| 最近 聴いたもの | ||
| 最近といってもここ1〜2年の間に私が聴いたものと言う意味で、最近リリースされたものを取り上げるとは限りません。・・・ひょっとしたら取り上げるかもしれないけど。いい加減だな。まぁ、どおでもいいけど・・・ | ||
| the last revision on 2002.9.18 |
マーラーの交響曲を教会のオルガンで弾いたCDです。
どうせゲテモノだと思うでしょう?
ところが、違うんだなぁ、これが。
私は交響曲のピアノ編曲ものというのが妙に好きで、目に留まったものは出来るだけ買うようにしてるんだけど、これが意外なほどまともなものが多い。このマーラーのオルガン版もその例に漏れずとってもまともだ。特にオルガンならではのスケール感が巨大物嗜好症の気味のあるマーラーの交響曲にぴったりだし、しかも同時に細部の音の響きがとても美しい。意外にいいのが第二楽章や第三楽章。あれ、こんなにきれいな音楽だったけか?と何度もびっくりさせられる。第一楽章の冒頭も素晴らしい。あの葬送行進曲の旋律がしめやかに威厳を持って歌い上げられるのを聴いていると、これ元々オルガン曲だったのかなと思ってしまう。第三楽章なんかもそうだな。
このマーラーに限らず一般的に言えるのだけど、オーケストラの曲を器楽で演奏するととても純粋に聞こえてくる。けばけばしい音色が剥ぎ取られ、純粋な音楽としての構造がくっきりと浮かび上がってくるのだ。
マーラーもけばけばしい化粧を取って現れた素顔は意外と清楚で美しい。映画「ベニスに死す」で使われて有名になったあの第四楽章のアダージョが清らかに響く。あの麻薬的でいかれた音楽がだ! だいたい通俗的なマーラーの音楽が「純音楽的」に響くことがあるとは本当に意外だった。
私が生まれて初めてマーラーを聴いたのは中学生のときで、ブルーノ・ワルターが指揮する交響曲第一番だったが、こんなのクラシックじゃないッと思ったね。バッハやベートーベンに馴染んだ耳にはまるで俗っぽい映画音楽のように聞こえたのだ。無造作に多用される文学的モチーフをはじめとして音楽以外の夾雑物がやたらに混じっている。「マーラーの交響曲はあれは実は交響曲ではない。指揮者としての多忙な生活に追われる傍らで毎日付け続けた日記なのだ。だから何処で終わると言うこともなく延々と続き、何の一貫性もない。つい先ほどまで哲学的な感慨に耽っていたかと思うと、突然、今日食ったカツ丼はうまかった、などという記述が続いたりする。」何処でだか忘れたが、そんな文章を読んだとき、なるほどと思った。
シェーンベルクあたりが「マーラーの音楽は論理的で美しい」などと書いているのを見ても「なぁに言ってんだか?」と言う感じ。
しかし、オルガン版の演奏を聴いて、やっぱりシェーンベルクが正しかったことが分かったぜ。
(1998.10.29新規追加、2002.09.18「実験」へのリンク追加)
(注)CDが出始めた頃、多くのオーディオファンの間からLPよりも音が悪いという声が上がりました。客観的な音響データーはともかく、実際に聞いてみると何かが違うというのです。一つの説として出てきたのが、可聴範囲外の音をカットしていることが影響しているのではないかという説です。聴いていると意識できない可聴範囲外の音でも、実際には身体が聴いていて、それが音楽の味わいに影響を与えているのではないかというのです。
しかし、この説は否定されました。脳の興奮状態を計りながらCDの音とLPの音を交互に聴かせるという実験を繰り返した結果、何の差も出なかったというのです。
私としては納得のできない結論でした。だって、実際、聴き比べてみると違うんだもん。特に弦楽器の音が全然違う。計測器が何と言おうが俺の身体は違うって言ってるぜ。
そんなわけで私はしばらくの間LP派でした。しかし、段々新譜は少なくなってくるし、LPだって音源はデジタル録音のものが多くなってくる。愛用のカートリッジは生産中止になり、針も手に入らなくなる。所詮、世の中の流れに逆らうことはできません。いつの間にかターンテーブルとLPは押入の片隅にしまい込まれ、ライブラリーはCDばかりになりました。そう、世間に負けたのです、私は。本当はLPの方が音がいいと信じていたのに・・・
可聴範囲外の音でも実は無意識のうちに聴いているという説を否定することになった実験が誤りであることが報道されたのはおそらく五年ぐらい前のことだったと思います。新しい実験では、十分な間隔をとってCDの音とLPの音を聴かせてみたのです。LPから発生する可聴範囲外の音が脳を興奮させていることは明らかでした。ただその興奮は音が消えてからもしばらくの間持続していたのです。ですから昔の実験のように十分な間隔を置かずにCDとLPを連続して交互に聴かせた場合、CDの音が鳴っているときでもLPの音によって引き起こされた興奮がまだ続いていて、あたかも差が無いように見えていたのです。
もちろん、これは可聴範囲外の音でも実は聞こえていると言うことの証明です。厳密に言えばCDよりLPの方が音楽を再生するという点に於いて音の特性が優れていると言うことの証明ではありません。しかし状況証拠としてこれだけあれば十分だと思いませんか?
ほら見ろ、俺の言った通りじゃないか、馬鹿野郎!
と、喚いてみても後の祭りです・・・
CDが商品化されたのは確か1981年。それからの17年間、我々はLPより劣る音で音楽を聴かされてきたのです。かけがえのない歴史的瞬間がLPよりも劣るフォーマットで記録されてきたのです。過ぎ去った年月はもう取り戻せません。CDのフォーマットがこれだけ普及した現状の下ではこれからも相当期間状況は変わらないでしょう。
このCDとLPの音質問題は身体より頭を信じてしまったことによって引き起こされた過ちの一つですね。
皆さん、覚えておきましょう。キーワードは頭と身体です。
もっと身体を信じましょうね、皆さん。
(1998.02.22新規追加)
(1998.02.18新規追加)
Alma Anima, Towords a new Gregorian Chant / Catherine Braslavsky, Thierry Renard, Joseph Rowe / al sur ALCD 161 (1995年フランス盤)
グレゴリオ聖歌が当時どのように演奏されていたのか、真剣に考え、色々と調べてみたが、結局本当のところは誰も判らないと言う結論を下さざるを得ない。我々としてはもう自分たちの内面的真実だけを拠り所として演奏した・・・一見、奇をてらった演奏のように見えるかもしれないが、良く耳を傾ければ決して表面的な効果を狙った演奏ではない。結局彼らが再発見したものは「ワールドミュージックとしてのグレゴリオ聖歌」なのだと私は思う。
(1998.02.08新規追加)
私はこの部屋でマーラーの交響曲9番を聞いた
Kの数少ないレコードだった
それからは体調の良い時にはこの二枚組の4面を聞く
第4楽章の「アダージョ」だ
全曲を聞き通したのは最初の一度きりだった
この作曲家は最後の交響曲の最後をこのように書いたのだ
これは祈りだろうか
・・・伊藤重夫「チョコレート・スフィンクス・アゲイン」
「チョコレートスフィンクス考」(1983年8月跋折羅社刊)収録