都を造るというのは大変なことです。なんせ今まで野原や荒地だった所に宮廷を建て道をつくるわけですから。ある日、桓武天皇が「京都(当時は山背国と呼んでいた)に都を移せ」というわけです。すると大工たちがいっせいに好きなように造り始めるわけではありません。まず専門家たちが京都に出向きどこを中心にするかあれこれ討論するわけです。それに用いられたものが風水学だったのです。
風水と京都
何年か前に風水がかなり流行ったことがありました。どの方角に○○色のものを置けば金運が上昇するとか仕事に恵まれるとかいったものです。この手の本がベストセラーになったりしたわけですから日本人の多くが「風水」というものを信じているわけです。それもそのはず、この風水は都市建設における重要な役割を果たしていました。もとは中国の思想ですが日本は中国をまねて都を造っていますので風水を取り入れたわけです。京都はこの風水をもって造られました。実は794年から約800年後に造られた武士の都江戸もまた同じく風水をもって造られたのです。つまり日本人が風水を信じる所以は充分にあるわけです。特に京都はこういった背景がありますので取り入れている人は多いです。
風水説
都城、住居、墳墓などを築くにあたって、地形や方位の吉凶を判断して適当な場所を占い求める理論。これによれば方位を青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)の4方向にわけ、山・川・道などがこれらの動物をあらわすとする。つまり方位を四神(青竜・朱雀・白虎・玄武)に分けるとは、「東西南北に四神を象徴するものがあればいい」ということである。
| 東(青竜) | 流水(川) |
| 南(朱雀) | 沢畔(湖沼) |
| 西(白虎) | 大道(街道) |
| 北(玄武) | 高山 |
船岡山
京都北区に船岡山という山というより岡がある(標高は112m)。実はこの山こそが京都を造る始まりであった。この山頂から真南を向いて引かれる線に重ねて平安京の中心を南北にはしる「朱雀大路」が決定されたのである。では何故船岡山を起点としたのか。今も残るのだが、船岡山頂上には人間の背丈ほどの石がほぼ三角錐の形に立っている。平安京造営の担当者が視察に来たときこの辺りではおそらく一種の巨石信仰があったのであろう。とりあえずお参りにでもと登ってみれば眼下には造営には丁度よい低地が広がっている。しかも北(玄武)を示す高山にはもってこいである。こうして平安京造営の第一歩は踏み出されたのである。

この図を見てわかるように東に鴨川、南に巨椋池、西に山陰道、北に船岡山と平安京は四神に相応するよう造営されました。ちなみに江戸は東に隅田川、南に江戸湾(東京湾)、西に東海道、北に上野山というふうに相応しています。そして、陰陽道で鬼門とされる方角に「魔除け」として巨大寺院を建立しました。それが京都では比叡山延暦寺であり、江戸では東叡山寛永寺です。東叡山とは字のごとく「東の比叡山」という意味です。しかも両寺は「延暦」「寛永」という元号をそのまま寺号にしています。元号というのは本来天皇の象徴のようなものですから勝手に使えないのですが、延暦寺は初めて元号を使う事を天皇から許された寺なのです。比叡山は天台宗の総本山で延暦7年(788)に創建され、桓武天皇の勅願寺です。
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