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あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢うこともがな 和泉式部 |
この世にいなくなってしまうであろう私の、あの世における思い出として、もう一度だけ逢うことがあってほしいものだ・・・・・・
(出典)『後拾遺和歌集』恋三。百人一首入選歌。
(解説)病気で気持ちがいつもと違っているときに、男のもとに送った歌。
作者は和泉式部(いずみしきぶ)、実在の人物ながら非常に多くの伝説があり生没ともに明らかでない。およそ11世紀前半の人物。女流歌人史上、五指の指に入る。『和泉式部日記』は敦道(あつみち)親王との情熱的な恋愛関係を回想した自叙伝文学。
彼女は実像・虚像入り乱れ、しまいには、鳳来寺の牝鹿が上人様の立小便のあとで草の上の尿をなめ、それで身ごもって生んだのが和泉式部だという。だから式部は脚の指が2本で、それをかくすために発明したのが、足袋(たび)だったという。
大江山 いくのの道 遠ければ まだふみもせず 天の橋立
は、百人一首にも入っていますのでだれもが一度は聞いた事のある歌だと思いますが、この作者は小式部内侍(こしきぶないし)で、和泉式部の娘。小式部は子をあとに残して母よりも先に死んでしまいます。和泉式部の手に孫だけが残され、我が子が死んだのですがそれを悲しんで
とどめおきて 誰をあはれと 思うらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり
(この世に子供をおいてあの世にいっていまった私の娘は、誰のことをあの世で今しみじみと思っているだろうか。娘はきっと母なる私よりも、子供への思いがまさっているだろう。それは私も生きている孫よりもなくなった娘への思いがまさっているのと同じように。)
という歌を残しています。