金沢の歴史
The history of Kanazawa city.


春の金沢城石川門
Kanazawa castle in sprig

応仁の乱(1467年−1477年)の頃、本願寺蓮如は加賀と越前の 国 境 の 地・吉崎に坊舎を建て布教を開始しまし た 。本願寺派門徒数は増加し大きな勢力となりました。
加賀の守護・富樫家は東軍(細川方)と西軍(山名方)に分裂しており、家内抗争により弱体化しました。
これにかわって蓮如の子、本泉寺蓮悟などの指導者が登場し 一 向 宗 の支配する国となりました。
1546年に本願寺の別院である 金沢御堂 が建立され、周辺は寺内町が形成され政治・経済の中心地となりました。
上杉謙信の越中(富山)の侵攻に対抗し、武田信玄の妻の妹が本願寺十一世顕如に嫁いでいるいることもあり1565年に本願寺は武田家と同盟を結びました。
織田信長が勢力を拡大するに従い本願寺は上杉謙信、毛利輝元、浅井長政、朝倉義景、三好三人衆(岩成友通、三好長逸、三好政康)などと結び対抗しましたが(石山合戦)、抗しきれず1580年、信長の武将・柴田勝家・佐久間盛政によって金沢御堂は攻略されました。
前田利家は羽柴秀吉の軍に従い、1583年4月25日に金沢に入城し、金沢を与えられます。この日を新暦に換算し6月14日に百万石祭りを催しています。
二代藩主・前田利長は徳川家康方につき石田三成方を破りました。以後明治までの約270年間前田家が治める事となります。
三代藩主・前田利常は一向一揆子孫の有力農民を藩行政末端の官僚である十村(大庄屋・大名主)として用い、改作法を実施しました。
改作法の実施により一加賀二土佐と称され、以後新田開発などにより100万石から実質130万石となりました。
参考資料
加賀・能登 歴史と文化 :石川県教育委員会編
浄土真宗:双葉社

春の金沢城石川門
Kanazawa castle in winter

冬の金沢城石川門
Kanazawa castle in winter

夏の金沢城石川門
Kanazawa castle in summer

秋の金沢城石川門
Kanazawa castle in autumn