三島由紀夫『金閣寺』
昭和25年(1950)7月、その舎利殿は炎上した。原因は22歳の学生僧の放火であった。彼は「こんなものがあっても禅宗とは何の関わりもない」と叫んで火をつけたというが、この事件をモデルにしたのが三島由紀夫の『金閣寺』である。この事件は水上勉の『金閣炎上』にもかかれている。(こちらは放火者林養賢の貧しい生い立ちに視点をあてて書かれている)
金閣寺は通称で、本号は鹿苑寺。臨済宗相国寺派の別格本山で、応永元年(1394)、室町幕府3代将軍の足利義満が西園寺家の山荘を譲り受け、北山殿と称する広大な別荘を造った。義満死後、禅寺に改められ、その法号をとって鹿苑寺とした。
のちに8代将軍の義政が銀閣寺を造営するわけであるが、この銀閣寺を中心に開花した文化を東山文化と呼ぶのに対し、義満の頃の文化を北山文化と呼び室町文化の栄華期である。狂言・連歌・茶道などが栄えた。
