tach雑記帳
趣味の翻訳
なぜ「趣味の翻訳」なのか?
本題に入る前にちょっと補足説明を…
presented by tach
なぜ「趣味の翻訳」なのか?
▼「翻訳」とは何か?
おそらく特殊な意見であろうと思いますが、「翻訳」は「楽譜を見ながら楽器を演奏すること」に似ていると思っています。
「外国語」という「楽譜」を見ながら「日本語」という「楽器」を奏でているわけです。
演奏するという行為が、音楽をただ聴くという行為とはまた違った、音楽の享受方法の一つであることは、誰もが認めるところでしょう。楽器が弾けない人だって、歌うことは出来るし、これもまた演奏の一つです。それがものすごく楽しいものであることは、巷でカラオケが盛んなのを見れば、一目瞭然。
で、僕は主張したいわけです、ことばだって同じだと。
好きな文章を翻訳することには、読むという行為とはまた違った快楽がある。
そんなわけで、一人コソコソ続けてきた「趣味の翻訳」ですが、このたび、これを、インターネットの片隅に、こっそり公開することにしました。
要するに、下手なカラオケを人にも聴かせたくなってきたということです。
…すみません…
▼「正確な」翻訳は可能か?
原理的に不可能だと思います、別にポスト・モダンにかぶれているわけでないけど…
そんなこと言って、お前、自分の下手くそで我流の翻訳の言い訳にしてるんだろう!と突っ込まれそうですが………、その通りです。
…でも、次のようなことは言えるので、「翻訳=楽譜演奏」という主張もあながち否定は出来ないだろうと思っています。
第一に、「dog」は「犬」ではない。
英語と日本語は一対一でぴったりと対応しているわけではない。これはむしろ常識であって多言を要しないと思います。例えば「dog」と「犬」。動物の「イヌ」と「人間に対する蔑称」という点では、意味が重複しています。でも英語の「dog」には日本語の「犬」にはない「雄犬」という含みがあります(雌犬「bitch」の反対語として)し、動詞としても使う「尾行する」という意味がある。一方、日本語の「犬」は「犬猿の仲」ということばがあるように、「猿」ということばと対になっている。英語の「dog」にはこういう対応関係がない。「彼が犬なら、彼女は猿だ」という日本語をそのまま英語に訳しても意味(=仲が悪い)は通じません。…だと思うんだけど、さぁ、どうかな? まぁ、とにかくこんな具合に「dog」と「犬」がぴったりと対応しているわけではないことは確かです。単純に「犬を英語でいうとdogだ」とは言えないわけです。せいぜい「dog」ということばと「犬」ということばは意味が似ているとしか言えない。
第二に、「noun」は「名詞」ではない。
英文法上の名詞「noun」は日本語の文法上の「名詞」とは別物である。これも常識かもしれませんが、僕なりに例を挙げて考えてみます。
話は飛びますが、「冠詞」です。学校で、不定冠詞「a」は「一つの」と訳し、定冠詞「the」は「その」と訳すように教えられました。確かにうまいやり方です。でも、これが結局は
ごまかし
であることにはすぐに気づかれたでしょう。英作文などやらされた日には、何だか訳が分からなくなってパニックに陥ります。「a」にしたらいいのか「the」にしたらいいのか、さっぱり分からない。それどころか「単数形」にすべきなのか、それとも「複数形」にすべきなのかすら、よく考えると分からなくなってしまう。日本人として素直にやると常に「単数形」で「冠詞」はどこかへ行ってしまう。だって、日本人である我々が「犬がいた」と言うとき、その「犬」が「ある類の中の一匹」であるか、それとも「ある特定の犬」であるかなどということは考えないですよね? 「犬」はあくまで「犬」なのであって、僕たちの頭の中にはそれが「a」であるか「the」であるかなどとはそもそも考えていない。もし考えるとしたら、日本人である我々は、おそらく、「あ、犬だ」とまず考えて、しかる後に、その犬が自分の知っている「例の犬」なのか「犬という類のうちの一匹」なのかを考えるのです。しかも日本語だったら「犬という類のうちの一匹」であることと「例の犬」であることは矛盾しません。しかし、英語の場合は、互いに両立しない「対立概念」であるらしい。
このことに関連して、「dog」に「a」や「the」がついているのではない、「a」や「the」に「dog」がついているのだ!という説明を聞いたことがあります。英語のネイティブ・スピーカーが犬を見たとき、まず頭に浮かぶのは「a」か「the」であって、しかる後にそれを「dog」とか「cat」とかで「修飾」するのだと。言ってた本人が日本人なので当てになりませんが、でも、それくらい英語と日本語は違うのかなぁ、という気がしてきます。
単複の違いにしても、「犬」はあくまで「犬」であって、「犬」ということば自体の「複数形」などというものは「日本語」には存在していないのではないかという気がしてくる。従ってその対概念である「単数形」もない。「犬」はあくまでも「犬」なのです。強いて言えば日本語の「犬」は「単数形」に近いかもしれないけど、でも、英語で言うところの「単数形」ではない。
そんな風に考えてくると、「dog」と「犬」では意味が違うどころか、属している「品詞」そのものが違う。英語の「noun」は日本語の「名詞」ではない。というよりも、「世界の見方」のそのものが、英語を話す人と日本語を話す人では根本的に異なっているということは、もはや明らかではないでしょうか?
そんなわけで、英語と日本語の間には、「暗くて深い川がある」。(©野坂昭如)
「英語を日本語にする」とか「日本語を英語にする」というのはウソだ!という気がしてきます。
「日本語」は「日本語」で、「英語」は「英語」。僕たちは「訳す」と称して「何か似たような感じのするもの」を「でっち上げる」ことしか出来ないのではないでしょうか?
そう考えると、あとは気が楽なものです。もう、好きなようにやっちまえ!
もちろん、「プロ」の人たちが、こうした困難を十分に認識した上で、それでもなお、「この訳は正確か?」と日々真剣に思い悩んでいることは承知しています。
…すみません…でも…だから…、これ、「趣味の翻訳」なんです…
▼「著作権」は?
避けては通れない著作権の問題に触れておきます。
●一般的言い訳
僕としては決して著作権法の
精神
並びに
目的
をないがしろにするつもりはありません。
第一に、著作権者の立場を尊重し、原著者・出典を明示します。
第二に、著作権者の経済的利益が損なわれないように配慮します。
第三に、原著の素晴らしさをより多くの人に知ってもらい、それがより多くの人々の精神的共有財産として活用されるようになることを願っています。当サイトにおける公開はそのためのきっかけとなることを願って行われる非営利活動です。また、そうした観点から、原著の入手方法にも出来るだけ言及します。
形としては現行の著作権法に抵触することになるかもしれません。しかし、上に述べたような意味では、このような行為が
法本来の目的と精神
と矛盾しないものであることを信じています。権利者の方々には、こうした状況を考慮して、大目に見ていただきたいとお願いするしかありません。
●
「個人的知識」
に関する言い訳
著作の性格からして、著者が(もう故人ですが)、こうした公開のされ方に対して異議を申し立てることはないだろうと考えます。
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「日本のみやげ」
に関する言い訳
こちらも故人ですが、作家としての評価も紹介もまだまだこれからの人で、そうした素晴らしい作家を少しでも多くの人に知ってもらいたい、彼女の本の売れ行きに少しでも貢献したい、という気持ちからアップロードしました。だから許してください。(…僕の訳で作品の素晴らしさが伝えられるかどうか、心もとありませんが…)
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