| 1894.9.6 | 15歳、初等神学校を首席で卒業し、チフリスの中等神学校へ進学 第一学年では修身と学業に高い評価 |
| 1895 | 16歳、グルジアの文芸誌「イベリア」に自作の詩が掲載される |
| 徐々に反抗的な態度を示し始める | |
| 1896 -1897 | 17〜18歳、級友ワノ・ケツホヴェリを通じて啓蒙主義や社会主義に接近 |
| 1898.1 | 19歳、チフリスの鉄道修理工場での社会主義サークル活動に参加 |
| 1898.3 | ロシア社会民主労働党結党 (第一回党大会で結成された同党は警察の弾圧で、出席代表9名の殆どが即日逮捕で懲役または流刑。その後名前のみ存続) |
| 1898.8 | メサメ・ダシに加入、コーバを名乗る 左翼活動が神学校でたびたび問題とされる |
| 1898.9.19 | 学生集会で報告者として学校当局の禁書を朗読 |
| 1898.12 | 神学校の懲戒独房に5時間閉じこめられる/神学校監督官報告書 ロシア人学長ヘルガモン ロシア人副学長ムラホフスキーとルザヴェンスキー グルジア人監督官アバシーゼ |
| 1898年末 | メサメ・ダシ指導者ノイ・ジョルダニアの元を訪れ、中退して専従宣伝員になることを希望するが退けられる |
| 1899.5.29 | 20歳、神学校より放校処分を受ける |