森鴎外『高瀬舟』
高瀬川といえば、誰でも思い出すのが森鴎外の「高瀬舟」であろう。喜助という西陣の職人が、弟の自殺現場を見て、その苦しむ姿を見るに見かねて弟の頼むままに自殺幇助をする。その罪を問われて島流しになるのである。
この小説は、京都奉行所与力神沢真幹がまとめた『翁草』に出てくる「流人の話」をもとにしたもの。『翁草』のほうには、同心の名前も罪人の名前もない。鴎外はこれに名前を与えて人間として肉づけし、安楽死の問題を含めて現代にも通じる作品とした。
小説の舞台となった江戸時代には、この高瀬川を上下する舟は1日170艘にものぼったという。慶長16年(1611)、大坂からの物資輸送路として角倉了以が二条から東九条までの木屋町通り沿いに開いた全長10キロの運河で、舟は平らな小舟を使い、これが高瀬舟と呼ばれた。

高瀬川