岡崎は

これを読め!

注釈

岡崎京子「くちびるから散弾銃」合冊完本(講談社1996年7月23日初版)に行われた「改訂」について思うところ

(1999.06.13新規)
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  1. 上下二分冊本の上巻に収められていた「MON.24th,Oct.日本晴れならエトランゼ」が削除されている。
    近頃街に外国人が増えてきたという話なのだが、何故、これを削除すべきであると岡崎が判断したのかは謎である。ガイジンということで差別的表現が見られると言うことなのだろうか? それとも銀座プランタンがダイエー系だとおちょくったのがいけなかったのだろうか? 街に外国人が増えてきたというのはバブル期の世相変化の重要な一面であるはずだ。そのことによってようやく東京は世界的な意味での「都市」−異質なものがモザイク状に混在する場−に脱皮したのだから。そんな重要なエピソードをどうして削除する必要があったのだろう?
  2. エピローグとして新たに「くちびるから散弾銃’96」が書き下ろされ付け加えられている。
    23歳だった三人娘は既に31歳。キャリアガールだったはずのミヤちゃんが出産を控え、家庭に納まることを夢見ていたはずのなっちゃんは当時のボーイフレンドと別れて不倫地獄。処女だったサカエちゃんは年下の彼とラブラブで幸せの絶頂。何故このようなエピローグが必要なのか、少々疑問に感じる。三人のキャラクターがみんな別人になってしまったような違和感を覚えてしかたがない。
  3. 後に描かれた「東京ガールズブラボー」との整合性を保つために若干の修正が加えられている。
    この修正が「東京ガールズブラボー」に合わせて「くちびるから散弾銃」の内容を変えるという形で行われていることに、個人的には困惑の念を覚える。確かに「くちびるから散弾銃」は「東京ガールズブラボー」の「母胎」ではあるが、そこまでして整合性を保つ必要はあるのだろうか? 作品の中に表面的に現れる時系列に従えば、確かに、「くちびるから散弾銃」に出てくる三人娘は「東京ガールズブラボー」に出てくる三人娘の後身だ。しかし、意味論的というか、本質論的には、「東京ガールズブラボー」の三人娘こそが「くちびるから散弾銃」の三人娘の後身と理解するべきだろう。つまり、執筆順に従い、「くちびるから散弾銃」に出てきた三人娘が展開していって、最後に「東京ガールズブラボー」に出てくる三人娘に変身していったのだと。その変身の過程で生じてしまった不整合は不可逆的なものだ。本質的に手を着けるべき類ものではないのではあるまいか? もしどうしても整合性を取る必要があるのなら、直されるべきは、「くちびるから散弾銃」ではなく、むしろ「東京ガールズブラボー」の方であるべきだ。どうもその辺りが引っかかってならない。自分でも説得力ある議論が展開できたとは思えない。この点についてはまた別の機会に改めて書いてみたい。
  4. 新たに8編の「随筆・私の東京日記」が特別付録として随所に挿入されている。
    岡崎はどうやらこの時期に散歩に懲り出したらしい。何処で読んだのかは思い出せないが、「近頃は暇さえあれば散歩していて、真っ黒に日焼けしている」と本人が書いているのを読んで、自他とも認める「散歩主義者」である自分は何とも言えない親近感を懐いた覚えがある。それが結局あのような事故に結びついてしまうとは…。合冊本の岡崎の「あとがき」の日付は1996年5月5日。ちょうど2週間前だった。いや、まぁ、何と言うことだ…(2003.11.02散歩ページへのリンク追加)

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