3、王城鎮護国家「平安京」

 さて、羅城門の事を前章でお話しましたので、ついでに王城鎮護ということについてお話したいと思います。平安京に風水が用いられたのは怨霊からの防御が理由の一つにありました。怨霊というとそんな迷信的なとお思いかもしれませんが当時の社会では一般的に信じられていたのです。羅城門に兜跋(とばつ)毘沙門天がおかれたのも、鬼門の位置に延暦寺が建てられたのも怨霊から守る「王城鎮護」という役目なのです。

京都の日の入りと日の出

 京都で夜景のスポットといえば「将軍塚」を思い浮かべる人は多いことと思います。将軍塚は平安遷都の際、王城鎮護のため粘土で作った武将像を西方(都方面)に向けて埋めた、と伝えられる地点です。ここはちょうど「冬至の日の出」の位置にあたり京都の冬至の日の太陽はここから昇るようにみえるのです。
 そして平安遷都の進言者であった和気清麻呂の墓が、これとは逆の「夏至の日の入り」の位置である神護寺にあります。この二箇所を直線で結ぶと誤差なくぴったりと内裏をとおっているのです。神護寺は824年(天長元)和気氏の氏寺「高尾山寺(たかおさんじ)」と清麻呂自身の建立になる「神願寺」が合併した真言宗の寺で、空海も住持したと伝えられています。
 ちなみに「冬至の日の入り」の位置には松尾大社、「夏至の日の出」の位置には下鴨神社があります。 

 

 桓武天皇は仏教勢力から逃げてきたにもかかわらず、平安遷都において仏教の信仰をしています。その理由は陰陽道(風水)の信仰からでした。怨霊を恐れたため都に風水を利用し、まるで怨霊からのシェルターのようにし、結果仏教へ関心を示してしくことになります。

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