6、五山の送り火〜大文字〜

 京都の7月の夏の風物詩が『祇園祭』なら8月は当然『五山の送り火』。筆者はどちらかと言えばこの『五山の送り火』のほうが好きな行事です。理由は単にゆっくり見られるから。近所にあるマンションの屋上にでも行けばすぐ見ることができますし、そのうえ、祇園祭のような人ごみは決してできません。新聞によると宵山は日曜ということもあって46万人の人手だったらしいです。よくそんなに集まったものだと感心してしまいました。

 五山の送り火とは、左京区銀閣寺の東方にそびえる如意ヶ嶽の前山となる大文字山の『大文字送り火』、同区松ヶ崎の『妙法送り火』、北区西賀茂の『船形万燈篭送り火』、同区大北山の『左大文字送り火』、右京区鳥居本の『鳥居形松明送り火』の五つです。一般的に『大文字送り火』が一番有名であるため、今日『大文字焼』が五山の送り火の代名詞となっています。起源はといいますと確かな記録がないため不明です。

送り火の意味

 送り火は「お盆に我が家に戻ってきた先祖の霊が再びあの世に帰るのを送る」意味を持っています。一般に全国的風潮として旧暦7月13日の夕、先祖の霊を迎えるために門辺(墓地や浜辺の場合もある)で、おがら(麻の皮を剥ぎ取った茎)などを燃やした。これを『迎え火』といい15日か16日の夜、霊を送り出すために焚く火を『送り火』といいます。大文字もこれらの部類の行事の一つであり、旧暦時代は毎年7月16日に行っていましたが、現在は月遅れのお盆で8月16日に点火するようになったわけです。

何故『大』の字なのか??

 何故『大』の字が選ばれたのか?江戸時代以前の文献にも特に記載はなく詳細は不明なのですが近代に入りいろいろと諸説が唱えられています。
 1、大は星形を字に現したものという考え方。
 (1)仏教でいう悪魔退散の五芒星の星のことであるという考え方。
 (2)「北辰」を意味するという見方。「北辰」は北極星あるいは北斗七星のことである。宇宙にあって夜ごとその位置を変えない北極星は神格化し、信仰の対象となった。(千葉周作は剣の一派を打ち立て北辰一刀流と称したことは有名。坂本龍馬はこの流派の免許皆伝。)
 2、弘法大師が大字型に護摩壇をつくったという説。
 地元浄土寺地区では、弘法さんが人体になぞられて大の字の形に護摩壇をつくり、供養し、悪魔退散、五穀豊穣、国家安泰を祈願されたという伝承が残っている。また、仏教ではあらゆる物体を構成する四つの元素を想定している。それは地・水・火・風の四者で、四大と呼ばれており、人体もこれから成り、大文字はこれを意味するとも言われています。
 3、民俗をたどると
 美濃や三河地方では斧はじめに切った木には「大一」の印をつけ、伊勢神宮に奉納する。この他に民俗を探ると京都市では生まれた男の子の額に「大」の字を書き、宮参りするならわしがあります。「ダイダラボウ」といえば、全国各地に残る巨人の名前です。
 (石田三成が旗印に「大吉、大一、大萬」の字を書いたのも、包容力のある大の字に勝運を託したものである。)

神聖な薪

春に木を切る(昭和40年) 護摩木作り 護摩木に願いを書く

 春に山から下ろした薪は特別に大切なものとして保管することになっています。もし、これを粗末に扱ったり、送り火以外の用に供した場合は、その家に不幸があると信じられています。送り火の当夜、自分の担当している火床の燃え方が悪かったり、火のつき方がよくないのもやはり家によくないことが起こるといわれています。燃焼し尽くした送り火の薪は魔除けになるとして大切にされています。消し炭になった薪を拾いに送り火の翌朝、大文字に登る人は昔も今も後を絶ちません。
 浄土寺地区の民家では炭化した薪の一片または全体を奉書紙で包み、水引をかけて、玄関先の軒に吊るしてあるのを見かけることができます。

 昔は8月1日から16日の送り火の行事を終えるまで、精進潔斎をしました。肉の類は一切口にせず、行事が終わるとカシワのすき焼きで精進落としをしたといいます。大文字送り火は単なる送り火の年中行事ではなく、除災招福、家内安全など種々の願いを込めた包括的宗教行事であることを物語るものです。

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