tach雑記帳岡崎京子作品論 作家論 |
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岡崎京子と80年代 あなたと京子とレーガンと… 或いは、 なぜ、私は心配するのをやめて、 バブルと戯れることにしたのか? |
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presented since 2002.08.17 by tach |
…みんな、口をそろえて「東京ガールズブラボー」の最後に岡崎はそう書いています。彼女の言う通りで、八〇年代は決して何もないスカの時代だったわけではありません。
「八〇年代は何も無かった」ってゆう
何も起こらなかった時代
でもあたしには…
終わりなき日常を生きろ…かつて宮台真司はそう言いいました(注釈八)が、その言葉を額面通り受け取ってはいけません。「日常」に「終わりがない」などというのは僕たちを惑わす「幻想」に過ぎない。「昨日」と同じように続く「今日」、「今日」と同じように続く「明日」など、あるはずがない。やがて来る「明日」は「今日」とは似ても似つかぬ何かへと変貌を遂げるでしょう。
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注釈 by tach 注釈一「アフガン侵攻」 革命によってアフガニスタンに新たに樹立された社会主義政権の内紛を収拾するため、旧ソ連は、一九七九年末から一九八九年初頭までの約十年間、十万人超の兵力を派遣。しかし、各地に反ソ勢力が蜂起し、ソ連軍を泥沼のゲリラ戦に引きずり込んだ。 注釈二「大韓航空機撃墜」 一九八三年九月一日、ニューヨークからソウルへ向かっていた韓国の民間旅客機が、サハリン沖上空で、ソ連軍の戦闘機に撃墜された。二六九名の乗員乗客は全員死亡。ソ連側は同機が領空を侵犯したための正当な措置であると主張した。 注釈三「レーガン大統領」 一九八一年〜八九年、米国第四〇代大統領。ラジオのスポーツキャスターから出発し、映画俳優へ。戦後、映画俳優組合の委員長を務めて政界へ転身。当初は民主党左派に属していたものの、次第に右傾化し、最終的に共和党保守主義の体現者と見なされるまでに至る。カルフォルニア州知事時代(一九六一年〜一九七五年)は学生運動の弾圧者としても勇名を馳せる。米国の一般大衆を魅了する奇妙なカリスマの持ち主。引退後アルツハイマー症を発症して現在も療養中。 注釈四「先進五カ国の蔵相」 日・米・独(当時西独)・英・仏の蔵相。日本からは中曽根内閣の下で蔵相を務めていた竹下登が出席。後に彼は中曽根の後を継いで内閣総理大臣となった。 注釈五「子細は省く」 金利が下がれば円安になるはずと突っ込む向きもあるかもしれないが、状況はそう単純ではない。詳しくは吉川元忠著「マネー敗戦」(文春新書1998.10.20)を参照のこと。直近二十年の日本現代史を理解する上で必須の経済的視点を提供する好著。 尚、同書をいわゆる「陰謀論」(要するに日本は米国の陰謀によって嵌められたのだという主張)の一種としてとらえるむきがあるが(たとえば amazon.com に掲載されている野口均氏のコメントもその一例)、注意深く読めば、決してそんな本ではないことが分かるはずだ。著者の批判の矛先は、むしろ、既得権益を防衛するために「円」を国内金融市場に閉じこめた旧大蔵官僚に向けられているように思える。もしこの本に述べられていることが事実であるとすれば、ある意味で、日本の旧大蔵官僚たちは自らの権力維持のために国民を犠牲にしたのだ。著者の叙述は控えめではあるものの、読み進める内に、「売国奴」という毒々しいことばが胸の内にわき上がってくるのを禁じ得なかったことを明記しておく。(20020902追記) 注釈六「天国的」 椹木野衣著「平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論」(筑摩書房2000.12.15)六五ページ。現代美術史「日本・現代・美術」(新潮社1998.1.25)で注目を集めた美術評論家の手による岡崎京子論。細部に異論はあるものの、戦後日本の社会的・文化的文脈に沿ってマクロな視点から岡崎作品を読み解いてゆこうという基本姿勢には共感を覚える。 注釈七「彼女たちは、いつ果てることなくものが欲しくなり、そしてまた、実際に買い続けることによってもっと欲しくなっていく」 同書六六ページ。 注釈八「終わりなき日常を生きろ」 宮台真司著「終わりなき日常を生きろ」(筑摩書房1995.7、ちくま文庫1998.3.24)ブルセラや援助交際の研究で名を売った社会学者が、一九九五年二月に起きたオウム真理教サリン事件の衝撃を受けて緊急出版した「ニューエイジ」批判の書。「安易な救済を求めるな」という基本メッセージに全く異論はない。しかし、「終わりなき日常を生きる」ことだけで解決になりうるのだろうか? |