寂しいなんて知らない。
昔から、僕は無表情な男だと言われ続けてきた。
それは友人から、恋人から、親戚から、両親から・・・。
だから、僕は無表情な男なんだろうと思う。
鏡を見ても、何の面白みもない顔。
写真を撮るとき「笑って!」と言われても、笑えたことはなかった。
何でそんなにつまらなそうな顔をしているの?と言われても答えられるわけがない。
これが普通なんだから。
家族は五人家族。ごく普通の家庭に育った。
良い家族・・・一般的には。
兄と妹、父と母も仲が良い。
それなのに、自分だけが何故か疎外感を感じていた。
自分はもらいっ子では、と小学校高学年になるまで本気で考えていたほどだ。
食卓でまったく混じることのできない団欒に、虚しさを感じた。
気をつかってくれる家族には気詰まりを。
気遣いを気詰まりに感じる自分にほとほと呆れた。
大学に入学して、近くのアパートを借り、さっさと一人暮しをするようになった。
家族はそんな僕を心配そうに見つめた。
まったくの一人。
けれど、家族の中で虚しさを感じるよりも数倍楽だった。
最初から一人なら、何にも感じることがない。
そして、相変わらずの一人暮しの日々。
そんなある日のことだった。
バイト先の上司と、一緒に飲むことになった。
何故か、その人は自分を気に入ってくれている。
自分の何がいいのかさっぱり分からないが、必要としてくれているのが分かっている人の傍にいるのは少し心地よい。
呑め呑めと勧められて普通の量以上の酒を飲んだ。
へろへろになりながら、帰路につく。
少し寒いと感じ、あぁもう十一月なんだなぁと思った。
コートを出さなくちゃ、コタツ布団どこに片付けたっけ、灯油を買いに行かなきゃな。
そしてやがては十二月が来る。
年末年始には家に帰らなくてはならない。
気分が重い。
知らないぬくもりで目が覚めた。
少し重い頭を抱え、布団から体を起こした。
外気が、はがれた布団の外から入ってきて、ぞくっと寒気が走る。
毛布を出さなければ。
そう。
目が覚めたのは何かふわりとしたぬくもりがあったからだ。
自分の隣の空間を手で撫ぜると、何かが触れた。
掛け布団をそろりと上げると、白いふわふわとしたカタマリ。
目を疑った。
真っ白なウサギが、隣に寝ていた。
夢じゃないかと思って、古典的に頬をつねってみた。痛い。
顔を近づけると、ウサギはぱちりと目を開けた。
紅い瞳がこちらを見つめている。
そして、閉じた。
すやすやと眠りつづけるウサギを見て、これどうしたんだっけと考え込んだ。
そういえば、昨日の帰り道の途中から記憶がない。
その途中で拾ったのだろうか?
だけど、犬猫ならまだ分かるが、ウサギが落ちているだろうか。
もしかして、どこかの家から逃げ出したウサギを、そのままかっぱらってきたのだろうか?
それなら返したいが、どこで拾ったのかさっぱり分からない。
そっと撫でてみると、久しぶりの生暖かい感触に酷い違和感を抱いた。
それからというもの、不思議なことがたびたび起きた。
洗濯物を干して出かけると、帰ってきて取り込んであったり。
洗い物がすっかり終わっていたり。
掃除がしてあったり。
マグカップが割れていることもあったし、冷蔵庫の中の野菜が少しずつかじられていたり・・・。
ドアの傍に小さな影。
ウサギにしては大きすぎる。
子どもの影だ。
しかし、急いで見てみても、そこには小さな白いウサギがいるだけ・・・。
そんなことを幾度となく繰り返し、白ウサギとの奇妙な共同生活は続いていた。
しばらく過ごすうちに、別段奇妙なことが起きても気にしなくなった。
ああ、まただな。そう思うだけ。
意外に自分は順応性が高いんじゃないだろうか、と勘違いをしてしまいそうだ。
いつも気まぐれに消えたりしていたので、そんなに気にはしなかった。
けれど、三日経っても現れないのに気がついたときにさすがに気になってきた。
どこかで怪我をしているんじゃないのか、お腹を空かせているんじゃないのか・・・そんなことを思っている自分に驚く。
自慢にもならないだろうが、他人(ひと)に対する関心は、異常なほどに薄い。
中学高校の友人たちは、卒業までに全員覚えることができなかったし、それなりに一緒に遊んだ友人が引っ越すときにも涙さえ出なかった。
初めての感覚に、軽い嫌悪感を憶えたのは何故なんだろう・・・。
とにかく、家中のあらゆる所をひっくり返し、あの白い生き物を探した。
ぺしゃんこになっていたりしたら、夢見が悪い。
けれど、家のどこにも見当たらなかった。
きっと、元の家に帰ったんだろう。
だって、あんなに真っ白なウサギだったんだから、飼われていたに違いない。
・・・ウサギに帰巣能力があるのかは不明だけど。
無理やり自分を納得させて、布団にもぐりこんだのは深夜一時。
明日は早番で、起きるのが早いから、さっさと寝てしまおう。
だけど・・・。
眠れない。
どうしても気になって眠れない。
いつも一人だったのに、一人で眠れない。
あの、ふわふわとした感触が恋しかった。
真っ暗な闇の中。
目を開けると、そこには真っ白でくりくりとした髪の毛が目に入った。
「?」
これは何だろうか、と目を凝らすと、顔がこちらを向く。
「あ・・・・・・」
乳白色の顔に、大きな瞳がぱちりとはまっている、そんな風に思えた。
その瞳の色が、また印象的な紅色をしている。
ぱちぱちと瞬きを数度して、桃色の唇が物を言いたげに少し開く。
「ウサギ?」
そう尋ねると、ふにゃと表情が微笑みに変わる。
「痛ぁっ」
伸ばした手の指を、がじっ、と噛み付かれた。
「何なんだ、お前は・・・」
「・・・・・・・・・」
にこにこにこと、嬉しそうに笑っている。そして、布団にごそごそと入りこんできた。
「ああ、帰ってきたんだな・・・」
そう言うと、ウサギはにっこり笑った。鼻先をTシャツに押し付けてくる。
真っ白の髪の毛を撫でると、さらさらと手のひらをくすぐる。
何故か妙に安心して、ゆっくりと目を閉じた。
カーテンの隙間から、光が目を刺す。
身体を起こすと、伸びをした。
隣を見ると、そこにはウサギの姿はなかった。
「え?」
布団をひっくり返したり、枕をはがすが、やはり姿は見当たらなかった。
昨日のは、夢だったのだろうか?
思わず手のひらを見つめる。
あの、さらさらとした髪の毛の感触、ぬくもり・・・夢にしてはリアルすぎた。
呆然と布団に座り込む。
そして、自分はぬくもりが恋しいのだということに気がつき、愕然とした。
それからというもの、毎夜、うさぎはやってきた。
深夜にごそごそと布団に入ってきて、朝方にはいなくなっている。
そこらを探してもいない・・・そういうのが日課になっていた。
また、来なくなったらどうするのだろう。
消えてしまったらどうするのだろう。
それが自分に耐えられるだろうか。
すっかり孤独に耐性がなくなってしまったようで、どうしていいか分からなかった。
いったん、ぬくもりに慣れてしまうと、再び失ってしまったときが怖い。
自分はやっぱり孤独で寂しくて誰かがいないと生きていけないのだということを骨身にしみて分かった。
あのときに感じた嫌悪感は、自分の「寂しさ」を認めるのが、怖かったのだ。
ある夜、うさぎはやはりやってきた。
胸のあたりに鼻先を押し付けてくる。
「なあ」
初めて声をかけてみた。どういう反応をするのだろう。
くるり、と紅い瞳が、こちらをじっと見つめている。
「お前はずっとここにいるのか?消えたりはしないのか?」
「・・・・・・・・・」
何にも言ってくれない。
「お前がいると、暖かい・・・」
そういうと、にっこりと微笑んだ。
「どこにもいかないで。ここにいて欲しい」
「・・・・・・・・・」
うさぎは、鼻を顔に近づけてぺろりと舐めた。
ふわふわとした産毛が触れてくすぐったかった。
返事はくれなかったけれど、ちゃんと分かってくれたのではないかと勝手に理解し、安心して眠りに落ちた。
次の朝、布団の中にはやはりうさぎはいなかった。
あの時、分かってくれたと思ったのは、自分の幻想だったのだろうか。
ぼんやりとしていると電話が鳴る。
出ると、母だった。
お正月は帰ってくるんでしょ、母さん腕を振るっておせち作るからね。
そんな他愛もない話だったけれど、以前は苦痛だったそんな話が、どうしようもなく愛しかった。
涙でぼんやりと視界が曇って、嗚咽がこぼれそうになる。
少し鼻声で必ず帰るよ、と言うと、風邪ひいてるの?気をつけないと、と言われた。
うさぎと同じ暖かさがここにもあった。
三十一日の昼間まで仕事をして、その後新幹線に飛び乗った。
早く家に帰りたいと思うのは初めてだった。
ふと、今日の夜はうさぎは誰もいない部屋に来るのでないか、という思いがよぎるが、一瞬にして消え去った。
何となく、あいつは自分がいるときにしか現れない、そんな気がするのだ。
新幹線の中で眠りにつき、ホームにつくと懐かしさというものを感じる。
まだそんなに経っていないのに、自分が少しだけ変化しているせいだろうか。
きっとうさぎに出会う前だったら、ため息をつきながら家路を急ぐだけだっただろう。
そして三が日を終えてさっさと自分だけの家に帰るだけだったはずだ。
駅からバスに乗り、家の近くの停留所に降りる。
懐かしい門構えがすぐそこに見えていた。
玄関のチャイムを鳴らすと、ぱたぱたと複数の足音が聞こえて、扉が開く。
「お帰り」
「お帰りお兄ちゃん」
家族が勢ぞろいしていて、ちょっと笑ってしまった。
そんな僕を見て、家族は目を見合わせている。
無理もない、こっちは笑うのは久しぶりだし、向こうが見るのも久しぶりだろう。
「ねえ、お兄ちゃん、見て」
呼ばれて妹の方を見ると、手には毛玉が握られていた。
「・・・・・あ・・・・・」
信じられなかった。うさぎだ。
毎夜、布団にやってきたうさぎである。間違いない。
「あのね、うちの庭にいたんだよ」
はい、と渡されて、やわらかい感触が手のひらに伝わってくる。
「夜はね、どうしてもお兄ちゃんの部屋に入りたがるの。どうしてか分からないけど・・・」
そうか、お前はずっとここにいたんだ。
「仕方ないから、お兄ちゃんのベッドに夜だけ寝かせてあげてたんだけど、離れるのすごく嫌がるんだよ。
不思議だよね、会ったことないのにね」
「そうか・・・」
顔を寄せると、桃色の鼻が頬に当たる。
ぺろりと舐められて頬を寄せた。
ぬくもりがここにあった。
多分、これから一人とか孤独とかそんなものが怖いのだと思う。
今まで無視してきたけれど、気づいてしまった。
けれど、もう、本当の孤独を感じることはないのだ。
ずっと。
僕は一人じゃないのだから。
END
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