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●古参

 その後の彼の消息についてはあまり大したことは分からない。
 放免されたあと、学校にも、加わっていた右翼団体にも顔を出すことなく、そのまま郷里に帰ったとも言う。
 それから数十年後、その荒井由実が流れる部屋の中で、古参は苦笑する。
「今になって思えば、奴は正しかったような気もしてくる。えっ、そうだろう?」
 いきなりそう言われても何とも答えようがない。僕は目をぱちくりさせるばかり。
 ところは柴田が出迎えたのと同じ古びたビルディングの別な階。
 南向きの部屋らしく、一方の壁の大半を占める天井まで届きそうな大窓からは、午後のうららかな陽射しが燦々と射し込んでくる。日の光をいっぱいに浴びた壁はまぶしく輝き、部屋の中は光で溢れかえる。
 部屋が明るすぎるのか、古参はしきりに瞬きを繰り返す。
 コードネームから想像していたような歴戦の戦士というイメージからはほど遠い男だった。そろそろ五十に手が届きそうな年の頃だろうか。ぱっと見て、目元が弱々しく、しなびきったような印象がある。こけた頬や、脂気のない薄い頭髪がそんな印象を与えるのかもしれない。昇進し損ねて平のまま定年を目前にしている疲れ切った勤め人のような風情。
「俺たちは孤独だった。」
 古参は、溜息混じりで、回想する。
「誰も振り向きもしないのに、躍起なって通りの真ん中で叫んでいたようなもんだ。声を張り上げれば張り上げるほど、行き交う連中は、ますます知らんぷりをして通り過ぎてゆく。自棄にもなるさ…。よど号事件を知ってるか?」
 僕は首を振る。
「じゃ、浅間山荘事件は? テルアビブ空港の乱射事件は? 連続企業爆破事件はどうだ?」
 どれも知らない事件ばかりだ、と僕は答える。
 古参は、驚愕の表情を浮かべたが、次の瞬間、あきらめの吐息を漏らす。
「まぁ、そんなもんだ…。ホントは色々あったんだ。爆破テロやら、数知れないリンチ事件やら、いつ果てるとも知れない報復合戦やら、いろいろあった。みんな無意味な馬鹿騒ぎだよ。多くの仲間が無意味に人を殺し、自分も殺されていった。監獄の中で首を吊った奴もいたな…。たくさんの奴らが消えていった。無意味にな。無意味に…。もうたくさんだ…」
 そこで古参は黙り込んでしまう。
 うつむいて、まるでゼンマイの切れた機械仕掛けの人形のようにじっとしている。次々と甦ってくる昔死んだ仲間たちの思い出に心を囚われてしまったのだろう。そのとき、彼の心の内には、様々な過去の断片が去来していたに違いない。たとえば昼下がりのオフィス街。いっせいに砕け散りきらきら光りながら雨のように降り注いでくるガラスの破片。血まみれになって横たわる男の姿。鉄パイプで頭蓋骨を打ち砕かれようとする男が、最後の一瞬、古参に注いだ視線…
 僕の目には、そんな古参自身が、遠い過去の世界から現れた亡霊のように見えてしまう。いや、とうの昔に死に絶えたはずの古生代の生き物が何かの弾みで甦って突然目の前に現れたようなものだ。
 やがて古参の心は追憶の旅を終えて、現在へと帰還したらしく、顔を上げる。
 僕の目に浮かぶ奇妙な表情に気がつくと、苦笑した。
「退屈な話をしてしまったかな?」
 僕は黙って頭を振る。
 古参の苦笑は自己憐憫の笑いに変わる。
「馬鹿だよなぁ、ホント…。自分たちの真の敵がどこにいるのか、さっぱり分からなかった。気がつくのが遅かったよ。十年も二十年も掛かったんじゃ、目も当てられない。いや全く、こんなところにけしかけてる奴がいたとはねぇ。」
 僕と古参が差し向かいで座っているテーブルの中央には、ぽつんと、一台のラジカセが置かれている。この部屋に入ってきたときから点けっぱなしで、荒井由実はそこから流れていた。恋のスーパーパラシューターが何とかかんとか…
 古参は惚けたような表情でしばらく耳を傾けていたが、やがて、ぽつりと呟いた。
「結局、奴が一番正しかったんだ。」


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