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●牢獄

 ……静寂の中にふと人の気配を感じて目を上げると、鉄格子の向こうに、いつの間にか柴田が立っている。
 目が合うと、穏やかに微笑んだ。
「驚かせてしまったかもしれませんね。そんなつもりじゃなかったのですけれど。」
 妙に改まったしゃべり方に違和感があった。
「おかしいですか。私はあなたに感謝してるんです。だから、危険を承知で、ここまでやって来たんです。私が考えていることを自分できちんと説明しておきたいんですよ。私の気持ちが分かっていただけるとは思えませんが、それでもきちんと説明しておくのがあなたに対する礼儀だと思っていますので。」
 柴田はそこでことばを切って、僕の顔をじっと見つめた。
「私はねぇ、国家というものがたいそう好きでして、人間が発明したもので最も素晴らしいものは国家なのではないかと常々思っています。自然科学とかテクノロジーというものはどうも元から自然が用意してくれていたものを見つけだしたというか、本当の意味で発明や発見の名に値するもののようには思えません。宝探しゲームみたいなものです。自然があちこちに埋めておいたものを我々が掘り返して、俺はこれを『発見』したんだと悦に入っている。なぁに、我々はただ自然に遊んでもらっているだけですよ。それに気付かず、何か自分が大層なことをやり遂げたような気になっている。人間が本当の意味で創造できるものがあるとすればそれは自分自身に関する制度なのではないかと思います。制度というのは政治とか、経済とか、法律といった社会の仕組みだけではない、盆暮れの付け届けから日常の挨拶にいたるまでこれまたすべて制度です。芸術だって突き詰めて考えれば制度ですよね。自然科学やテクノロジーだって制度であることは確かだが、対象だと思い込んでいるものの方ばかり見ていて自分の足元を見つめようとしない。自己言及しない体系ですね。軽薄なものだ。制度を生み出し維持発展させることこそ人間の最大の関心事です。人間は制度が好きなんですよ。その最大のものが国家だというわけだ。私だけじゃない。人間はみな国家が好きなんです。国家が人間の活動のすべてに意味を与えます。芸術も、宗教も、科学も、みな、国家が有ってこそ成立し得るのです。国家がなければ、それらは、やがては衰退し、消え去ってしまうかもしれません。言語だって、国家がなければ十分には発達し得ません。本当なんですよ、ありとあらゆる人間的なものの存在は、すべて、国家が存在しているからこそ、維持され、より高度なものに高められて行くのです。素晴らしいじゃありませんが、国家と言うものは……。」
 そう言い切ってしまってから、柴田は、慌てて周囲を見回した。いつの間にか声が大きくなってしまったことに気がついたのだ。しかし、辺りは相変わらず静まり返っている。周囲の独房には誰も収容されていないうえに、看守の姿すら見えない。そのことを確認してから、柴田はことばを続ける。
「とにかく、その大切な国家を、あなたが救ってくれました。感謝していますよ。本当に、心の底から感謝しているんです…… 明日、あなたは、超法規的措置によって、公開で銃殺される。世間の人々の憎しみを一身に集めて。そして人々は忘れかけていたもののかけがえのなさを思い出します。一人一人になってしまった人間など無力なものです。突如として襲ってくる暴力から誰が彼を守ってくれるのでしょう。私は国家が一面に於て究極の暴力装置であることを否定しませんよ。でも、国家が有ろうがなかろうが、暴力は存在します。人間の天性であり、社会を律する唯一の原理ですから。そして暴力に対抗する唯一の手段は暴力なのです。きれい事を言ってもしかたがないではありませんか。事実は事実です。国家が人間的なもののすべてを包括する究極の制度であろうとするなら同時に究極の暴力装置であることを避けるわけにはいきません。いや、寧ろ、国家が暴力を取り込まなかったら、いったい誰が暴力を律するのでしょう? なるほど、自分の中に潜む暴力性を律することができる人間は決して少なくない。私もそうだし、あなただって、本当はそうだ。おそらく百人のうち九十九人までそうかもしれない。でも、あと一人がそうでなかったらすべてはぶち壊しだ。たった一人の暴力から自分自身を守るため、残りの九十九人のすべてが結局は暴力に頼らざるを得無くなってしまう。そんな社会は地獄そのものです。やっぱり暴力は国家に委ねるのが一番理性的な判断だと思いませんか? おや、怪訝そうな顔をなさっている。何で、自分が国を救ったことになるのか、全然分からないと言いたそうな顔だ。お教えしましょう。あなたがいったい何をやり遂げて下さったのか。要するに、人々に恐怖を与えて下さったのです。自分たちには国家が必要であることを改めて認識させて下さったのです。人間と言うものは奇妙なもので、心の底では自分たちが国家というものに依存しきっていることを理解しながらも、甘やかされ続けると、やがて、自分より劣った指導者を頂くようになります。優れた指導者はかえって憎まれます。高邁な理想や、高潔な道徳といったものに我慢できません。彼らは自分たちより明らかに劣った人物に権力を持たせたとき、初めて嫉妬から解放されるのです。表面でへつらい、陰で嘲ることが何よりも楽しいのでしょうね。自分たちが誰かに統治してもらわなくては自分自身の面倒が見られないことは十分承知しているが、それでも我慢ができない。下衆な復讐心です。そのことで自分の身を滅ぼすかもしれないことは十分承知しているはずなのに、それでも彼らの歪んだ自尊心は復讐することを止められないのです。結局、彼らが、国家に対する正常な感覚を取り戻せるのは、自分たちが撒いた種で、国家が揺らぎ始めたときだけです。国家が提供してくれる秩序と安寧がなくては自分たちがやって行けないことを、そのときになってようやく悟り始めるのです。でも、そのときは大抵、もう手遅れなのです。詰まるところ、彼らには、外敵か、さもなければ内部の敵が必要なのです。犯罪もそうですし、何といってもテロリズムが一番だ。テロがない国家なんて考えられますか? テロは国家に取っての恵みの雨であり、すべてを育む太陽の光です。そうですよ、あなたがその太陽の光なんだ……」
 そう言うと、柴田は再び僕をじっと見つめる。その目は心なしか潤んでいるようだ。
 柴田のことばに熱がこもるほど、逆に、僕の心の底には冷え冷えとしたものが広がって行く。
「違いますよ。」と僕は言う。「あなたの理由と僕の理由は違う。」
「ええ、承知してます。」
 柴田は大きく肯く。
「十分、承知してます。あなたの思惑と私の思惑は違う。違うけれども利害が一致したところで協力しあった。だからこそきちんとあなたにお礼を言っておきたいんですよ。私はあなたを騙して利用したわけでない。ね? そうでしょう、あなたを道具として使ったんじゃない。だからこそ、きちんとあなたに自分の感謝の気持ちは伝えておきたいんだ。」


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