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ホームページ「tach雑記帳」の掲示板「tach談話室」の過去ログページです。 ご意見・ご質問・ご要望・苦情等は掲示板「tach談話室」に書き込んでいただくか、tach@iname.comまでどうぞ。 1999.11.01新規作成 ●過去ログ・インデックスページに行く ●トップページに行く ●全ページ一覧に行く ●ご意見・ご感想・ご要望等は掲示板「tach談話室」まで。 ●©tach[e-mail: tach@iname.com]他多数 |
ども。
Key-2 さん
「カトゥーンズ」は、丁寧に仕上げられた絵と言い、きちんとした装丁と言い、けっこう
力の入った作品で、やっぱり、ないがしろするわけには行かないって言う感じがします。
軽快さを好む人にはたまらない一品かもしれません。手法的にも興味深いし、論じる対象
としても面白いかもしれない。
ただ、正直言って、個人的には「それほど…」って感じがしてます。断っておきますが、あくま
で個人的にはですよ。(←当たり前だ)
この作品をもっと面白く読み解くことが出来る人がいるかもしれないし、私にはそうした
能力や感受性が欠如しているだけなのかもしれません。
池田さん
説明ありがとうございます。面白いです。私には感傷しか読みとることの出来なかった作
品の世界がぐんと広がり、主人公のキャラクター造形に生き生きとした立体感が出てくる
ような感じがします。
私はポピュラー音楽(と映画)にあまり興味がないという変な岡崎ファンで、自分の岡崎
理解にはどこか歪みがあるだろうなと自覚してます。実際、池田さんのような方に色々教
えていただくと、思わぬところで作品世界が広がるので、本当に嬉しい。感謝です。
事例集の方へ追加させていただきました。まとめ方等に問題がありましたらお知らせください。
セックスピストルズとしてデビューしたジョンライドンは、
いわゆる産業ロックを解体し、初期衝動としてのロックの復権を目指したもの、と思います。
が、音楽的には稚拙で、
「パンク」に見切りをつけポストパンクとして始めた活動が
「PiL(Public Image Limited)」です。
そんな活動の中発表された「album(compact disc)」は、
ジョンライドンとゲストミュージシャンによる、
一聴して「ハードロックと受けとれるもの」でした。
「日和った」「迎合」そんな評価が多く聞かれたのが
件のアルバムです。
熱心なリスナーでないので、適格かどうか自信がないですが。
で、ピストルズファンだった少年少女が成長し、
今、再開し言葉を交わす。
ピストルズを聴いていた頃に産まれた女の子が
目の前にいて、彼女のピアノでワルツを踊ってみる。
ジャンルの枝分かれや、自身の嗜好の多様化、
パフォーマーの変化とそれへの折り合い
そんなものを文章ではなく、漫画と言う形で表現しようとしたのかな、と。
上手いことまとめられませんが。
こんなかんじでどうでしょう?
岡崎京子お勧め!くちびるから散弾銃〜
ぼくもすきっす。
でも隠れた名作なら
カトゥ−ンズはだめっすかね〜
ま〜あんまり、ふかくないけど。
すんません、かってなこといって。
では。
池田さん
そうそう、
> 発表当時の状況等考えると、感傷だけでなく当時の彼女なりのロッキングオン的批評文ととれなくもない。
とは、どういう意味なのでしょうか?
当時の状況を含めてもう少し詳しく説明していただけないでしょうか?
申し訳ないです。私、特に、音楽方面、苦手なもので…
ども。
「岡崎引用・言及事例集」、ようやく更新しました。
今回はpoohさん・ラミ犬さん・Korosukeさんのネタの分のみ。毎度ながら感謝。
Korosuke さん
「空気の底」も「ペンギン村に陽は落ちて」も読んだことないんですが、ちょっと読みたくなってきました。
「のび太くんとしずかちゃん」というのは、何だか日本人の集合無意識に組み込まれたユング的元型(?)のようなものなのかしら?、という気がしてきます。
ほしのさん
> 私より若い気がしてました…
精神年齢が低いので、書いてることが幼いのだろうと思います。恥ずかしい。困ったもんス。
池田さん
いらっしゃい。
手みやげ、ありがとうございます。早速事例集に追加させていただきますので少々お待ちください。
御無沙汰してます。
こちらにははじめまして。
手みやげがわりに、引用系小ネタを。
●「No Future Boy No Future Girl」での「PiLの新しいの」とは、
「album(compact disc)」と思われます。
発表当時の状況等考えると、感傷だけでなく当時の彼女なりのロッキングオン的批評文ととれなくもない。
●リバーズ・エッジ、カンナの大泣きシーンは
丸尾末広「少女椿」のラストシーンからかな、と。
更新楽しみにしてます。頑張ってください。
同い年だったんですか… 失礼しました。なんかtachさんは私より若い気がしてました…
「砂漠王子と砂漠王女」は永遠の子供たちの話ですね。なんだかちょっと悲しいです。
どもKorosukeです。
『砂漠王子と砂漠王女』を読んでまとまりなくイロイロ。
人類滅亡後、兄妹がドームの中に生き残って…というのは手塚治虫の短編集『空気の底』所収の『二人は空気の底に』なんですが、SWITCHに再録された『砂漠王子と…』のP34でのび太くんが読んでるのがその『空気の底』ですね。手塚ミーツ藤子。トキワ荘だなあ。
ついでにいうと『ジオラマボーイ・パノラマガール』P239、手塚治虫に触れた2ページで、14才の岡崎さん(?)が読んでるのも『空気の底』でした。
とここまでは引用の指摘。
で、のび太やしずかちゃんを使ってこういう物語を作る、というのは、高橋源一郎が『ペンギン村に陽は落ちて』でやったことと似てるなあと思います。
もちろんパロディや他の作品の登場人物の転用というのはマンガが昔からやってきたことではあるんですが、それともちょっと違う感じ。
手塚作品は私の無意識の枠組みだ、てなことを手塚治虫が亡くなった時、夏目房之助氏がいってました。私の場合は藤子作品が『枠組み』っぽいです(手塚作品はそこまでの実感は無い)。私の無意識のある部分は確実にのび太の形をしていると思います。
んで岡崎さんや高橋さんはこの『無意識の枠組み』を意識的に利用してるような気がします。
高橋さんの『ペンギン村に…』には、“他の全ての人間がいなくなったあと、少女のロボット(アラレちゃん)と少年のロボット(アトム)が残って人間の真似をし続ける”というシーンがあります。
“二人の子供のロボットは廃虚となった学校の道具置き場の片隅に身を寄せ会って、いつ果てるともない遊びの時間の後の、けだるいまどろみの時を過ごしていた。二人は使う者のいない教科書や黒板を捜し出し、読み書きの真似をして遊んだりもした。校庭の端に転がっていた空気の抜けた球を蹴って、球技の真似ごとをしたりもした。遊ぶものなど他には誰もいなかった。だが、人間のための遊びはあってもロボットのための遊びはなかった。二人にできるのは、遊びの真似ごとだけだった。”(『ペンギン村に陽は落ちて』集英社、p235)
『砂漠王子と…』の光景によく似てます。歴史のあとの子供たちの風景。
今日も更新できなかった。
明日こそ更新するッス。…あっ、日付がもう変わってるか…
おお、ほしのさん
おいでいただいて嬉しいです!
● 「SWITCH」の特集は、思いがこもっていました。同じ
岡崎ファンの一人としてそれがとても嬉しかった。
● 「SWITCH」と「キューティー・コミック」の再録が両
方とも「のび太くん・しずかちゃん」ものだったのには私も
びっくり。けれど「SWITCH」の「砂漠王子と砂漠王
女」は好かった。初めて読んで感動しました。とっても痛く
て素敵です。
● ところで、ここだけの秘密の話ですけど、私、ほしのさんと
同じ年齢です。オッサン度では負けません。一時期、最高齢
岡崎ファンではないかと気に病んでいましたが、よかったで
す、仲間がいて…。またいらしてくださいね。(私の方は勝
手にちょくちょくそちらへおじゃましてますが…)
● 薬を飲んでも二日間9度を超える熱が下がらず難儀しました
が、今は一応治まってます。ありがとうございます。それよ
り、娘さんのこと、さぞかし心配されたことでしょう。
ラミ犬さん、お久しぶり
● そう、特集が組まれたのが、今、このときであると言うこと
が、私には嬉しい驚きでした。
● その気があれば、時間や空間や社会的立場を越えて誰でも参
加できるというのが、旧来のマスメディアとは決定的に異な
る、インターネットというメディアの素晴らしさだと思うの
ですが、それが日本の社会に定着してゆくのかどうかはまだ
分からない。今はブームですから、メディアは一応話題とし
て触れるでしょう。でも、それが、一時の流行に終わらず、
本当に定着してゆけばいいなぁ… ラミ犬さんは知ってると
思うけど、私、インターネットが変える日本社会の未来に、
ちょっと夢なんか持ってたりします…。
久々にページの更新に取りかかったら、色々溜まっていることが
多いので、なかなか終わらない。
今夜中にアップロードするのはどうも無理みたいです。
やれやれ…
寝ようかな、もう。
お休みなさい。
tachさん、みなさん、お久しぶりです。
SWITCH買いました。ぼくもかなり強欲なので「特集にしたら少ない!」
と思いましたが、とにかく雑誌に特集されるのはうれしいことです。
「リバーズエッジ」の紹介項で「インターネット上でディープな議論が
行われている」だっけ?書かれてて、こちらのことか星野さんのところか、
いずれにせよ、確かに「エヴァ」なみと言えましょう。ぼくもそれに
ちこっと参加しているということで、うれしいような、ヘンな気分。
雑誌というプロのマスメディアが、インターネットの(。。。なにメディア?)
ファンサイトを無視できないという状況なんだなあ、という感慨もあります。
最近音楽誌でもインターネットへ目配りをかなりしてるみたいなんで。
今日やっとSWITCH買いました。編集者の思いが込められてていい特集だったっす。
キューチーコミックも一緒に買ったっす。どちらものび太としずかちゃんの話なのは、やっぱり偶然かしら。
ほしのはtachさんよりもずいぶんオッサンだけど、すれちゃってるんでちっとも恥ずかしくないっす。
tachさんお熱大丈夫ですか。うちはこないだ娘(8ヶ月)がカゼで1週間入院して付き添い後、
お約束通り親もカゼを引きました。これからインフルエンザが大流行だそうです。ご自愛下さいませ。
ちわ。
じゅんさん
はじめまして。
好きだからやっているページなので、面白かった、岡崎への思いがますます高
まった等々の感想をいただくのが一番うれしいです。
ちょっと事情があってしばらく更新をしていませんでしたが、近々更新を再開
しますので、ぜひまたお寄りください。
Korosuke さん
ども、お久しぶりです。
やっぱり市販の雑誌にURLが載ると、とても嬉しい。
でも「SWITCH」で褒めてもらったのは「引用・言及事例集」でした。
これ、中身を書いてるのは Korosuke さんやその他諸々の方々で、私は殆どま
とめてるだけなんですよね。…最近更新が滞っていましたが、間もなく再開し
ますので、今後もよろしくお願いしますね。
「SWITCH」特集感想
最初、特集と謳ってる割には量が少ないなぁと、欲の深い私は思ったのだけど、
よく読んだら、増渕俊之さんという、昔岡崎の担当編集者だった方が、殆ど一
人で書いているようです。あの「岡崎京子と僕たちの時代」の筆者「吉野ハル
ヲ@pink」氏も増渕さんその人らしい。(→http://www.din.or.jp/~occhie/diary/diary.html)
その文章だけでなく、岡崎の原画をあしらった表紙や、再録作品の質の高さと
言った隅々にまで、増渕さんの思いが込められているようで、ちょっと、感動。
更新再開宣言
ここしばらく更新作業を妨げていた「別件」が、ちょうど今日、きれいさっぱ
りと片づきました。と言うわけで、来週あたりからページの更新を再開します。
まずは、やっぱり、「引用・言及事例集」から。
他に、全作品レビューの残りや、岡崎リンク集の新設なんかにも手をつけたい
と思ってます。
以上
SWITCHにURL登場おめでとうございます。私は今買ってきてざっと読んだところなんですが、単行本解説で
で坂本志保の装丁をきちんと評価しているのが実にブラボーだと思いました。岡崎さんと坂本さんの
組み合わせはホント素晴しいと以前から思ってたので。
スウィッチ読んで始めてこのページ見ました。感激してしまいました。うちにある本読み直してCUTIE買ってまたメールさせてもらいます。私の岡崎京子との出合いは高校生のCUTIEでのリバーズエッジでした。ホント当時田舎の高校生には刺激的でした。誰にも話さず1人で読んでた事を思い出します。
「SWITCH」の岡崎特集号に再録された「砂漠王子と砂漠王女」は何だかとっても「痛い」。考えてみると、岡崎は「性」の痛々しさや悲しさを描くのがとても上手な人なのかもしれない。
それから、最後のページ、のび太君としずかちゃんの寝顔はかわいかったな。
ラミ犬さんが前に指摘していたことだけど、岡崎は結構、子供の無邪気な寝顔を描くのが好きみたい。それはやっぱり無垢なものへの憧憬の現れなのかな…でも、無垢への純粋な憧憬と言うよりも、性に傷つき疲れた大人の視線のような気がする…
明日は「みかん星人大襲撃」が再録される「キューティー・コミックス」の発売日ですね。フフフ。
オッサンが買うのはあまりにも恥ずかしいから、奥さんに買ってきてもらおう。
昨日、9度3分の熱を押し切って駅前の本屋に「SWITCH」を買いに行ったのだけど、いや、きつかった。地面はゴムみたいにぶよぶよで、世界はぐるぐる回ってた。
「SWITHC」は、特集と謳うからにはもう少しページを割いて欲しいという感じ。
でも、岡崎作品を扱う優れたホームページの一つとして我が岡崎ページが取り上げられていたので嬉しかったッス。へへへ。
宝島社から、リヴァーズ・エッジの愛蔵版出たんですね。
といっても前のより熱いとか大きいとかハードカバーという
わけじゃない。表紙にいろんなコマが出てる。前の表紙の絵は
かっこよかったのになあ。
tachさん、
クリスマスまでに風邪なおしてください。
携帯からでした。
こんばんは、とみたさん。
私、「ヘテロセクシャル」の中では「それいゆ」が一番好きです。
「コレクター」は岡崎がこれを書かなくてはならない内面的必然性が感じられないような気がする。
「危険な二人」はフェミニズム(私的特殊用法)という意味で反男社会的な作品なんじゃないかな?(前にも書いたけど)
風邪ひいた。
咳と鼻水が止まらん。喉が痛い。熱が出た。頭が痛い。いや、参った。
昼休みに本屋行った時はまだSWITCH出てなかった。
「危険な二人」と「ヘテロセクシュアル」を読みました。
あと「ハッピイ・ハウス」を読めば、とりあえず入手が簡単な
作品は読破か。
「危険な二人」は、けっこう好きでした。小さい頃母の実家へ
行った時の母と叔母達の世界を思い出す。
貝塚ひろしの話はあそこから出たんですね。
「コレクター」は、映画で言えばコレクターというより
ミザリーみたいでした。
おお、poohさん、久しぶりです。
いつも事例をありがとうございます。
ページの更新、来週あたりまでには再開できそうな感じです。
すみません。
こんばんは。poohです。
ひさびさに、引用事例の追加です。
更新は、いつでもぜんぜん問題ないですよ。
ゆっくりいきましょう。あわてる必要なんてないですものね。
●大島弓子「裏庭の柵をこえて」
岡崎「お散歩」p241の「今でも思いだすんです」、大島「裏庭の柵を超えて」のラストのセリフ「あの夏休みを/想い出すんです」かな。小学生の女の子が夜遅くまで帰ってこなくて両親に心配されちゃうところとか、2階の部屋から、隣家の2階の部屋を眺めるところなんかも、そっくり。
●楳図かずお「まことちゃん」
「東京ガールズブラボー」上巻p77、「ガール・オブ・ザ・イヤー」p101の「逆さはりつけ」、「まことちゃん」第1巻あたりに頻出。
「3つ数えろ」p168、「チワワちゃん」p154の「グワシ」、「まことちゃん」第10巻くらいから後に出てきたと思います。
「ピンク」p148、ケイコのセリフにも、登場します。「あたし"まことちゃん"の大ファンなんだ」
●ゴダール「恋人のいる時間」
岡崎「好き?好き?大好き?」p169下段の、手のひらの四つあるコマ、ゴダール「恋人のいる時間」からです。
●小沢健二「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」
岡崎「好き?好き?大好き?」p176、「おやすみなさい、小猫ちゃん」と、あります。小沢『ライフ』6曲目におさめられた曲のタイトルです。
●スチャダラパー「今夜はブギーバック」
岡崎「ガール・オブ・ザ・イヤー」p112、「女のコタチ好き−!!と叫び」、これはスチャダラパーのアルバムに収録された「今夜はブギーバック」ラップ部分から、です。 ちなみに、この曲、リミックス・ヴァージョン(上とは別のヴァージョン。多分。)があって、そこでは、小山田圭吾くんが、ヴォーカル(原曲で小沢健二が歌ってる箇所)をとってます。
あ、そうだ、以前に指摘した、岡崎「愛の生活」p68の「マッチの頭はなぜ赤い」って、同書p64で桜田(兄)の聴いてる、巻上公一『殺しのブルース』から、ですかねえ。 聴いたことないので、わかりません。
どなたか、ご存じないですか。
では。
「SWITCH」岡崎京子特集号 発売遅延
12月15日発売予定だった上記特集号は、21日頃まで発売が遅れるとのこと。
「SWITCH」は、雑誌ではなく、書籍扱いなのでこのような遅れはたびたび起こるとか。
知っている人は、星野さんのところの岡崎掲示板を見て知ってると思いますが、一応、フォロー記事をアップしておきます。
以上、お知らせまで。
「SWITCH」岡崎京子特集号
本屋に行ったらまだ12月号が並んでる。
あれれ? と思って、念のために次号予告を確かめたら、確かに、1月号の岡崎特集は15日発売となってる。
どうしたんじゃ?
PS
ページの更新をさぼってる管理人です。
ちょっと取り込み中で、ひょっとしたら今年いっぱいは更新できないかもしれない。
ごめんなさい。> poohさん
岡崎本人による全作品解説
が KOHICH IKEDA さんのホームページ「BIG BOREDOM in World Wide Web」で読めます。
出典は「月刊カドカワ」1990年8月号。
取り上げられた作品はその時点で出版されていた
●「バージン(白夜書房版と河出書房新社版)」
●「セカンド・バージン」
●「ボーイフレンドisベター」
●「退屈が大好き」
●「TAKE IT EASY」
●「ジオラマボーイ・パノラマガール」
●「好き好き大嫌い」
●「くちびるから散弾銃1.2」
●「Pink」
●「ショコラな気持ち」
の全12冊。
こちらをクリックして→GO!
同サイトでは他に新婚間もない本人へのインタビュー「新妻京子ちゃんにオゲレツな64の質問」も読めます。→GO!
取り急ぎお知らせまで。
こんなことしてる場合でないのについ書き込んでしまったぜ。
でも、凄いぞ!
おお、poohさん、どうも、どうも。
確かに、ヨーコとセーコは、女性なるものの二つのイデアっつうか、典型を代表している
ような感じもありますね。それ以上のことは、私には難しすぎてよくワカラン面もありま
すが… poohさんの言うことはいつも難しいです。
事例集にまた入れさせていただきたいと思っていますが、最近、取り込み中で、ちょっと
時間をくださいね。すみません。
取り急ぎ、ご連絡まで。
こんばんは、poohです。
きょうは、柄谷行人『探求U』から、ちょっと(?)引用してみますね。
講談社学術文庫版P14からP16にかけて、恋愛に関する言及があるのです。探求TUVを通じて、もっともながく恋愛を論じた箇所だとおもいます。岡崎「危険な二人」の柄谷引用箇所を読解するうえで参考となれば本望です。
「ある個体の単独性と特殊性の区別は、つぎのようにも考えられる。たとえば、ある男(女)が失恋したときに、ひとは『女(男)は他にいくらでもいるじゃないか』と慰める。こういう慰め方は不当である。なぜなら、失恋した者は、この女(男)に失恋したのであって、それは代替不可能だからである。この女(男)は、けっして女(男)という一般概念(集合)には属さない。したがって、こういう慰め方をする者は、”恋愛”を知らないといわれるだろう。しかし、知っていたとしても、なおこのように慰めるほかないかもしれない。失恋の傷から癒えることは、結局この女(男)を、たんに類(一般性)のなかの個としてみなすことであるから。
のみならず、このような忠告は概してあたっている。というのは、”恋愛”においてある個体にこだわることは、その個体を単独性においてではなく、一般的なもの(イデア的なもの)のあらわれにおいてみることであるからだ。たとえばこの女しかいないと思いつめながら、また次に別の女にこの女こそと思いつめていくようなタイプがある。フロイトがいったように。この女への固執は、幼年期における母への固執の再現(想起)である。次々と相手を変えながら、そのつどこの女と思い込むようなタイプは、フロイトがいう『反復強迫』である。実は、反復強迫は、キルケゴールのいう反復ではなくて想起であり、同一なものの再現なのである。ここには、この他者は存在しない。たんに、法則的(構造的)な再現(表象)があるだけだ。
ある個体への過剰な固執は、したがってその単独性とは無縁であるといわねばならない。プラトンがいったように、エロスとは一般性(イデア)への愛である。一般的にいって、情熱恋愛(passionate love)は単独性とは無縁である。たとえば、ヘーゲル=ルネ・ジラールが明らかにしたように、欲望とは他者の欲望つまり、他者に承認されたいという欲望である。ある個体を欲望するのは、それが他者の欲望の対象であるかぎりにおいてである。他者が愛するような者を愛するということは、その者自体を欲するのではなく、それを獲得することが他者の承認を得られるからである。したがって、どんな恋愛も潜在的または顕在的な三角関係にもとづいている。ライヴァルがいなくなれば情熱恋愛は終る。要するに、情熱恋愛においては、この相手(他者)が問題なのではなく、第三者(他者)、あるいは一般者が問題なのだ。そこでは、<この>他者というこだわりがあるようにみえて、実は<この>他者が徹底的に不在である。」
以上。
惜しむらくは、肝心の、固有名論、他者論に、あんまりからんでいないという点ですね。いわば、<枕>といったところでしょうか。
ところで、岡崎「危険な二人」では、ヨーコとセーコ(でしたっけ?)の、それぞれの恋愛よりは、むしろ、ヨーコとセーコの間の関係そのものが主題化されていると思います。そして、より柄谷的なのは、もちろん後者だと、思うのです。岡崎さんによる柄谷引用は、むしろ、この指摘に重点を置いているんじゃないかなあ。
私見では、あまり幸福な引用をされてないんじゃないかと思われる柄谷さんですが、岡崎さんのこの箇所は、いい線いってるかも、とpoohはおもいます。
それにしても、何故、「探求V」なのでしょうね。謎です。単行本化しろっていう希望なのか、それとも、単行本にできるくらいに書き直せって催促なのか?Vは、ナショナリズム批判といってよい内容(多分)ですから、岡崎さんのマンガとはちょっと距離がありすぎですし。???
いやはや、長いうえに、説明不足で、申し訳ありません。
参考までということで、失礼しちゃいます。では。
ちわ。
お久しぶりです。
そうッスね。考え過ぎか…
いや、確かにおっしゃる通りかもしれない。>poohさん
「神風特攻隊精神」
…うう、適訳というか…アジアで肩身の狭い日本人って感じが… >とみたさん
私は最近中国かぶれです。
で、念願の Banana Fish 中文版をゲット。
1巻で英二が「大和魂見せちゃうぜ!」の「大和魂」の
訳は、英文版では "Japanese spirit"でしたが、中文では
「神風特攻隊精神」になってました。
そういえば、最近パリにもまんだらけができたそうですね。
ポケモンかぶれ(ほんとは、ふらんすかぶれ)の、poohです。
>ラミ犬さん、
ボードレールのアフォリズム集『内面の日記』の「火箭」からでしょう。「芸術とは何か? 売春。」阿部良雄訳ボードレール全集第6巻ちくま書房、1993、p6。訳者による註には「なぜなら作品は本質からして公的(ピュブリック)なものであり、一個の公衆(ピュブリック)に自らを差し出し、公衆によってしか意味をもたず、出来上がるや否や、誰なりと任意の人間の餌食となるからだ。」と、あります。
ほかにも、『赤裸の心』4、『パリの憂鬱』12「群集」にみえる「聖なる淫売」、そのた<売春>に関する言及は数え切れません。
(やっぱベンヤミン、とくに『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』第2章「遊民」あたりも、ゴダールさん読んでるのでしょうね。岡崎さんも? うえの箇所の読解を、群集論、商品論の視点から論じてます。)
遅れ馳せのレスです、tachさん、
>なぜ『神曲』か?
ややこしいことは、ないのでは? ダンテとベアトリーチェの二人を、アベラールとエロイーズ、トリスタンとイゾルデにように、恋愛に関する<神話的カップル>と捉えてやれば、よいのでは? たしかに安易ですが、他に読み方が、あるのでしょうか?
精神のみによる<愛>を扱ったテクストとしては、ダンテ『神曲』は、まちがいなくチャンピオンでしょう。岡崎さんの引用は、<肉体を介さない精神的愛の成就の物語>くらいの、意味が込められているのではないでしょうか?
では。また。
ちす。>中山さん
やっぱ、岡崎は「おフランスかぷれ」ッスねぇ。
私も、岡崎のせいではないけど、後年、おフランスかぶれ志向になったんです。けど、やっぱ、フランス語が読めないから、かぶれようにもかぶれようが無くて…
私の方も報告事項。
「ウィーツィ・バット」(フランチェスカ・リア・ブロック著、東京創元社)
って本を読んだんだけど、これが結構「岡崎テースト」。
モノはアメリカで流行ったLA舞台のヤングアダルト小説です。
高校で一番かっこいい男の子をゲットしと思ったらこれが実はゲイ、ならば一緒にいい男を捜そうってことになるってゆー話で、ほら、ちょっと岡崎っぽいでしょう。
全面的に岡崎って言うよりも、あの「ROCK」や「ショコラ・エブリデイ」をはじめとする「おしゃれでかわいい路線」の岡崎に通じるものがあると思った。
元気だったら、装丁は岡崎に回っていたかもしれない。ホント。
興味のある方はどうぞ。
個人的には結構いけると思う。
…ゲッ、もう朝だぜ。寝よ。
ちす。お久しぶりです。
ちょっとおもろいものを見つけたので、ご報告。
「芸術は一種の売春だと確かボオドレエルがいった」
<<「性格破産者」の手帳より>> 辻潤全集1巻(五月書房)
だそうです。JLGはお国の詩人を引用してさらに「全ての仕事
は売春である」とゆったんじゃないのかなあ。
SWITCH発売が待ち遠しい犬<マテ。お座り。
「SWITCH」岡崎京子特集号
星野さんところの岡崎掲示板で知った話ですが、
12月15日発売の「SWITCH」2000年1月号は
岡崎京子の特集号だそうです。
さよなら90年代ということで、90年代を代表する岡崎京子を特集するとか…
私にとっては岡崎は依然として「今」の作家であって90年代とともに「過去」として回顧されてしまうのは、ちょっとねぇって感じなんですが、
とにかく、ああいう先端を気取る(関係者の方、失礼)雑誌が岡崎の特集を今組むということはうれしいことです。
次号予告の欄に曰く、「我々は岡崎に代わる作家を未だに見つけだせないでいる…」
そうなんだよ、まさにその通りなんだよなぁ…
はじめまして、amiさん
> (今、仕事中ですが)
職場からアクセスしていることがばれないように、当掲示板はリモ
ートホスト名が表示されないように設定しています。
仕事中でも安心して書き込みしてください(笑)
スチャダラネタの件、「リバーズエッジ」の何ページであったか、
後ほど、書き込んでいただけるとうれしいです。
それにしてもpoohさんはすごいです。
最近の「事例集」はほとんどpoohさん一人で書いてます。poohさん
が現れて以来、「事例集」がますます異様に充実してきたもなぁ…
感謝>poohさん
はじめまして。こんにちは。こんなところが欲しかったんですよ〜
「引用集」ね!ここの、コレはあそこからだよね、なんて確認したかった・・・。しかし、Poohさんってはばひろい方ですよね。ホント、読んでて嬉しかったっす。(今、仕事中ですが)
ところで今、手元にないんでちょっとあやふやですが、スチャダラネタでは、「リバーズエッジ」の中で「朝飯田宮の前ちゃんだ!」ってのも
ありましたね。それでは。
20日のアラーキー関係、事例集に追加しておきました。>poohさん
ううん、
いろいろ説明していただいたのですが、
なぜダンテなんだってところが、やっぱり私としては納得が出来ないような気がします、正直言って。
大島やゴダールがエリュアールだったから違うものを持ってきたというのは分かりそうな気がします。
しかし、何故、それがダンテだったのか?
ダンテはエリュアールの代用になり得るんでしょうか?
poohです。
>「ロシアの山」P224下段のコマ ,
>このコマは三重の引用ということになりますね。
>(1)構図としては「アルファビル」で、
>(2)ダンテの「神曲」を手に持ち、
>(3)大島弓子の台詞をしゃべる。
>非常に特殊な感じがします。
確かに。岡崎さんが、通常用いる、引用のテクニックとは、異質ですね。ちょいと、poohなりに、分析してみます。
問題のp224は、冒頭から数えて10ページめです。p224まで、主人公の顔はもとより、作品の主題すら提示されないまま、なのです。
これからはじまる物語の展開に深く関わるだろうことを匂わせるセリフ「今日はわたしの」は、2度繰返されながら、いったい「今日は私の」どんな日なのかは、まったく提示されません。
<サスペンド>の技法ですね。つまり、
「上手なおいしいつくり方」といい、
発話主体を明示しない「団地の朝の音景(?)」といい、
p224の「THE DAY」の、定冠詞の部分について、なんら説明するものではなくて、むしろ逆に、日常の誰のものでもない「A DAY」を、描きつつ、主人公にとってどんな特別な一日になるのか、いったいどんな物語が始まるのか、緊張の度合いを高める役割を果たしています。物語の展開を中吊りにしているわけです。
物語の筋が展開しないばかりでなく、主人公の描写もほとんどなされません。(冒頭の「私は私が私で」は、無視しちゃった。)外面描写は、後ろ姿に限られ、個性も特徴もないただの「久美子」さんでしかありません
そして、問題の3重引用の箇所に、たどり着きます。
「これはなんのお話なんだ???主人公はどんな子なんだ???」っていう読者の疑問に、<一挙にひとコマで>答えてしまうのが、このコマの役割でしょう。このコマ以前の数ページは、このひとコマに収斂しているといっても、よいのではないでしょうか。いわば、サスペンドに対応するカタルシスです。やっと一息つけるって感じ?
@3重の引用のそれぞれが、しかるべく <ライト・モチーフ(示導動機)>の機能を担うことによって、物語の方向性も理解できるし、A主人公の内面性を描くキャンバスたる<顔>が描かれることで、やっとこれから物語がはじまるなって読者は感じると思います。
エリュアールからダンテ『神曲』に差し替えたのは、みっつの理由が考えられます。@エリュアールじゃ誰も知らないだろうから、ライト・モチーフの用をなさない。だいたいタイトルはフランス語で書かれてましたしね。A大島さんもかつてエリュアールの詩編「自由」を引用したことがあって、ダブっちゃってかっこわるい。Bだいたいゴダールも大島弓子も多くの読者は知らない可能性が高いですから、通俗的な理解の得られやすいダンテを持ってきた。
こんなものでしょう。(ホントか?)
うーん。文字どおりに「今日は昨日の前日だからこわいんです」と読んでも次のページを読めば、話は通じるように描くのが、岡崎さんの引用のテクなんでしょうね。
われわれも(?)、まず引用にちがいない冒頭の「私は私が私で」を理解できれば、もっと別の読解ができるのでしょうね。(たのしみ。)
まだまだ発語の主体の多層性だとか、時間経過の演出だとか、この10ページほどのうちで、3重引用のコマへ収斂していく技法を、指摘できる箇所は、いろいろありますね。
とりあえず、こんなもんでどんなでしょうか?
明日は、ポケモン金銀の発売日ですので、いろいろと準備しなくちゃいけません。このあたりで、切りあげます。
では、また。
指摘事項に基づき「引用事例集」を更新しました…
と、書こうとしたら、あら、もう、次の指摘事項が。
とりあえず18日分だけ更新しました。>poohさん
感想など。
「ロシアの山」P224下段のコマ
事例集の方にも書いておきましたが、結局、このコマは三重の引用ということになりますね。
(1)構図としては「アルファビル」で、
(2)ただしポール・エリュアールの詩集の代わりにダンテの「神曲」を手に持ち、
(3)大島弓子の台詞をしゃべる。
非常に特殊な感じがします。
しかし、岡崎は、こうした三重の引用に、いったいどんな意味を持たせたのでしょう?
単なる「お遊び」と解釈していいんだろーか?
わからん…
poohです。
きょうは、アラーキー関係です。
●荒木経惟『東京物語』平凡社1989
岡崎「私は貴方のオモチャなの」p124-125、見開き2ページで、ボートに乗ってアイスを食べる、決めのシーン、荒木経惟『東京物語』p24と、構図が一緒です。ただし荒木さんでは、井ノ頭公園の桜が被写体。
●荒木経惟『センチメンタルな旅』私家版 1971
同じく岡崎「私は貴方のオモチャなの」p124-125、荒木さんの写真集の43枚目「柳川名物川下り」に、構図が似ています。あるいは、荒木『東京物語』p24の原形なのかもしれませんね。ちなみに、この私家版写真集は、雑誌『リテレール』No.16に完全収録されました。チェックは、こちらでどうぞ。
もう一個所、岡崎「私は貴方のオモチャなの」p120、眠るポチのコマ、同上荒木写真集の81枚目(こちらは『センチメンタルな旅・冬の旅』新潮社1991、にも収められています。8枚目。)に、そっくりです。ここに画像があります。http://www.tokachi.co.jp/kachi/art/ARAKI/index.htm
それから、荒木写真集の手書きの自序に「写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。もっとも私の場合ずーっと私小説になると思います」とあるのですが、このあたり、岡崎「私は貴方のオモチャなの」p108、ホシコの読む、太宰治『人間失格』に、結びついてはいないでしょうか?
この前のメールしました、
>「恋愛依存症 KARTE.3」p206の、雪のつもった手すりの高さをながめていると、荒木『センチメンタルな旅・冬の旅』に何枚かみえる、荒木さん家の<バルコニーにつもった雪>を想起しても無理はないんじゃないかなって、感じます。荒木さんの「雪」も「死」と結びついているようですし。ヨ−コさんの遺骨って、道端にとけ残った雪のようですものね。みなさま、どうお感じですか?)
これです。http://www.ch-teo.com/na_forum/arakinema.htm
では。失礼します。
poohです。
きょうは、岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」のあとがきを参考に、まとめてみました。いかがでしょう。
●ロバート・フランク写真集『アメリカンズ』宝島社1993
岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」の、ガソリンスタンド(p11)、ウェイトレス(p30)、車内のふたり(p31)それぞれ『アメリカンズ』、p93、p149、p73の引き写しですね。岡崎作品の十字架(p50)も、『アメリカンズ』p103、p105、p107、p119、p123に、散見されます。以下、ジャック・ケルアックによる序文から引用します。「おんぼろ中古車で、まさに地続きの48州全部を走り回って撮った無数の写真」、「とてつもない死の名声の中、サテンの枕に横たわり、人間、黒人、狂った弔問客が列をなして聖なる顔を一目見ようとする、死ってどんなものなのか、死って生みたいなもんか、それとも?」なお、原本は、1958年、パリで初版です。
●エドワード・ホッパー
岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」p34、右下のコマ、岩波 世界の巨匠『ホッパー』1994、p65の「ドラッグストア」そっくりです。ちなみに同書p104、「夜の散歩者」の解説文には、こうあります。「(略)新しい世代の映画監督たちは、この絵に多くを学んでいる。たとえばヴィム・ヴェンダース(略)ケン・アダムスは映画『天国からのお金』(1981年)でまったく同じセットを作っている。」また解説者は同所でジェラール・ゲガンをこう引用します。「(略)将来のある日、人はホッパー、ハメット、ヒッチコックによってアメリカを旅行する。」
ちなみに、エドワード・ホッパー(1882-1967)は、写実的な手法で、アメリカの都市や人々を描いた画家。彼の絵は、アメリカン・シーン・ペインティングに属すらしいです。岡崎の引用した「ドラッグストア」は、1927年の作品。(こちらに画像あり。http://www.i-galleries.com/hopper1.htm)
●デヴィット・リンチ『ワイルド・アット・ハート』
岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」、p31の「ラジオはつけないでニュースはもう うんざり」、p43の「事故ったあと血だらけでポーチを探し、まもなく死んじゃうおんなのこ」、リンチの映画にも、おなじよな場面がありました。(椹木野衣『ヘルタースケルター』TREVILLE 1992に、この映画を詳しく論じた文章あり。それから、『チェルシー・ガールズ』から、ニコ?のスチール写真も、一枚あります。)
えっと、映画ついでに。ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』に、岡崎同書p40のように、車の後部座席からフロント・ガラスごしに、ひとを眺めるってシーンが、あったような。ひょっとしたら、別の映画だったかも、ジム・ジャームッシュだったかな???
もういっこおまけ、ゴダール狂レオス・カラックスの映画『汚れた血』のエンディングに、確か役名がアンナっていう女のひとが、両手を肩の線に水平に挙げて、飛行場を疾走するシーンが、あります。彼女に求愛し続け終に最後まで拒絶される主人公が息をひきとった直後のシーンです。岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」p51に、似てるような気がします。まあ、でも、ありがちな演出ですから、引用とはいえないかも、です。
●ダンテ「神曲」
岡崎「私は貴方のオモチャなの」は、ダンテ「神曲」の全3篇(地獄,煉獄,天国)による構成を、引用してますね。あ、もちろん主題<愛>も、ですね。くわえて、「地獄,煉獄,天国の各篇とも〈星stella〉という言葉で結ばれている」(平凡社大百科事典:河島 英昭)そうですから、主人公「星山星子」も、引用と考えてよいのでは? ただ、岡崎さんは、キリスト教の三位一体説とは無関係に、初恋地上篇、初恋地獄篇@、初恋天国篇、初恋地獄篇A、初恋煉獄篇の順で、物語を構成しています。
もう一個所、岡崎「ロシアの山」p224で、久美子さんの読むのも、この本です。(ところで、岡崎さんが同じ箇所で引用している、ゴダール『アルファヴィル』で、アンナ・カリーナが手にしていたのは、ポール・エリュアールの詩集『苦悩の首都』でした。ちなみに、アンナが実際に読みあげる詩のほとんどは、<愛>をテーマにしてエリュアールが書いた、彼のほかの詩篇からの抜粋だそうです。詳細は、ユリイカ1998年10月号「60年代ゴダール」収録、遠山純生論文参照。) 付記:うーん、かっこの中の文章、『愛の生活』のゴダール引用箇所に移した方が、いいかもしれませんね。おまかせしちゃいます>tachさん
岡崎さんの引用する二個所とも、<肉体の愛>に関係する点が、ミソですね。ダンデさんは、<精神の愛>が、お得意のようですから。
●トーキング・ヘッズ『ストップ・メイキング・センス』
岡崎「テイク・イット・イージー」p11ほかで、弥七の部屋にはってあるポスターは、これです。この作品、トーキング・ヘッズのライヴ映像です。映画のようです。a film by Jonathan Demme とあります。「ガールフレンド・イズ・ベター」も、演奏してます。
寺原太郎さん、はじめまして。
笛屋HPにはいつもお世話になっています。
推薦盤のコーナーは大変参考になりますし、今回のライブも笛屋HPで知りました。感謝です。
一時の興奮に駆られてあらぬ事を口走ったけど、考えてみれば、自分にはまともな音楽知識もないし、詳細レポートなどとても書けそうもないような気がしてきました…
tachさま、はじめまして。笛屋の寺原太郎です。
詳細レポート、ぜひ書いてください。>モニラル・ナグ
楽しみにしてます。
poohさん
こちらこそありがたいッス。
速攻で更新しました。
モニラル・ナグ演奏会
良かった…
やっぱり巧いは、あのおっさん…
おっさんのくせして何であんなに巧いんだろう?
インド音楽はいいなぁ…
レポート書いちゃおうかな…
ごめんなさい、訂正があります。
萩尾さんの引用部分、「雪はぼくにとって神聖な死の死者だ」
死者ではなくて、「使者」です。
失礼しました。
poohです。
きょうは、MS-dos版平凡社大百科事典に活躍してもらいました。
tachさん、事例集の更新、まいどありがとうございます&おつかれです。これからも、よろしくです。
では、
●萩尾望都「雪の子」
岡崎「恋愛依存症 KARTE.3」p205、死にたいフリするヨシオのセリフ(雪の日は)「死ぬのには/うってつけ/の日だよ」、萩尾望都さんの「雪の子」を思い起こします。雪の朝に自殺するエミールのセリフ「雪はぼくにとって神聖な死の死者だ」、「死ぬためには雪がいるね つもって降ってなけりゃならない」、「そう・・・たぶん早朝だね 雪が降って世界が真冬の死におおわれて白い・・・・・・」などなど。
この萩尾作品は、小学館の萩尾望都作品集第1期、第1巻「ビアンカ」に収録されています。昔の小学館文庫「11月のギムナジウム」にも収められていました。(トレイド・マークがナマズで、表紙イラストの不気味な、変な叢書でしたね。)
ほかにもありましたよの、
●荒木経惟『冬へ』(副題は「Tokyo:a City Heading for Death」)
岡崎「恋愛依存症 KARTE.3」p210の「地元住民をバカに」のコマ、p211の二葉町橋高架橋のしたを二人歩いてくるコマ、それぞれ荒木さんの作品集『冬へ』の、p9、p65からだと思います。
(それから、「恋愛依存症 KARTE.2」p186の柳の木、『冬へ』p111の柳の木かな? ついでにいっちゃえば、「恋愛依存症 KARTE.3」p206の、雪のつもった手すりの高さをながめていると、荒木『センチメンタルな旅・冬の旅』に何枚かみえる、荒木さん家の<バルコニーにつもった雪>を想起しても無理はないんじゃないかなって、感じます。荒木さんの「雪」も「死」と結びついているようですし。ヨ−コさんの遺骨って、道端にとけ残った雪のようですものね。みなさま、どうお感じですか?)
●ゴダール「女と男のいる舗道」
岡崎「東京ガールズ・ブラボー」下巻p12、サカエのセリフ「あとアンナカリーナのナナみたくギャングにあっさり殺されるのもいいわね」、アンナ・カリーナがナナを演じたのは、ゴダールのこの映画だけのはず。ちなみに、ゴダールは、ルイーズ・ブルックス(G.W.パプスト監督の『パンドラの箱』に出演し<ファム・ファタル>の代名詞にすらなっている娼婦ルルを演じた女優。<断髪(ボブ・ヘア)のバンプ>と呼ばれる伝説的なスター)のヘア・スタイルとメーキャップを、娼婦ナナ=カリーナに装わせたそうです。(この項、すべて平凡社大百科事典:柏倉昌美執筆の「ブルックス」より、引用しました。)
これは余談ですが、調べてみますと「ロシアの山」について、こういうのもありました。「1873年のウィーン万国博覧会には,木製の斜面上のレールを2人乗りの車が下降する〈ロシアの山〉が登場した。」これすなわち、「ジェットコースターの祖」だそうです。(平凡社大百科事典、「ジェットコースター」、「遊園地」、各項目より。)
岡崎さんの「ロシアの山」p234には、「あたし火事ってだぁいすき!!(略)ディズニーランドより好き!!」発言がありますし、「ロシアの山」って、どんな山なんでしょうね?
引用事例集、更新しました。
引用事例集の更新をさぼり続けている管理人です。
すみません。
今週中には何とかします。>poohさん、Korosukeさん、とみたさん
ラミ犬さん
> ホモ、SM、ドラッグ、グラムロック
それはある「世代」の共通ファッションだったのではないかと思うのです。
大島弓子は確かにそう言ったものに敏感であったのかもしれませんが、
大島弓子作品の真価というのは、そう言う「世代」性から切り離しても成立するような
もっと深いところにあるんじゃないかと…そんな気がするんです。
その点、時代とともに心中してやるぞっていう気迫にあふれた岡崎京子とは対照的なような…
> 「ラブマスターX」の三巻を買うか
> 「好き好き大嫌い」を買うか、迷っています。
「老人少年」と「SIX SEX SIXTEEN」が入ってるから「好き好き大嫌い」!
「言うじゃん、”愛ってよくわからないけど傷つくカンジがすてき”って」
「ラブマスターX」は、アヴァンギャルドな意欲作で好感が持てるけど、成功した作品ではないような気がします。
…あれ、それじゃ、岡崎も同じか?
…ううん、より愛を感じる方にしましょう…
余談ではありますが、
あさって17日(水曜日)は
インド音楽の巨匠モニラル・ナグの演奏会
(横浜みなとみらい小ホール19:00-)
チケット、手に入れたッス。
ふふふ…
参考URL
インドの時間
インド音楽推薦盤
すいません。訂正。「上記URL」どす。
千円の図書券があるのですが、「ラブマスターX」の三巻を買うか
「好き好き大嫌い」を買うか、迷っています。
きのうは神大の学祭にスチャダラパーが来てたのだ。
学祭などほとんど行ったことのないぼくですが、見に行きました。
そして、「今夜はブギーバック」をやってくれた。大合唱。
さすがにスチャを知らない人でもこれは有名でしょう。
メクマンネ〜〜!!!
11月13日 tachさん
>ただ、大島作品に世相を問うても仕方がないような気がします。
というか、ヘタに世相を取り入れてマズった感があります。
「ブレイクするのよ」は死にました。
それから、元来大島さんはものすごく世相に敏感な人なんじゃないかな。
誰だっけ、ホモ、SM、ドラッグ、グラムロック、みんな大島作品で学んだ、
と発言している人がいました。
11月12日poohさん
>中山ラビさんのアルバム、買ってみました。
をを。そうでしたか。「私ってこんな」でしょうか。
下記URLに感想などお願いしたし<広告は削除か
こんばんは。友部正人 WITH バンバン・バザールのライブをみたところで、興奮さめやらぬpoohです。
で、引用事例の報告と、追加です。
●矢野顕子
岡崎「ピンク」p154には、「いつか王子様が」、同じく p198には、「ローズ・ガーデン」が、登場します。二曲とも、矢野さんのアルバム「ただいま」1981からだと思います。
「万事快調」p46、p89で、みっちゃんの歌う「ピヨピヨピヨ/ゆ−めのひよこをかってるも−ん」、この曲は、作詞糸井重里・作曲矢野顕子の「夢のヒヨコ」ですね。ワン・フレーズ引用しちゃいましょう。「コドモはオトナじゃないんですけれど/オトナじゃできないこともする/3000万人コドモがいたら/なんでもできそうなきがするよ/だってコドモはコドモは/夢のヒヨコを飼ってるもん/夢のヒヨコを飼ってるもん/ピヨピヨピピピーヒヨコがぴょん(略)」
矢野さんのアルバム「ELEPHANT HOTEL」1994、ベスト盤「HITOTSUDAKE」1996、それから企画物のオムニバス盤「ポンキッキーズ・メロディ」1995で、聞けます。
●スチャダラパー
「ひまわり」p99、「ウキャキャキャキャー/エヘッアハッ」、これ「コロコロなるまま」って曲からですね。
もう一個所、「虹の彼方に」p49の、シンちゃんのセリフ「あったかくて/ボーとできるとこ/に行きたいナリ」、これはアルバム「スチャダラ外伝」収録「トラベル・チャンス」という曲の、歌詞(?)「あたたかいところに行きたいナリ」からでしょう。(でもこれって、「キテレツ大百科」が、SDPの元ネタなのかもしれませんね。)
二曲とも、スチャダラパーのアルバム『ポテン・ヒッツ シングル・コレクション』1994でも、聞けます。
(おまけ。「3つ数えろ」p150の「ニントスハッカッカ ヒジリキホッキョッキョ」(誰のギャグかは分かりませんが)SDPもラップで引用してます。『ポテン・ヒッツ』収録の「Little Bird Strut」です。)
●少年ナイフ「バナナリーフ」
岡崎「東京ガールズブラボー」上巻p145、弱気になったサカエさんが歌うのは、この曲です。「頭に/バナナの/はっぱを/の−せて」 この曲を聞くには、1995年にリリースされたアルバム「山のアッちゃん」が、入手しやすいのでしょうか。このCD、セカンドアルバム(1984年、タイトル同名かな?)の、リ・イシュー盤です。
追加、
「ピンク」p25、ケイコの読んでいるのは「ぐりとぐら」ですね。
では、また。
Korosukeです。
昨日の自分の書き込みに恥ズカシイ誤字発見したのでそこだけ、とりいそぎ。
×Lou Reed畢竟の名作 > ◯Lou Reed畢生の名作
慣れないことばを使うもんではないです。
そっすか『くちびるから…』、合本で変更が…。
何かオトナの事情があるのでしょうか…。
みなさん、たくさんの事例をありがとうございます。
早速事例集に追加させてもらいます。
ボリス・ヴィアン
えぇ!っと思ったけど、確認してみたら、ご指摘通り、合本版と二分冊本では該当部分が差し替えられていました。
二分冊本上巻P81はKorosukeさんご指摘の通り、伊東守男訳の「うたかたの日々」。
早川のヴィアン全集第三巻「うたかたの日々」(伊東守男訳)P79をそのまま切り抜いて張り付けたもの。
合本版P89は違う文章ですが、ううん、これはわからん。
日本の小説のような感じですが…
著作権か何かの関係で差し替えたのかな?
大島弓子
私も「近未来オリンピック」は結構いいと思いました。
表題作は、いつもの大島節という感じですが、正直言って、結末のもって行き方がちょっと不満。甘いんじゃないかと。もっとシビアに終わった方が印象深い作品になったような気がします。
ただ、大島作品に世相を問うても仕方がないような気がします。
大島弓子は、岡崎と違って、世相と縁のないところにいるような気がするのですが…
如何でありませうか? > ラミ犬さん
poohです。
Korosukeさん、
>『日々の泡』だと、えーと、p95あたり。訳が違うみたいだけど。
>私が見ている『くちびるから…』は、合本版じゃなくて
>その前に出てた、上下に別れたやつですが。
>ひょっとすると合本にする時、変更があったのかな。
ずばり、そのとおりです。やられました。
ええ、『くちびるから…』1巻には、「コラン」の文字がみえますが、合本版では、代わりに「芳乃、仁」のふたつの固有名が、見つかります。後者は、ですます調で、地の文が三人称の小説らしき文面です。
>荒木経惟の写真集『冬へ』
やっぱありましたか。荒木さんの『平成元年』890522では、岡崎さんが、被写体になってますし、岡崎さんの荒木論「東京に初雪が降った日に」荒木写真全集『陽子』96平凡社収録も、すばらしい散文でしたし、「私は貴方のオモチャなの」のおしまい、「貴方をアイスのだ」なんてベタベタな駄洒落も、荒木さんの本でみかけたなあって探してたところでした。
>写真を使うのは一般的な事みたいだから。それを指摘すんのも、
>どんなもんかなあ、とも思いますが
とんでもない。映像のジャンルはいまだ未開拓のようですから、どしどし教えていただきたいなあと思います。(それに写真集が本棚にあるってのが、にくいですねえ。)
苦手なジャンルの情報が、わっと頭に入ると、興奮しちゃいますね。コーヒーいらずです。なによりたのしいですね。
ありがと(小津『東京物語』の尾道弁で)です。
では。
訂正です:
『東京ガールズブラボー』p62
じゃなくて
『東京ガールズブラボー』(上)p61
でした。
どもKorosukeです。
『雑草物語』買いました。
マンガでなく文章だけど、『近未来オリンピック』に感動したです。
・tachさん、poohさん
>「くちびるから散弾銃」合本版P89の本文…
あれはヴィアン『日々の泡(うたかたの日々)』の結婚式の部分ではないんですか?
今私の手元にある新潮文庫版『日々の泡』だと、えーと、p95あたり。訳が違うみたいだけど。
ただ、私が見ている『くちびるから…』は、合本版じゃなくてその前に出てた、上下に別れたやつですが。ひょっとすると合本にする時、変更があったのかな。
先日『UNTITLED』読み返していて、『恋愛依存症 KARTE.1』p162の上のコマは何かの写真でみたなーと思って本棚探ってみたら、ありました。荒木経惟の写真集『冬へ』(マガジンハウス)p61。
他にもあるかな、と探すと… 『恋愛…』p160の背景は『冬へ』p6、『恋愛…』p156右下のコマの背景は『冬へ』p54をうつしたもののようでした。
…でもこういうのは多分他にもいっぱいあると思うんですよね。マンガの背景資料に写真を使うのは一般的な事みたいだから。それを指摘すんのも、どんなもんかなあ、とも思いますが(でも見つけたので書いてしまう)…
そのほか小ネタ。
『Vamps』扉の、着飾って小手をかざしている女性の絵は『ハリウッド・バビロンI』(邦訳リブロポート刊)p19の写真が元。写真のキャプションによればこの女性は“セックス・シンボル第1号セダ・バラ”だそうです。『ハリウッド・バビロン』はアンダーグラウンド映画作家のケネス・アンガーによる裏ハリウッド史というかなんというか、ゴシップとスキャンダルをひたすら集積した凄い本。
『虹の彼方に』p68
一番下のコマの文章“PART5「スピリッツ」なしで寂しい時、あなたは届けにきてくれますか?”
精神科医香山リカがスタジオボイスに書いたエッセイで、『「スピリッツ」なしで寂しい時、あなたは届けにきてくれますか?』というまんま同じタイトルのものがあります。香山リカ『おかしくってもダイジョーブ!』(ハヤカワ文庫)所収。
『東京ガールズブラボー』
p62の扉絵は、ノイズでインダストリアルなバンド、スロッビング・グリスル“グレイテスト・ヒッツ”のジャケ写真。すなわちコレ。
『恋人はあなただけ』
ヒロインの吉沢ニコ、名前はTHE VELVET UNDERGROUND & NICOのNICOからでしょうね。NICOはドイツ出身のモデルで、ウォーホルの映画“チェルシーガール”等に出演。吉沢ニコはドイツ人と日本人のハーフのアイドル/モデルで、出したCDのタイトルが“チェルシーボーイ”。
あ、ハーフのアイドルとそのステージママって設定は、宮沢りえ母子も入ってますね。
ニコで思い出したけど、
『カトゥーンズ』第22話“Walk On The Wild Side”ってのは、Lou Reed畢竟の名曲のタイトルです。Lou ReedはTHE VELVET UNDERGROUNDの中心人物。そういえばギブスンも彼のファンだという話。
こんばんは、poohです。
tachさん、
>あともう一つくらい「草冠の姫」の同じ場面の引用が
>あったような気がするのだけど、どこだったか思い出せない…
「好き好き大嫌い」収録、「さらば愛しき人よ」の最後、「聞いたか新緑よ」ですね。これって、すでに「マンガ夜話 Vol.2」の「岡崎京子を読み解くための46のキーワード」に指摘があります。北川たけしさんによる執筆です。
ラミ犬さん、
情報、ありがとうございます。友部・どんとというのは、魅力的ですね。聞いてみたいですねえ。(あ、中山ラビさんのアルバム、買ってみました。ん?って感じ(?)これから、ゆっくり聴き込むつもりです。)
とみたさん、
>天人唐草は、私もそう感じた覚えがあります。
よかった。ほっとしました。なにせ印象的なセリフですものね。
>「ユーリ・ミノロフか宗方コーチ」
岡崎「ロック」p97ですね。
ほんとは、ミロノフなのですね、ぜんぜん気づかなかった。
で、ついでに、「ロック」から、引用事例です。
●大島弓子「ダイエット」
「ロック」p31の、「これを食べたら死のう」のコマ、大島さんの「標縄福子」ですね。ひっつめに、セーラー服。モデル経験ありで、セイリ止まっちゃうとこまで、いっしょです。
●魔夜峰央「パタリロ」
「ロック」p39の、スピカの「眼力」、「パタリロ」のバンコランでしょう。どっちも、ホモセクシュアルですし、眼力の効力も、同性に限られるようですし。眼力って、たしか「パタリロ」20巻くらいに出てきたような?未確認です、すみません。
??? ●桜沢エリカ「わたしに優しい夜」マガジンハウス ???
「ロック」の脇役、男デルモの「ケン一」くん(初登場p110?)、「わたしに優しい夜」に出てくる、やさしいやさしいゲイ「ノブくん」に酷似してるよな気がします。ヘア・スタイルも、おんなのこになりたい性癖も共通してますし、なにしろ二人ともやさしいひとです。岡崎も、桜沢も、主人公のおんなのこと、ゲイのおとこのこ(?)とを、屋上でだらだらさせてますしね。(岡崎p138、桜沢p90)
あ、岡崎は連載1989年1月−1990年9月、桜沢は1989年−1990年6月。
で、屋上のシーンは、岡崎1990年7月?、桜沢1990年5月。
岡崎ケン一くん初登場は、1990年4月?、桜沢ノブくんは出ずっぱり。
???よくわかんないですね。いかがでしょうか???
あ、手塚マンガに「ケン一」ってキャラいましたっけ?
「ロック」中、名前に漢字の混じるキャラって、「ケン一」くんだけのような気がしますし。どうなんでしょうねえ。
引用したのか、されたのか、あるいは二人して示しあわせたのか。
???です。
poohさん、
そう、天人唐草は、私もそう感じた覚えがあります。
山岸涼子の引用としてはRockだかなんだか忘れたけど、たしか「ユーリ・ミノロフか宗方コーチ」のようなことを言ってるところがありました。本当はミロノフなのに。
宗方コーチはアタックナンバー1かな。スポ根は苦手でわかりません。
枡野さんは、前夫に嫡出否認の訴えをしてもらうしかないですね。
私は法学部の劣等生で法律は全然わかりませんでしたが、嫡出推定が及ぶ子
については夫が嫡出否認の訴えをするまでは実の父でも認知できない。
周囲の学生が「他人の女房の産んだ子をつかまえて俺の子だと言うことは
できないってことか」と話してたのを覚えています。
つい最近メディア・ファクトリーから出た「こんなマンガがあったのか」
という本に、すごく短いものですが別マに掲載された大島弓子と木原としえ
の合作マンガが載ってます。
夏頃には、山本編集長がやめるからプチフラも休刊になる、という噂
もありました。でも、これは嘘だったみたい。
ラミ犬さん、
UNTITLEDは初版だけにポストカードがついてるという話もききました。
tachさん
>…なんだか、ゴシップ掲示板みたいになってしまった。
(笑)いかんすなあ、、、
とみたさん
>UNTITLED にもポストカードがおまけについてましたね。
そうでしたか。ぐぐぐ。ぼくは古本屋で買ったので、オビはついて
ましたけど、カードはなかった。なんせ買ったのは昨年です。。。
ぼくもきのう「雑草物語」買いました。
正直な感想を言うと、かなり苦しかったです。
さすがに世相と隔たりを感じました。
でも写真はいいですね。実はぼくもしろうと写真をはじめたので
すが、恥ずかしげもなく公開してます。
見る人少ないから、見て下さい>こころ優しき方々
ずっと前のpoohさん
山口冨士男はいまも活動してますよ。かなりよれよれだけどかっこいい、
という評判です。
神戸のチキンは震災後改装して、健在。
それから、友部正人はどんとと共に96年の「長田つづら折りの宴」
に出演してます。ソウル・フラワー・ユニオンの主催で、最大の復興祭り
でした。しかしぼくが到着したのはもう終わったあとだったのだ、、、
ということでソウル・フラワー・ユニオンも4649。
「カトゥーンズ」第19話の例のエピソードはもろに「草冠の姫」の引用だと、私も思ってました。
というわけで、事例集の方へ入れさせていただきました>とみたさん
あともう一つくらい「草冠の姫」の同じ場面の引用があったような気がするのだけど、どこだったか思い出せない…
「プチフラ」といえば山本編集長という名物編集長が退職すると「噂の真相」12月号に書いてありました。
この人は所謂24年組を世に売り出した人で、コミック編集者の世界も世代交代が進んでいることを象徴する出来事だとか…
同じ「噂の真相」12月号には、以前この掲示板にも来ていたことのある歌人の枡野浩一氏が南Q太と結婚したとの記事も。
南Q太は再婚で、前夫のSABE(漫画家)との間に2歳の子がいるのですが、来春には枡野氏との間にできた子を出産予定とのこと。
しかし、前夫との離婚が正式に成立する前にできた子なので、法律上は前夫のこということになってしまうそうです。
なんとまぁ、法律というものはヘンチクリンなものですねぇ…
…なんだか、ゴシップ掲示板みたいになってしまった。
「雑草物語」買いました。
表紙の絵のようなほっぺたが赤い顔は、最近の大島弓子の
特徴ですね。何ヶ月か前のプチフラもそうだった。
UNTITLED にもポストカードがおまけについてましたね。
同じ角川だから?
食事の時に合唱することもある、で思い出しましたが、
「草冠の姫」の、家に一人でいるときに好きなことを
する描写と、カトゥーンズ19の同じ状況の時の描写は
似てますね。
poohさん、こんばんは。
引用ネタ、いつもありがとうございます。事例集に加えさせていただきます。
それにしても「くちびるから散弾銃」合本版P89の本文はいったい何なんでしょう。絶対ヴィアンじゃない!(笑) 私も気になります。
ところで
今日発売の大島弓子「雑草物語」(角川書店)
読まれました?
表題作の中編コミックと、ごく短いイラスト付きストーリー(?)と短編小説(?)、それにあとがきとQ&Aが一緒になった、驚くほど薄っぺらな一冊ですが、
事情が事情なだけに、私はただひたすらありがたく読みました。
再び、poohです。
tachさん、
>確か、梶井基次郎だったような気が
ありがとうございます。思い出しました。
>牧野富太郎は、私の年代だと、小学校の授業に必ず出てくる人でした。>「道徳」の教科書(!)なんかに出てきたような気がする。
>ポピュラーな人だと思ってたけど、poohさんの頃は
>もう小学校では習わなくなってたのかしら?
小学校どころか、がっこ卒業して植物図鑑を開くまで、知りませんでした。なにしろ教わった記憶がないのです。これはある種の不幸ですね。
牧野さんが、子供向けに書かれた植物随筆を、あのころ読んでおきたかったなあ。残念。
それにしても、「道徳」とは! ちょっと恐い気もしますね。
次回は、音楽ネタの予定です。
乞うご期待(?)
では、また。
こんばんは、poohです。
こまかいネタとあやしいネタで恐縮ですが、事例集に加えていただければ、うれしいです。
??? ●山岸凉子「天人唐草」???
岡崎「万事快調」p32、ゆきちゃんのセリフ「たいしたことじゃない/たいしたことじゃない」、山岸作品「天人唐草」の最後から数えて3ページめの「たいした/ことじゃない/たいした/ことじゃない」の引用かもしれません。可能性は薄いと思いますが、<おんなのひとが自身について抱く女性らしさのイメージ>を補助線に引いて考えてみると、なんか案外、岡崎さんによる山岸作品の(部分的な)翻案じゃないかなって深読みしちゃいます。
どうでしょうね???
(えっと、どう説明しても、罪の深いネタばらしになっちゃいそうなので、山岸作品の文脈を紹介するのは、省略しますね。すみません。文芸春秋社が文庫化していますし、BOOK-OFFででも、チェックしてみてください。)
●岩館真理子
岡崎「くちびるから散弾銃」p89、岩館さんの「まるでシャボン」について、こうおしゃべりしてます。「泣けたよね。マリコセンセに一生ついてこと思った。」(ところで、このセリフって、3人のうちの誰の発言か分からないように、描かれてますよね。どうしてなのかな?)
同じく「くちびるから散弾銃」p196で、ミヤちゃんの読んでいる本「私が人魚」ていうのは、岩館真理子「わたしが人魚になった日」ではないでしょうか?
どちらも、集英社マーガレット・コミックスで読めます。
●川崎のぼる「いなかっぺ大将」
岡崎「東京ガールズブラボー」下巻p114の、「わしは絶対大物になるだす!!」のコマって、このまんがからですよね。
●コンタロウ「1・2のアッホ」集英社ジャンプコミックス
「退屈が大好き」収録、「東京マドモアゼル劇場 第2話」p98で、ジャンポール・中沢が、読んでます。
ボリス・ヴィアンについて、すこし。
「くちびるから散弾銃」合本版 p89で、サカエさんが「次の行いこうとするとまた同じとこ読んでてぜんぜん進まない」本の表紙には「ボリスヴィアン」と、あります。ですが、本文の引用は、ヴィアンじゃないですよね。どっからひっぱって来たのでしょう?
おはようッス
ヴィアンネタありがとうございます。
さっそく引用事例集に加えさせていただきます。>mariさん
「うたたかの日々」は訳が二種類出ているようですね。
早川書房から「ボリス・ヴィアン全集3うたかたの日々」として刊行された伊東守男訳のものと、
新潮文庫に「日々の泡」として入っている曽根元吉訳
題名は早川の方が格好いいけど、訳文そのものは新潮文庫の方がいいみたいな感じ…店頭でぱらぱらめくってみた印象ですが…
私の手元には大昔に買った早川版がありますが実はまだ読んでいません。
岡崎が漫画化したと知ってからは、まず岡崎のマンガから読もうと心に決めたのですが、この分では、いつまで経っても読める日は来ないようです…
2度目の訪問です。
ローザルクセンブルクの件、実は調べたけどわかんなかったんです。
解決済みのようで、安心しました。
今日はボリス・ヴィアンについて、気がついたことを。
岡崎京子先生が「キューティー」誌上でボリス・ヴィアン原作の
『うたかたの日々』を漫画化して連載されていたのは周知のことと
思いますが、単行本化されているものの中にもヴィアンネタを発見。
『pink』p.99の絵は『うたかたの日々』の主人公の恋人クロエ
(肺に蓮の花が咲く奇病に侵されている)の病室のイメージで描かれた
ものではないかと思います。
あと、これは手元にないのでページ数などはわからないのですが、
『untitled』の中の「ロシアのお山」(タイトル間違ってるかも)
の中に、「この話はロシアともお山とも関係ありません」みたいな
記述がありましたよね(毎度うろ憶えで申し訳ないです・・・)。
あれは、ヴィアンの小説『北京の秋』が「北京」とも「秋」とも
関係ないからあえて『北京の秋』という名前になったというのが、
元ネタなのではないかと思います。
ヴィアンの『北京の秋』のタイトルにまつわるエピソードは、
「STUDIO VOICE vol.226」のp.32-33の掲載されている、ヴィアンに
関する対談(川勝正幸氏と)の中で、岡崎先生自身が言及しています。
「岡崎引用事例集」、牧野富太郎を追加させて貰いました。>poohさん
…しかし、最近、これしかやってないなぁ。怠慢だなぁ。いかんなぁ。
poohさん、こんばんは。
牧野富太郎は、私の年代だと、小学校の授業に必ず出てくる人でした。「道徳」の教科書(!)なんかに出てきたような気がする。
ポピュラーな人だと思ってたけど、poohさんの頃はもう小学校では習わなくなってたのかしら?
…私も年をとったもんだぜ…
桜の木の下には死体が埋まっていると言ったのは、確か、梶井基次郎だったような気がします。
poohです。
きょうは、牧野富太郎の情報です。
●牧野富太郎
岡崎「Melody でっかい恋のメロディ」p35で、トシが買おうとするのは、牧野富太郎@「日本植物図鑑」全二巻と、A「日本植物志図編」です。
牧野富太郎(1862-1957)とは、日本植物分類学の創始者(?)らしいです。かの西原理恵子を生んだ、土佐の国、高知県の出身です。ユーモアのひとみたいで、「日比谷公園全体を温室にしたい」、「私は植物の愛人としてこの世に生れ来たように感じます、或は草木の精かも知れんと自分で自分を疑います、ハハハハ。」なんてことを、自伝「植物学九十年」に書き付けています。平成の現在でもなお、書名に、彼の名を掲げた植物図鑑は、版を重ねています。
(こちらも参照してください。牧野植物園のHPです。
http://www.i-kochi.or.jp/hp/makino/0000000j.htm )
で、@「日本植物図鑑」全二巻
これは、おそらく「原色牧野植物大図鑑 正続 全2」北隆館 1982 だろうと思います。他に全二巻の牧野図鑑が見当たらないのです。いちお古書価は、昭和61年もの全二冊で¥35000でした。(991104スーパー源氏調べ)およそ原価の半値くらいじゃないかとおもいます。
一冊物の「牧野日本植物図鑑」北隆館 は、昭和15年初版。
この本を現代語訳した、同じく一冊物「牧野新日本植物図鑑」北隆館 は、昭和36年初版。どちらも、モノクロで、古書価は一万円以下。
(ついでにいえば、<原色>というのが曲者らしく、学生の塗り絵レベルの着色だということで訴訟騒ぎになったそうです。その世界の人間は、モノクロ版をいまでも使用しているとのこと。)
A「日本植物志図編」
「牧野富太郎自叙伝」によりますと、日本植物志図編第一巻、第1−12集(1887−1891)、とあります。古書価、原価ともに調べがつきませんでした。内容も不明です。すみません。復刻版などがきっとあるでしょうが、それなりのお値段はするでしょうね。第一巻第一集は、図版・製版・石版印刷ともに牧野自身の手により成ったそうです。なにしろ絵心のあったひとのようで、多くの植物図版を描いたそうです。
●植物図鑑???
岡崎さん、植物が(あるいは植物図鑑が?)お好きみたいですね。
「図鑑少女」p135、「くちびるから散弾銃」合本版p88でも、「植物の図鑑」がイラスト付きで登場します。それから、「お散歩」の植物学者になりたい「みちこ」さんは、科名までもよく諳んじます。植物図鑑好きの証ですよね。
余談ですが、岡崎さんが、<花>を描くことに熱心になったのって、いつごろからでしょうね。「3つ数えろ」くらいから? 上手なのかどうか、わかりませんが、見事だなあって思います。
余談の余談。引用というほどではないですが、「3つ数えろ」の花のきれいさって、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を、思い起こしますね。ん、「桜の樹の下には、死体が埋まっている」みたいなタイトルの小説もありましたね。石川淳だったっけ???
すみません、なるたけシンプルに答えます。
>何故「労働は死の延期」なのかな?
労働とは、生命を維持する活動だからです。息することだって、体の働き=労働ですよね。
>岡崎が「死にながら生きて行く」と言ったのであれば
引用箇所で、明言してるとおもいます。それがわたしの世界観であると。
>「リバーズ・エッジ」のこずえあたりの無表情さ
そうですね、意外と表情の読めないコマは、すくないことに気づきました。「リバーズ・エッジ」だけが、異常に多かったのでしょうか。とくに印象に残っています。
poohは、ただ単に、意味や感情の読み取ることのできない表情が、あってもいいんじゃないかなって思ってるだけなのかもしれません。
白紙に、ペンの黒で描いてるんだなあって感じるような、
物語の展開が、その一瞬ストップしてしまうような、
意味の結びつきから、引き離された顔。
考えながら、岡崎さんの描く表情には、過度に表情の抑揚を付け過ぎてる顔が多いなあって感じました。わざとらしいというか、ことごとしいというか、本当は表情のないことを、隠すような顔だなあ、そう思いました。
ううん、また難しいことを…
何故「労働は死の延期」なのかな?
岡崎が「死にながら生きて行く」と言ったのであれば、それは私なりに納得できることばのような気もしますが…
我々は忘却しながら生きて行き、終いには別人に生まれ変わってしまうと言うことかなっと。
自らが変化することにどん欲であった岡崎らしいことばのように思えますが、ううん、外れかな?
<表情の零度>=無表情ですか。
たとえばpoohさんは「リバーズ・エッジ」のこずえあたりの無表情さに魅力を覚えると言うことなのかな?
外れ?
私自身は「リバーズ・エッジ」なんか読んでると、岡崎はむしろ人の微妙な表情を描き分けるのが巧いなと思ってたんですが…
ただ、その表情は、「意味や情念の力学を描く」と言うよりは、何か非常に静かなものですよね。静謐をたたえた表情というのか…
表情の中に漂うそうした静けさを、poohさんは<表情の零度>と呼んだのだと理解してもいいですか?
tachさん、
すみません、飛ばし過ぎでした。悪いくせです。
ええ、ユリイカ1994年12月の総特集「死者の書」に掲載されている、岡崎さんの文章、「ある過剰とある欠如としての」から、引用します。
「(略)私には”死にながら生きている”という世界観しかありません。萩尾望都先生の『トーマの心臓』の冒頭のページにもあったではありませんか。死には二種類ある/肉体としての死/忘れさられることとしての死、と。単一の死を語ることは不可能です。複数としての死を語らなければ。」
さあ、どういうことなのでしょう。ひとまずトーマのことは置いていくとして、一般的にいえば、一個の生には一個の死しか無い、ということになってます。しかも、生にとって死とは、経験や知覚の不可能性そのものなのですから、死は<超越>という属性を帯びています。生の世界のどこにも属していないのですね。
くわえて、表現として考えてみるなら、死を描くとは、常に死に<ついて>描くことに他なりません。回り道することでしか、死は顕わにならないのですね。(まさに、人(の)生そのもののことのようです。死を否定性として繰り延べ繰り延べ、総合してゆくのですね。なんといっても、労働とは、死の延期ですもの。)
引用した「単一の死を語ることは不可能です。」というのは、ざっとこういうことなのではないでしょうか。
死について語る行為は、不可避的に死を複数化する、とでも言ってみましょうか。言い換えれば、生に対する死の<内在性>。トーマの死は、彼についての生者の記憶のなかに、分散される?
で、死の複数性です。
たとえば、民族学でいう儀礼や神話なんかでは、<一度死んでみること>が、重要な意味を持ってるようです。(素人議論ですみません)
一度それまで属した世界から離脱してみることで、生の世界の持つ意味を新たに捉え直す、というのが、<一度死んでみること>の本質だと思います。たとえば、こういう例が、死の複数化の一例ですね。
ですが、岡崎さんのいう<死にながら生きている>というのは、ちょっと違うようです。とはいえ、老化だとか病だとかいった、生物が時間とともに、その細胞組織を崩壊させてゆく過程として、とらえている訳でもないでしょう。(もちろん、これらも死の複数化の試みですが)
大島弓子『四月怪談』を翻案した、岡崎「恋愛依存症 KARTE.2」では、死後の世界から再生して、なおかつ<死にながら生き>るだろう女の子を描いています。既存の<死と再生の物語>では、おさまりがつかない生を(そして死を)生きざるをえないのが、岡崎さんの描く作品世界なのでしょう。
で、<表情の零度>というのが、<死にながら生きている>ことのとても巧みな表象ではないか、と思うのです。
零度とは、アカデミックにいえば、四方田犬彦さんが『漫画原論』ちくま書房 で、用いた用語です。目口鼻など顔のパーツを描きながら、意味や感情といった表情が度合いとして読み取れない、ニュートラルな表現のことを、いいます。(多分)普通にいえば、いわゆる無表情というやつですね。
人間のこころの、意味や情念の力学を描くのが、内面描写だとしたら、岡崎さんの<表情の零度>は、通常の表現の枠組みを、ちょいと踏み出たところにあるのではないでしょうか。ただの無表情や自己沈滞にしては、あまりにも過剰なものを含んでいますものね。
かといって、それが何かは、おいそれとは名指すことができない。このあたりが、poohにとって、岡崎さんをもっとも魅力的に感じるところなのです。
死の複数性をキー・ワードにして、<表情の零度>に踏み込めていけたらなあと、ちかごろ感じています。
ふう、だいたいのエスキスは描いたつもりです。どうしても、長文になってしまいますね。すみません。ほんとは、こっから先が、大事なんですよね。ともあれ、きょうはこのへんで。
ついでに、ユリイカ同箇所から、もひとつ引用しておきますね。
「ワニも死体も『外部』であり『異物』です。物語に異物を挿入し、新しい物語を孕ませること。このことだけが私の望みであり唯一の祈りです。」
死の複数性?
へぇ、そんなこと言ってたんですか。
意味がわからん。
凄くかみ砕いた普通のことばで言ったら、要するに死を意識しながら生きるってこと?
いったいどんな場での発言だったのでしょう? > poohさん
だんだんpoohさんの議論についていけなくなっているよーな…
<表情の零度>って言うのも分からない。
もう少し説明していただけるとうれしいです。
poohです。
tachさん、
>バタイユ的蕩尽論
興味深いのは、岡崎さん「死の複数性」ってことを、発言しているのです。どう解読するかは、むつかしいですが、ある過程の極限として死をもってくるのではなく(バタイユを読んだ三島由紀夫のように)、死を<尽>くすことそのものを、持続するなにものかとして捉えたのではないかと思います。
その点では、バタイユの激越よりは、むしろサミュエル・ベケットの散文性に近い気もしてます。(ボリス・ヴィアンの暗い暗い小説も、もちろん無視できませんが)
マンガ作品として論じる場合、岡崎さんの描く<表情の零度>を、しっかり押さえて、説き尽くせば、なかなかおもしろいことになるのでは、などと考えています。
以上、片言でした。
とみたさん、
>はじめは11月1日だったのに、変更されちゃったんですよね。
ね。もう少しだけ、おあずけみたいです。
薄い本みたいですから、「ぐうぐう」は、きっと収録されないのでしょうね。こちらも、おあずけです。
ラミ犬さん、
>ボ・ガンボスのビデオ、それは入手困難でしょう。
あらま。中古レコード屋まわるのも、面倒ですしね。
>ボ・ガンボスは92年の京大西部講堂でのフリーコンサートを見た。
うらやましい。poohはそのころ、TVのエア・チェックで、
どんとが、ひとりギター一本でやったアコースティック・ライヴなんかを見てました。(NHKの番組です、チャーやパンタも違う日に演ってた)それから、山口冨士男率いるTEARDROPSを、神戸のチキン・ジョージ(現存するのかしら?)に、見に行ったり。彼は、いまどうしてるのでしょうね?
さて、本題。
岡崎『くちびるから散弾銃』合本版p269、DATE33「サヨナラ・ニッポン」に、「さよなら/アケミ」と書かれたポスターがあるのですが、このアケミさんって、JAGATARAの江戸アケミさんでは、ないでしょうか?
『くちびるから散弾銃』連載最終日が、1990年5月で、アケミさんの亡くなったのが、少なくとも1990年3月以前ですから、時期的にも無理はないのでは? ちなみに、JAGATARAの最後(?)のアルバム『そらそれ』には、ミュート・ビートの小玉和文さんが追悼文をしたためてます。
で、ここからひるがえって、
●村上龍「だいじょうぶマイフレンド」
「ハッピィ・ハウス」のるみ子はP18で「だいじょびマイフレンド」と言っていますが、これは村上龍の小説・映画「だいじょうぶマイフレンド」ですね(KAZU)(19990808追加)
に、異論を唱えてみます。
JAGATARAのアルバム『それから』1989の、7曲め「中産階級ハーレム −故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ−」の、一番最後に、この「だいじょうぶマイフレンド」というセリフがあるのです。
もちろん子供受けしそうな村上龍の作品の引用だろうなあと、思うのですが、いちお万が一のありうる可能性のために、報告してみます。
いかがでしょう?
poohさん
>ボ・ガンボスのビデオで見かけた覚えがあります。
>オフィシャルで発売されたもののはずです。
いやあ、それは入手困難でしょう。いくらオフィシャルとはいえ。
忘れてましたけど「くちびるから散弾銃」の最初に登場人物のプロフィール
ありますが、サカエのアイドルは「ボ・ガンボスのどんと」でした。
ボ・ガンボスは92年の京大西部講堂でのフリーコンサートを見た。ビデオ化
されてますが、こんなすごいライブはもう2度と見られないかも。90年代の
「ラブ&ピース」っていう感じで、あの頃ぼくもプー太郎だったし。
でもね、あれもバブルの夢だったのかなあって今は思う。
大志を抱くプー太郎、ってね。
poohさん、雑草物語の発売日は、はじめは11月1日だったのに、
変更されちゃったんですよね。きのうを楽しみにしてた人がたくさん
いたのに。
「引用事例集」、速攻で更新しました。> poohさん
「リバーズ・エッジ」以降、岡崎は確かに変わりましたね。
仰るとおりバタイユ的世界に近づきつつあったのかもしれない。
浅田彰的に逃げ切ろうとしたが、果たせず、バタイユ的蕩尽論の世界に落ち着いたとか…
栗本慎一郎辺りも出てきそうな感じッス。
でも、岡崎は栗本だめだろうな…どう転んでも栗本じゃお洒落じゃないし、ファッションにならんもなぁ…
以上、雑感でした。
再び、poohです。
ラミ犬さん、
>実は知り合いのサイトで質問だしたら即答があって、
>早くこちらにお知らせすべきでした。
ありがとうございました。
たくさんの情報が、あっというまに集まっちゃうのですね。
すごいBBSですね。
それから、「僕は特急の機関手で」ですが、
榎本健一が歌っているCDを見つけました。宣弘社『懐しのテレビ・ラジオ主題歌全曲集』というCDに、収められていました。詳しい情報がまったくなかったのですが、鉄腕アトム、てなもんや三度笠、少年探偵団、などの曲とともに選ばれていますから、きっと有名な番組で使われたのでしょうね。
それから、ローザの「デリックさん物語」ですが、
poohは、ボ・ガンボスのビデオで見かけた覚えがあります。
オフィシャルで発売されたもののはずです。
一度聞いてみたいという向きには、どうぞです。
では。
poohです。きょうは、文学方面でいきますね。
●ヴィリエ・ド・リラダン『アクセル』
岡崎「Melody でっかい恋のメロディ」p36の、リラダンの引用、「生きることなんて、召し使いにまかせろ」、これは、おそらくリラダンの長編小説『アクセル』からの一節でしょう。齋藤磯雄著作集第1巻 東京創元社 収録の「リラダン」p15に指摘あり。いわく、「『アクセル』の中に(略)侮蔑的な豪語がある。 −生活? そんなものは下僕共がしてくれるさ!」、『アクセル』収録の 『リラダン全集』全5巻は、東京創元社より刊行されていますが、未確認です。すみません。
●沼 正三『家畜人ヤプー』
岡崎「東京ガールズブラボー」下巻p116、のび太の読んでる本「ヤプー」は、これでしょう。沼 正三『家畜人ヤプー』、マゾヒズム小説(?)かな。いまなら幻冬社アウトロー文庫で読めます。
●中川李枝子・大村百合子『ぐりとぐら』福音館書店
岡崎「東京ガールズブラボー」下巻p119歯医者さんの待合室で、お子さまが読んでます。五冊ほどシリーズ化されている、絵本の古典ですね。
もう一個所、岡崎さん引用してたと思うのですが、失念。すみません。
略称(?)「ぐりぐら」です。
●ジョルジュ・バタイユ
岡崎「東京ガールズブラボー」上巻p16、のび太の読む本「バタイユ」、これは、ジョルジュ・バタイユかな。別人の小説家クリストファー・バタイユ(?)じゃ、ないと思います。
えっと、バタイユさんは、哲学者で小説家でもあります。 著作は哲学書に『内的体験』、『エロティシズム』、小説に『眼球譚』、『マダム・エドワルダ』、『空の青』など。岡崎の引用は現代思想系と解してよいですね。ジャック・ラカン(同書上巻p93、下巻p167)も登場してますし。ヘーゲル弁証法のバタイユ流読み換え<両極端の一致>というのが彼の思考のコアらしいです。
岡崎「エンド・オブ・ザ・ワールド」のキス・シーンのセリフも、バタイユの影響下にあるのではないでしょうか?
参考までに、『内的体験』現代思潮社 p166、第三部「死はある意味ではひとつの瞞着である 2」より引用しますね。「嫌悪と熱狂的誘惑とは結びあっている。死の中で、それらは激発する。(略)最終的渇望と極限的恐怖とがぶつかりあう点そのものが問題なのである。それほどの恐るべき遊戯と恐るべき夢とを命ずる情熱は、もはや何ものでもなくなることへの欲望であると同時に、自我(強調点略す、pooh)であろうとする狂乱の欲望でもある。」
●蓮実重彦『物語批判序説』中央公論社
岡崎「恋はエスプリ」(『ボーイフレンド is ベター』収録)p112で、シゲオミ・ハスミが読んでいますね。
●ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』
岡崎「東京ガールズブラボー」下巻p133で、丸玉玉子が読んでます。
岡崎『ヘテロセクシャル』収録の「彼女」p132でも、引用されてます。
「しかしエンマは、自分の正しいと信じている理論通りに恋を感じようとした。」第一部第七章にみえる一節です。ちなみに邦訳は、中村光夫(講談社)でも、生島遼一(新潮社)でも、白井浩司(旺文社)でも、ありません。不明です。
tachさん、松浦引用の件、勿論OKですよ。ちょっと場所ふたぎなのは、勘弁してくださいね。
「事例集」更新しました。
poohさん、Korosukeさん、mariさん、ラミ犬さんに感謝。
「ウサギのダンス」はあんなもんでどうでしょう? > poohさん
「ローザルクセンブルク」
「くちびるから散弾銃」の何ページに引用されていたのか、分かったら教えて下さいね。
お待ちしてます。> mariさん
poohです。
>みなさま、明日11月1日、大島弓子『雑草物語』の発売日です。
>書店に走りましょう。
ごめんなさい。まちがいです。
*****11月10日発売*****でした。
角川のHPで、まず確認すべきでした。
ほんとに本屋に足を運んでしまわれた方、おわびします。
すみませんでした。
>「僕は特急の機関手で(東海道編)」
あらら。もう調べてしまったんですね。
実は知り合いのサイトで質問だしたら即答があって、早くこちら
にお知らせすべきでした。
http://www.sakuranet.or.jp/~booch/
の「もののけと遊ぶ伝言板」なんで、のぞいてみてください。
ローザの「デリックさん物語」はセカンドアルバム「ローザルクセ
ンブルグII」(1986年)です。
岡崎がなんでローザ?と思ったりしますが、坂本龍一の関係だった
MIDIレーベルから出てるし、ローザがデビューしたのもコンテスト
で審査員が坂本龍一だか矢野顕子だったから、だそうで、そういう
ニューウェーブつながりかなと想像します。
mariさん、はじめまして
事例投稿大歓迎です。
是非、事例集に加えさせて頂きたいので、引用が行われていた場面(単行本のページ)と、引用曲が納められているアルバム名を教えて下さい。
元はといえばこの事例集、掲示板に皆さんが書き込んでくれた事例があまりにも面白く、このまま消してしまうのはもったいない、保存しておこう、という動機で始めたものです。
それが当初の予想を超えて成長し続けているのでうれしいです。
インターネットは凄いなぁ、岡崎はやっぱりみんなに愛されてるんだぁ、と、つくづく思う今日この頃ッス。
poohさん
松浦の件、引用かどうか判断に苦しむ微妙なところがかえって面白いかとも思います。そう言う線でまとめられないか、ちょっと試してみますので、少々お待ち下さい。
単行本未収録作品の件は、それが岡崎作品の理解にプラスになるものであるなら、むしろ、積極的に取り入れるべきであると思ってます。ただし、単行本未収録作品です。みんなが読めるわけではありません。それなりの工夫をして頂くと、読む方の立場としてはありがたいです。たとえば、やや詳しい作品内容紹介を添付し、引用がどのよう場面・文脈で行われたのかを説明するとか… 結構手間ですが、そう言う形で事例を提供いただけたら大変うれしいです。