理論の出現までは体験を正確に表していると考えられていたが、今や我々は、それが物理的現実の比較的表層の部分にしか触れていないことを認識している。それは堅い物体の計測的関係を、理想化し、徹底的に詳述する一方で、物体の質量とそれらに働く力を完全に無視したのである。幾何学を拡張して力学法則を包括する機会は、幾何学の多次元並びに非ユークリッド空間への一般化によってもたらされた。これは純粋数学の研究活動として成し遂げられたのであって、その結果を経験観察的に研究できるなどとは当時は想像さえされなかった。ミンコフスキーが最初の一歩を踏み出し、1908年、特殊相対性理論を表す幾何学を提示した。この中には古典力学が限定的な例として包括されている。物理学的力学は、今や、四次元非ユークリッド空間の幾何学上の定理として出現した。アインシュタインはその後も研究を続け、この種の幾何学を更に一般化することによって、一般相対性理論にたどり着いた。その前提条件は、全ての座標系において物理的に同等であると仮定できるような不変式が生じるように選定された。こうした前提の結果、質量の軌道は測地線[訳注:曲面上で二点間の最短距離を与える曲線]に従い、光はゼロの線[訳注:zero lines 分かりません。]に沿って伝播する。このように物理学の法則が幾何学的な公理の特定の例として出現するとき、我々は次のように推定してもいいだろう。即ち、物理学理論における確信は同じ種類の優越性に大いに依存している。その優越性とは、そこから純粋幾何学と純粋数学が一般的にその利点を引き出してきたところのものであり、それ故に、それらは洗練されいる。
昂揚感をもたらす美と恍惚感をもたらす深淵性を我々が感じ取っていると言うことを認めずに、こうした理論を我々が何故受容するのか、その理由を真に説明することは不可能である。確かに、広く流布している科学の概念は、客観性と主観性の分断をその基礎としているものであり、それが、求めていること、即ちどんな犠牲を払ってでも求めなくてはならないこととは、このような情熱的で個人的で人間的な理論への評価を科学から排除することである。或いは、最低限でも、そうした機能を取るに足りない副次的なものへと最小化することである。それというのも、現代人は、知識の理想型として、自然科学の概念を設定したからだ。その概念とは一組の陳述としての科学であり、その陳述は、表現形式としては慣習によって形作られているかもしれないが、その実質が観察によって完全に決定されると言う意味で「客観的」なのである。この概念は、我々の文化の深淵に根を張った渇望に由来するものであり、自然界の合理性への直観が正当化が可能で更に欠くことの出来ない科学理論の一部であることを認めなければならなくなれば、粉砕されてしまうことになるかもしれない。それ故に、科学理論は、事実の単なる経済的な陳述であるとか、経験に基づく推論を導き出すための慣習的な方針を具現化したものであるとか、人間の実務的便益を図るための作業仮説であるとか言う表現が生まれるのである。こうした解釈は、全て、科学の核心にある合理性を意図的に見落としている。
同じ理由で、この合理的な核心の存在がそれでも尚自ずから現れ出た場合、その当惑は一連の婉曲話法で隠匿される。ビクトリア朝時代に足である leg を limb と呼び変えた類の上品な婉曲表現である。こうした検閲行為は、例えば、「合理性」を「単純性」に置き換える企ての中に見ることが出来るだろう。もちろん、単純性を合理性の特徴として見ることは正当であるし、何らかの理論に単純性の勝利として賛辞を捧げるのも正当である。しかしながら、偉大な理論は言葉の通常の意味で単純であることは滅多にない。量子力学と相対性理論は両方とも理解することが非常に困難である。相対性理論によって説明される事実を記憶するだけであれば数分で済むが、数年間にわたって勉学を続けても、その理論を身につけ、その文脈に沿って事実を理解するには十分ではないかもしれない。ヘルマン・ヴァイルはうっかり口を滑らせて次のように述べている。「必要とされる単純性は必ずしも明白なものではないが、我々は自然よって訓練してもらい内在する真の単純性を認識出るようにしてもらわなくてはならない。」言い換えれば、科学者だけが知っている特殊な意味で「単純性」という言葉が使われている場合に限り、単純性とは合理性と同じ意味になり得るのだ。我々は、「理にかなっている」とか「道理に合っている」とか「同意すべき類のものである」とかいう言葉の意味を思い出すことによってのみ、「単純性」という言葉の意味を理解するのであり、こうした言葉は「単純」という言葉によって置き換えられると考えられている。このとき、「単純性」という言葉は、その本来の意味とは違う別の意味を隠匿する機能を果たしているに過ぎない。それは、ある科学理論に対する我々の賛辞の中に、ある欠かすことの出来ない性質を密輸するために使われるのであり、誤った客観性の概念が、あからさまにそれを認めることを我々に禁じているのである。
「単純性」について今述べたことは「整合性」や「経済性」にも当てはまる。これらはある理論の卓越性に寄与する要素である。しかし、その理論の真価が説明できるのは、その言葉の意味が通常の範囲を超えて拡大され、もっと深い性質まで包括されるようになった場合に限られる。そしてその深い性質こそが、例えば相対性理論がもたらすような展望の中で、科学者に歓喜を与えるのだ。これらの言葉は、そうした特殊な知的調和を表象していなくてはならず、その調和の感覚こそが、如何なる感覚的経験よりも更に根元的かつ永久的に、客観的真実の存在を明らかにするのだ。
私はこうした習わしを偽りの置き換えと呼ぼう。それは、人間の真の必要不可欠な知性の力を軽視し、「客観主義者」の枠組みを維持するために使われる。しかし、実際のところ、そんな枠組みでは、知性の力を説明することは出来ない。それは、その相対的に些細な特徴に関して科学的な価値を明瞭にすることによってその機能を果たし、しかる後に、それらが置き換えていると考えられているところの真の用語と同じ機能を果たすのである。
科学の他の分野での方が、こうした欠くことの出来ない知性の力と、知るという行為におけるそうした力の情熱的な参画を、もっと効率的に例証できるだろう。こうした力とその参画こそが、私が「個人的知識」というこの本の題名によって示していることだ。我々は、精密科学における蓋然性と秩序の評価の内に個人的知識の発現を見出すことになるだろう。そして記述科学が技術と鑑定眼に依存するそのやり方の内に、個人的知識が更に包括的に機能している姿を見ることになるだろう。これらの全ての点において、知るという行為は評価するという行為を含んでいる。そしてこの個人的な共同作業こそが、事実に関する全ての知識を形成し、そうすることによって、主観性と客観性の分断を架橋する。この事が示唆しているのは次のような主張である。即ち、人間は、普遍的な基準に対する個人的な責任を果たすために情熱をもって奮闘することによって、自分自身の主観性を超越できる。
[第一章終わり]