| 日々の雑感 | ||
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1998年11月号 ・・・続くかなぁ・・・ |
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presented by tach |
CD-ROMドライブがディスクを認識しなくなったのは9月。どうしても「お仕事」にパソコンが必要だったのでそのまま使い続け、メーカーに修理に出したのは11月の初め。一週間後に見積もりが届く。CD-ROMドライブ全体を取り替えるから45,825円払えという。それなら自分で新品を買ってきて差し替えた方が安いじゃないかと思ったものの後の祭り。じゃあ修理はいいですと言っても、5,000円の見積もり料をとられる。それに自分でやる手間とトラブル発生の危険性を考えると躊躇いもある。まぁ、メーカーに任せとけば間違いないだろう。安心料だと考えて45,825円を支払う決心を固める。
メーカーから本体が帰ってきたのはその一週間後。テストしてみてがっかり。なるほどディスクは認識するが、今度はデーターが読めない。国土地理院の数値地図も読めないし、ファンタスマゴリアの画像表示もおかしい。せっかく購入して待っていた一太郎のVer9もインストールできない。翌日メーカーに送り返す。帰ってきたのはそれからさらに一週間後の21日土曜日。「差し替えたCD-ROMドライブの不良です。再度新しいドライブに差し替えました。」とのこと。当然のことながら追加料金は取られなかったけど、ちゃんと動作をチェックしろ、馬鹿者!
パソコンの帰ってきた翌22日、故あって必要に迫られk56flex対応の外付けモデムを購入。またトラブルが起こるかもしれないと気が重かったのだけど、やっぱりトラブルは起こった。ドライバーのインストールを終え、ダイアルアップアダプターを設定して、いよいよ最後、プロバイダーに接続しようとすると、「モデムからの応答がありません」。
翌々日の今日、モデムのメーカーに電話する。「ああ、それね。DOS/Vの場合はモデムとパソコン間の最高通信速度を230400bpsに設定するとダメなんです。115200bpsに落としてください。」だったらマニュアルにそう書いておけよ!…と思いながらマニュアルをもう一度見ると「注」にそう書いてあった。汚い。やり口が汚い。
最高通信速度を直して再度プロバイダーに接続。ユーザー名とパスワードの承認が終わってログイン無事完了。やれやれ。さて自分のホームページを開こう…と思ったらいきなり「サーバーが見つかりません。URLを確認してください。」
ため息をつきながらプロバイダーに問い合わせのメールを書く。(古いモデムを使って)送信してふと気がつく。ひょっとして思ってダイアルアップネットワークの設定を見直すと…DNSサーバーの設定を忘れていた。
疲れたぜ。本当に疲れたぜ。
初回から詰まらぬ愚痴を書いてしまった。下らん。でも、ひょっとしたら、まだ音源ボードの差し替えもやらなければならない可能性がある……気が重い……自信が無い……
午前中、文章の校正。400字詰め原稿用紙にして70枚。一月ほど前に書き上げた後、他の人に読んでもらったり、自分で何回か読み返したりしているのだが、それでもまだ誤字脱字や「表現の不統一」が見つかる。
「うなずく」が二種類。「頷く」と「肯く」。ATOKで変換するとこの二つが出てくる。
国語辞典を引くと「うなずく」は「頷く」しかない。「肯く」と書いて「うなずく」と読ませるのは当て字のようだ。でもATOKがそう変換するんだから一般に許容されている当て字なんだろうな。
自分の趣味としては「肯く」の方が意味がはっきり分かっていいような気がする。文脈上、相手の言葉を「肯定」しているときは「肯く」と書いて、単なる仕草のときは「頷く」を使おう。
念のために漢和辞典も引く。
まず「頷」。「顔の黄色い様、転じて顎。」
よろしい。これは仕草だ。顎を上下させる仕草が転じてうなずくになったんだろう。なんか分からないがそんな気がするからそういうことにしておこう。だいたい顔が黄色いのがどう転じたら顎になるんだ? 漢和辞典でもこの程度なんだから、自分もこんなところでいい。
続いて「肯」。「骨に付いた肉。よいとする。うなずく。助字として意思を表す。…する意志がある。」
「肯定」という言葉があるくらいだから、「肯」には英語で言うところの「affirm」ぐらいの意味があるんだろうぐらいに思っていたが、そう見当違いでもなさそうだ。
でも何で「骨に付いた肉」が「よいとする」になるんだ? 骨に付いた肉は美味いのか?
結局、何だか、あんまりよく分からなかった。
片田舎で教師をしている友人が休みを取ってやって来た。朝、横浜駅のホームで待ち合わせして鎌倉に向かう。
前の晩、電話をかけてきた彼は、有名な「澁澤龍彦の鎌倉の家」なるものを是非一度見てみたいと言った。場所を知ってるのかと尋ねると、だいたい知ってる、円覚寺の裏辺りだと答える。昔から万事にアバウトな男だった。円覚寺の裏辺りを当てもなく延々と歩かされては堪らない。仕方なく手元の雑誌をひっくり返してみると、澁澤邸は鎌倉山ノ内にあると種村季弘が書いている。(注1)念のため、「澁澤龍彦」と「山ノ内」をキーワードにしてgooで検索をかけてみると……やっぱりインターネットは凄い。一発で鎌倉文学地図なるものが引っかかった。
地図のおかげで目的の家はあっけなく見つかる。
何度も写真で見たことがあるその家の実物が目の前にある。写真の通りではあるものの、それでも写真はうそをつく。実物は質素でちっぽけな家。どう見てもこれは人が住んでいる。ひょっとしたら龍子夫人が今でもひっそりと暮らしているのかもしれない。記念館のような形で公開されていることを期待していた友人は困惑してつっ立っている。あいにく二人とも「私は澁澤先生をお慕いする者です」などと言って他人の家にずかずかと上がり込んでいくような神経は持ち合わせていない。
諦めて今度は澁澤龍彦の墓を探すことにする。
これもあっけなく見つかった。埴谷雄高によれば浄智寺だ(注2)という。「山の高所へとつぎつぎにひらいてゆく坂道の最奥」で「登攀の苦労に価いする位置」だと言うので、爺さんに登らせるとぶつぶつ言いそうな道を選んでたどって行くと自然に着いてしまったのだ。
つい最近も誰かが来たらしく、花とサントリーオールドのミニボトルが供えてある。
その供え物を見たとたん、ああ、この人は人に好かれる人だったんだなと実感する。急にしんみりした気分になってきた。
実のことを言えば自分はそれほど澁澤龍彦が好きなわけではない。
いや、正確に言えば、小説集「唐草物語」より前の「エッセイスト」としての澁澤龍彦はぜんぜん好きでなかった、と言うべきだろう。
とにかく軽薄だと思っていた。まるで水で薄めた清涼飲料水のような文章。ただ読みやすいだけであとには何も残らない。テーマの周りをぐるぐると回っているだけで、決して本質に踏み込んでいこうとしない。なぜか自分の周囲にはやたらと澁澤エッセイのファンが多かったが、どうしてこんな表面的なものだけに満足していられるのか、不思議でたまらなかった。
澁澤本人に対する印象はもっと悪い。
狡くて卑怯な奴だと思っていた。あれは狡い。あれだけいろいろなものを切り捨ててしまえば身軽になれるのは当たり前じゃないか。それをカッコイイともてはやされるのだから、見ていて不愉快だ。ねぇ、澁澤さん、あなた自身が本当にそれで良いわけ? あなたの切り捨てた部分にあなたの真実が混じっていませんか? それ無くしてどうして真実のあなたがあり得るんだ? 結局、あなたのエッセイって、みんな、スタイルだけで中身の無い紛い物なんじゃないの?
実際、澁澤の友人であった巖谷國士も次のように書いている。
……なんとサーヴィス精神にあふれた「あとがき」ではないか、とも思う。なにしろ読者の評価に先んじて、わざわざ「私」を限定し、いかにも解りやすい、扱いやすいものにしてみせているのだから。私自身は当時、必ずしも同意はしなかった。彼が「気違いじみた蒐集家」だとも「小児的性格」の持ち主だとも思わず、この本のうちに、もっと幅広い、それこそ宇宙的でもありうるような、新しい文学の可能性を見ようとしていたからだ。澁澤は決して偏狭な人物ではないのだと弁護している訳なのだが、これは弁護になっていない。むしろ澁澤の非難すべき点を露わにしただけだ。
彼はどうも少しばかり自分を狭く見せる癖があるようだ、とも感じた。照れや防御の意図があったのかもしれない。あるいはもっと高度な、自己演出の戦術だろうか。……(注3)
そんな自分が「あれっ?」と思ったのは「唐草物語」を読んだときのことだ。
死んだ少女の口にパンのかけらを押し込んで生き返らせようと試みる絵描きの姿(「鳥と少女」)に、何か痛切に痛々しいものを感じたのだ。
この感情の生々しさいったい何なのだろう? 従来のエッセイには決して見られなかったものだ。
澁澤は、自らが切り捨ててきたもの、と言うより、切り捨てざるを得なかった自分自身をついに語り始めたのだ。
以降、「ねむり姫」をはじめとする「物語」の世界に飛び込んでいった澁澤の活躍ぶりはめざましい。埴谷雄高も「小説を書きはじめた最後の時期」を「最も自由な創造期」と高く評価(注2)している。
この最も自由な創造期があまりにも短かったことが返す返すも残念に思えて仕方がない。
澁澤龍彦が五十九歳で肺癌に倒れたのは一九八七年。小説集「唐草物語」の刊行からわずか六年後のことだ。短い。あまりにも短い。
残された作品の数が少なすぎるとか、もっと面白い話をたくさん読みたかったとか、そんなけちくさいことを言っているのではない。「澁澤龍彦」が本当の意味で「澁澤龍彦」であった時間が短すぎたのではないかと悔やまれているのだ。なぜなら真実の物語を書くと言うことは真実の自分自身を見つけだして行くという行為と同等だと、自分は信じているからだ……
線香をあげるわけでもない。手を合わせるわけでもない。ただ墓の前に突っ立て、そんなとりとめもないことを考える。
墓を後にして、浄智寺の裏山から山道をたどって長谷寺へと向かう。
尾根伝いに続くハイキングコースのように見えるが、友人に言わせるとこれは自然に出来た尾根ではない。古都鎌倉の防衛ラインの上を歩いているのだという。言われてみれば、確かに不自然な地形だ。谷を土砂で埋めて山の頂と頂をつなげたとしか思えない部分もある。切り通しを作ったときに出た土砂を持ってきて埋めたんだと友人は訳知り顔に言う。でも、あまりにも尤もらしくて何だか信用できない。昔からアバウトな奴だし……
長谷寺の高台から海が見えた。
澁澤龍彦と矢川澄子が砂浜で花札に興じている写真が残っている、あの由比ヶ浜だ。
そんな訳でのこのこと海岸まで出かけていったのだが、その後のことはあまり書きたくない。
海岸は女子高校生の群でいっぱいだったのだ。「君の思考パターンは女子高校生と同じなんだ」と友人に馬鹿にされた。
文学的感傷に浸っていたかったのに、やっぱり最後はずっこけた。
自棄になって「ミルクホール」(注4)で女子大生に混じってコーヒーとチーズケーキを食って帰ってきた。 情けない……
(注1)種村季弘「サロン、庭園、書斎」/みづゑNo.945(1987冬)
(注2)埴谷雄高「澁澤龍彦讃」/太陽1991年4月号
(注3)巖谷國士「ユートピアの変貌」/みづゑNo.945(1987冬)
(注4)鎌倉小町通のアンティークで有名な観光客用茶店。行くとミーハーがばれるぜ!
昨日に引き続いて友人につきあって首都圏をうろつき回る。
昼飯時、何か変わったものが食べたいというので新宿御苑前のベトナム料理屋「ミュン」に案内する。ランチタイムだったが、頼むと奥から普通のメニューを出してきてくれた。自分の好みでブンリュウとフォーと煮豚料理を注文する。
ブンリュウというのは魚介類の入ったトマトスープのうどん。レモン汁を絞って、生のモヤシとレタスと香菜をぶち込んで食べる。魚介のだしとトマトの爽やかな酸味と生野菜の軽やかな食感の絶妙なマッチングが堪らない。
フォーは牛肉入りの代表的なベトナムうどん。臭いが、レモン汁と唐辛子の薬味と生のタマネギのスライスをぶち込んで食べると、臭みがうま味に変わって、これも癖になる。
煮豚料理は茹でたバラ肉に葱をふって、紫蘇の葉やレタスと一緒にライスペーパーに巻き込み、魚醤ベースの甘酸っぱいソースをつけて食べる。うう、書いているだけで涎が出てきた。
三品だけでテーブルの上はいっぱいになり二人で食べきれるかどうか心配になるほどの量だ。しかし美味いので結局は残さず食べてしまう。
話はいきなりワープするが、この世には異文化というものが存在する。
頭で分かっているつもりでも、それが実際に存在していると実感すること、つまりそれが自分の馴染んだものと異なっていると言うことを実感することは結構難しい。人は異質なものに出会ったとき、自分の馴染んだものになぞらえてそれを解釈しがちだ。おそらくそうやって「異質なもの=得体の知れないもの=怖いもの」と直面することを避けているのだろう。
しかし食べ物は、そうした観念的なごまかしが利かない。
一杯のうどんでも良い。関西人なら関東の真っ黒なだしを見て震え上がり、関東人なら色は薄いくせにただ塩辛いだしを舐めて首を傾げるだろう。そして互いに、おまえらは何でそんな不味いものを美味そうに食っているんだ、と罵りあうのだ。
或いは新婚家庭でも良い。初めて妻の作った味噌汁を飲んだ夫は「違う、こんなものは味噌汁じゃない!」と喚き出す。
これを、相手の味覚が劣っているとか、料理が下手だと決めつけるのは愚かなことだ。
要するに彼らは「異文化」に出会ったのだ。
人間の味覚とは元来保守的なものだろう。
それは生存の保証という観点からすれば意味がある。めったやたらに新しいものを口にするべきではない。この前食べても大丈夫だったものを食べる方がいいに決まっている。
エスニック料理の楽しみは、そんな本能的な呪縛を振り払い、もう一度自分の味覚を再編成してゆくというラディカルな楽しみだ。おそらく、関西の(或いは関東の)うどんは毒でないし、他の家風の味噌汁も毒でない。ならば、試してみて損はないはずだ。
最初は特別美味いとも思えないもの、或いは不味いと思えたものでも、何度か繰り返し食べる内に、何故か馴染んできて、終いにはおいしくてたまらなく思えてくることもあるものだ。
それはちょうど外国語の習得と同じだ。最初はちんぷんかんぷんの言葉でも、それにどっぷりと浸かっているうちに、語彙や文法に馴染み初め、ある日突然、母国語への翻訳を介在することなく、直接「意味」が頭の中に響き始める。味にだって語彙や文法がある。ああ、そうか、この甘くて辛い味は、こういう「意味」があって、こんなに美味しかったんだ! そう思う日が突然やってくる。
目の前に突然新しい世界が開けるこの快感。
このまま比較文化論でも一席ぶとうかと思ったけど、やめた。腹が空いた。
ところで、東京周辺でエスニック料理を食べ歩くなら、ガイドブックの類よりも、東京の食べ方・エスニック(ETHNIC RESTAURANT)というホームページがお薦めです。天気が好いのでふと思い立って子供を連れてランドマークタワーに登った。ついでに臨海公園まで足を延ばすと国際見本市会場「パシフィコ横浜」で「アジアンフェア」というのをやっていてエスニックの屋台が出ていた。昨日の今日である。カンメラーの不連続の法則というのか、ユングのシンクロニシティーというのか・・・
せっかくのシンクロニシティーなので、同じみなとみらいの東急百貨店の地下にある「ゲウチャイ」の屋台でタイラーメンを食べて帰ってきた。ここは本物の新鮮なハーブをたっぷり使っているので美味い。
ろくに読めないまま返却期限が来てしまったので仕方なく返す。
代わりに桐野夏生の「OUT」を借りる。予約を入れたのが5月2日だから半年待たされたことになる。こういうベストセラーを図書館で借りて読もうということ自体が間違っているのかもしれない。そういえば梁日石の「血と骨」も5ヶ月待たされた。
宮部みゆきの「火車」を読む。
宮部みゆきを読むのは2冊目。前に読んだ「蒲生邸事件」には感心しなかった。後で知った話だが、「蒲生邸事件」は突然小説が書けなくなって苦しみながら書いた作品だという。「火車」は、スタイルとしての古さ(まるで松本清張みたい)は気になるものの、やっぱり出来が違っていた。「蒲生邸事件」にSF大賞を贈るなんて、かえって作者に失礼なのではあるまいか? まぁそれだけSFの現状が低調なのだろう。
今日帰るはずだった娘が居座る。幼稚園なんかいくらでも休んでかまわないが、パソコンを占領されて「お仕事」が出来ない。たむらしげるの「ファンタスマゴリア」とソリティアを繰り返し延々とやり続けている。ようやくやめたかと思うと、今度は「家の中に空気が悪くて気持ち悪くなっちゃうよ。外の空気を吸わなきゃダメだ。」仕方がないので今にも雨が降り出しそうな空模様なのにみなとみらいの臨海公園に連れて行く。娘はわざわざ波打ち際まで行って波しぶきを浴びてはキャッキャッとはしゃいでいた。馬鹿者!