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先生?

たつのこには先生がいません。20代から60代の男性保育士2名を含む7名の保育者がいます。

 先生と呼ばない代わり、愛称で呼んだり「おとな」と総称して呼んでいます。
初めは名字で呼んでいたのに最近では「みーくん」と呼ばれる40代の保育士もいれば、親たちには母と慕われる熟年保育者も子ども達の手にかかれば「にんじんさん」に早変わり。
 親も保育者のことを○○さん、○○ちゃんと呼びます。呼び名は人と人との距離感によって変わるものだとしたら、初対面からお別れまで一貫して「先生」と言うのはどうでしょうか。
 そうして「先生であれ」と言う枠を取り外してその保育者個人の個性と真正面から向き合って行こうという思いの現れでもあります。社会的な肩書きの前に「私という個人」とじっくり向き合いたい、そう言う思いが育まれています。



たつのこでは親と保育者は同じ労働者として対等でありたいと思っています。

先生と言って託しきってしまうのではなく、社会においてはお互いは未熟だったり、完成されることのない人間として対等であり、ぶつかり合い、わかり合い、共に育ってゆける関係でありたいと願っています。ですから保育所内でおきる問題は共に考えたいと思っていますし、親が抱える問題も共に悩んだり励まし合ったり出来る関係でありたい。
それは数十年前には確かにあった、地域のふれあいの形に似ているかもしれません。
お互いは未熟であること、決して相手に完璧を求めない関係・・・・・・。

また親同士も「○○ちゃんのおかあさん」といった何かに付属した関係ではなく、一人の○○さんとして互いに向き合う関係を大切にしています。もちろんお父さんも。

最近そういうあたりまえの人間関係がどこか変わってしまっているように思えるのは私の偏見でしょうか?

こども

たつのこの子どもは時々「野生児」と言われることがあります。でも時代ゆえなのか野生児ぶりは年々失われてゆくようでもあります。それはまちの形、大人たちの変化に原因があるのではないでしょうか?
ひとつ言えることは子どもたちは変わっていないということ。
たつのこ創立当初から拘わる地域の人々は今も昔も「たつのこの子どもは変わらない」と言ってくれるのです。

たつのこでは子どもも一人の人間として対等でありたいと願い続けています。
子どもだから未熟なものとして捉えず、助けず、手をかけず、ただ黙って見守る。そうして負けたとき、悔しいとき、悲しいときはただギュッと抱きしめる。

就学だなんだと大人が心配しなくても子ども達はそれぞれの個性で好奇心を膨らませ世界にあふれる不思議に心をときめかせどんどん世界を広げています。

彼らを見ていると教育とは与えるものではなく、求める心が自然にわきでてくるものだというとても大切なことを教えてくれているような気がします。